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  ニカラグァ最後の3ヶ月、最後までやりぬきたいと思う。

 2003年3月〜
 2003年2月〜

 2003年1月〜



<2003年4月5日(土) 日本到着<完>>
 いよいよNH005便が着陸体勢に入る。窓からは、成田の風景がみえる。日本企業の広告も目に入る。しかし、簡単には日本の土は踏ませてくれないようで、ものすごい雨のせいで、もう一度、着陸やり直し。改めて旋回した後、態勢を整えなおすボーイング777。そして、着陸。着陸時にはスタンディングオベンションが・・・・、ってそんなことは昔のアエロフロートじゃあるまいしありえなく、皆、そそくさと荷物を降ろし始める。
 
 到着時間は予定より1時間ほど遅れてた。外に出てみるとやたら寒い。寒い、寒いって聞いてたけど、まさかこんなに寒いとは。ユニクロのフリースをニカラグァで友人ルーディンにあげてきたのが惜しまれる。
 
 入国審査を終え、荷物をピックアップする。わくわく。それから、ドアの向こうは到着ロビー。そして、そこには、彼女の姿が・・・・。


<2003年4月4日(金) エコノミスト
 皆はJALで日本に帰るが、俺はLA経由でのANAをチョイスしたため、同室の友に別れを告げ、一人チェックアウト。メヒカーナ航空でLAまで行く。ANAチェックイン時は、ネゴって、隣をブロックししてもらい3人がけのシートを独占させてもらうこととする。しかし、もちろんエコノミー席。これもエコノミストたる所以か。
 日本人のスチュワーデスさんに緊張しながらも、爆睡もしたし、まずまずのフライトを楽しむ。


<2003年4月3日(木) ニカラグァ出発
 朝4時40分、暗闇の連絡所前に集合し、空港へと向かう。チェックインやらなにやらを終え搭乗アナウンスを待つ。見送りの隊員、また帰国隊員の現地の友達も来てくれてる。寺ぴょんなんかは同僚、知り合いなど約30名ほどが空港まで押し寄せ、合唱してもらってる。我々には、少し彼を見送る何気ない人のような雰囲気も流れる。みんなで写真を撮ったり、任期延長するもよとボ○さんにも別れを告げる。ボ○さんなど、らしくなく目には涙を光らせる。
 
 そして、COPA航空パナマ行きの便に乗り、出発を待つ。約2年を過ごしたニカラグァを去るということで、感慨深い。というふうに待つこと十数分だが、なかなか動かない。そこで、アナウンス。「翼に故障が見受けられますので、乗客の皆様は、一度降りていただいて係員の指示に従ってください。」とのこと。我々は、こっぱずかしく感動の別れをしたマナグア空港出発ロビーに戻り、それから、なんとリゾートホテルへ。結局、そのリッチなリゾートホテルで約半日を過ごし、朝飯、昼飯バイキングを食べて、午後の便で飛び立った。

 ほんとは昼に到着だったメキシコシティに夜遅く到着。ホテルの部屋に行ったものの、違う飛行機で到着している同室の寺ぴょんとさおりちゃんは居ない。まだデート中なのか?さみしいので、誰か他の隊員がおんなじホテルにいないかと思い、レセプションで確認してみる。そしたら、駒ヶ根訓練所で一緒だったカジがいた。カジと2年ぶりに再会しメシを食う。ものすごくまずいカルボナーラ。しかし、カジは喜んで食ってた。


<2003年4月2日(水) ニカラグァ最後の夜
 昼から、赴任当初に語学訓練を受けたサンマルコス市に行く。最後に学校に行ったり、当時お世話になった人たちに挨拶しておこっと思って。とりあえず昔住んでたところにいってみる。不在だったが、しばらく待ってたら帰ってきた。なつかしき昼飯をごちそうになる。Padreがごきげんでいろいろ話す。帰りにおみやげで葉巻をくれる。それから、学校、友達のホームステイ先、よく行った喫茶店などに行く。

 夜は、同期全員で中華料理を食べに行く。ニカラグァで皆揃って食事するなんてひょっとしたら最後かもしれないという。そのときはそこまで考えなかったけど。

 連絡所に戻った後、チケットを受け取ったりなどミーティングがあり、それから準備。寺ぴょんなんかまだパッキングしてる。彼は、ものすごい量のニカラグァ物資を日本に持ち帰るので、ほんとに明日までに終わるのかというくらい。皆、ほとんど寝てないかも。


<2003年4月1日(火) 機関紙完成
 今日は、出版社にNGO機関紙の完成版を貰いに行く。出発2日前になんとか完成ということだが、まあひとつの成果物ができたというもの。

 この日くらいから他の帰国隊員もマナグアにあがってきて、人数も揃い始める。


<2003年3月31日(月) 感動のデスペ
 今日は、郵便局で荷物を送った後、また職場へ。そこで、プレゼントをもらい、お別れトークをする。トーク内容をビデオで撮ったので、これがなかなか面白い。涙なく別れをつげる。

 職場の帰り、床屋に寄る。床屋の友人も弁当を食ってたし、俺もあんまり時間がなかったので、やめようかと思ったけど、彼が切ってくれる。お別れということでただでやってもらった。

 家では、また写真大会。その後、ホストファーザーの運転で空港まで送ってもらう。窓からしばらくは?お別れのブルーフィールズの町並みをみながら・・・・。

 空港で、いつものように検査を受ける。そのとき、「日本に帰るよ」と言うと軽リアクション。ただ、「もー、戻ってこないよ」と言うと、だんだん彼らも状況を飲み込んだらしく、言葉をかけあう。
 待合室では、ほぼいつもの席で飛行機を待つ。すると、あの検査をやってた巨体おばちゃんがやってきた。「No se preocupe, pero se va, verdad?(気にしないでね、でも、去っちゃうんだね)」と声を掛けてくれる。なぜか目に涙。そんなに親しかったかかい!とつっこみでも入れたいくらいだが、結構マジモード。それで、ちょこっと話す。警備員、事務員、お土産やの女の子などなど空港関係者が話にきてくれる。そして、とうとう搭乗のアナウンス。せっかくだから、みんなの写真をとってあげる。去る際には、全員が一列になって見送ってくれる。不思議なことに空港の皆さんが一番感動的なデスペをしてくれることになる。そんな感じで、上空からブルーフィールズを眺め、マナグアへ。


<2003年3月30日(日) よくわからんサヨナラ会
 朝、5時におきて、ルーディンと釣りに行くこととする。まず、湾岸まで行き、今回ボートをだしてもらうおじさんちに行く。そこで、ちょっとトークした後、ボートへ。もちろんYAMAHAモーター。それから、ガソリンを入れて出発。ルーディンから竿というか糸を借りる。糸には、餌としてタジャリンと呼ぶ小さな海老をつける。さて、釣り開始後、ルーディン、おじさんと子供はさんざん釣り上げる。しかし、俺のほうはさっぱり。もう、半泣きなくらい釣れない。もー、あきらめてたところ執念で一匹釣り上げる。悲しいくらい小さいのが。記念に写真をとり、そしてキャッチアンドリリース。会社員時代「紳士たれ」と教えられた所以か。

 昼前に帰ってきてシャワーをあび、職場へ。今日は職場でのデスペ。皆、集まってくれる。はじめに、Directorから言葉があり、俺もいちおう言葉を言う。しかし、これからというときに横に座ってるMaxのびんぼうゆすりがすごすぎて、女性陣が騒ぎ出す。それで、結局、うやむやにされてしまう。食事は、皆でつくってきてくれたようだが、正直いまいち。このいまいち感がいいのか・・・。ついでに、プレゼントが間に合わなかったから明日も来て!とのこと。よくわからんサヨナラ会。


<2003年3月29日(土) エンリケコール
 午前中、近所だった子供たちの家に遊びに行く。以前、撮ってあげた写真やら何やらをプレゼントしてやる。また、デジカメを貸してやると、彼らはずっと撮りまくってた。最初は、まずまず楽しいものの、次々だっこやらおんぶやらポーズの注文がきて最後は力仕事になってきた。
 それから、グリセルダの家に行って、そこでもバイバイの挨拶。名残惜しいものの子供たちにもバイバイしてタクシーに乗り職場に行く。

 今日は、日本大使館より書記官?の方が見えられてたので、そのアテンド。Directorたちとプロジェクトの話をしたあと、小規模企業家を一緒に訪問してインタビューにつきあう。
 
 夜は、ルイス夫妻にデスペをしてもらう。夕食を一緒にとったあと、ルイスの発案でカラオケへ。そう、ブルーフィールズ市にもカラオケバーがあるのだ。少しは気になっていたものの今まで行ったことがなかった。しかし、これは行ってよかった。形態はというと、田舎の飲み屋みたいな感じで、歌いたい人がDJ(CDを流す人)に頼んで、舞台で歌うというもの。あまりカラオケは好きではないので大人しくしてたものの、ルイスがやはり歌えと言ってくる。もちろん歌数も少ない。困ったもののここで歌わないわけにはいかず、エンリケ・イグレシアスの歌を歌う。とりあえずスペイン語にて。そしたら、つづいて英語バージョンも流れてきて、結局、僭越ながらそれも歌うことに。その結果はというと、さすが陽気なニカラグァ人、たくさんの拍手と「エンリケ」コールをいただき、サインまでお願いされる。いやいや、よい経験だった。


<2003年3月28日(金) small world
 職場では、小規模企業家への講習会を行なう。そこで、俺もちょっと時間をもらい、お別れの挨拶をする。

 職場からの帰り道、前に同僚だったTatianaに会ったのでジュースでも飲みに行く。ジュース飲んでるときに停電になり、テーブルにはカンデラ(ろうそく)が置かれる。なぜかロマンチックモード。結局、それをたちきり、彼女の家におじゃまさせてもらいに行く。しばし家族と談笑。なかなかいい家族だった。

 それから、夜はピースコーの面々と飲み会。2件ほど行く。一人ブルーフィールズ人の男性がいて、話してみると前の同僚だったTraverの双子の弟ということが発覚。なかなかせまい世界だ。


<2003年3月27日(木) PAISANOとデスペ
 いつも「Piasano(同志、同郷人など)」と呼びかけてくるカルロスがデスペ(サヨナラ会)をやろうやろうと前々から言うものだから、やることとする。デスペといっても、飲み会をして俺がおごるだけなんだけどね。
 
 夕方集まり、とりあえず1件行く。そして、つぎの1件。それから、また1件行き、終了。

 カルロスは、会う度に話し掛けてきてくれるのはうれしいが、いまいち、話してることは嘘かほんとかはわからない。そんなものはどうでもいいかと思いながら聞いてる。今日3件行ったうちの2件は女の子のいるところだったし、面白かったかな。


<2003年3月26日(水) またブルーフィールズへ
 ブルーフィールズに戻る。これでブルーフィールズに戻るのは最後だ。結局、アエロセゴビア航空が営業再開しなかったので、アトランティック航空にてブルーフィールズへ。だいぶ終盤になってきた。


<2003年3月25日(火) 籠いっぱいのイグアナ>
 NGOの機関紙の最終打ち合わせのため、出版社に行く。これで終わり。あとは印刷を待つのみの状態となる。結局、任地で俺が配布するのは間に合わないが、一応完成版はみることができそうだ。
 
 昼過ぎから、でっちゃんにオリエンタル市場に連れて行ってもらう。ここはニカラグァ最大の市場。迷路のように入り組んでおり、ちょっと危険とも言われる。一番の目玉はやっぱり食料品。テーブルいっぱいに籠がおいてあり、そのなかに生きてるイグアナを売ってるところもある。これはすごい。1匹200円ほどかな。食堂に行き、イグアナ料理を試食させてもらう。ほかにもいろいろある。やっぱここには行っておいてよかった。
 
 夜、ビリヤードに興じていたら、やたら上手いニカ人が一緒にやろうと入ってきた。あとから聞いてみるとプロらしい。プロのお手並みを拝見できたという思い出か。


<2003年3月24日(月) 目白押しの公式行事
 今日は、公式行事が目白押し。まず、JICA事務所にて、所長他皆さんとの面談。今までの隊員活動の総括やら何やらを話す。所長と直でもう少し話したかったが、調整員が結構話しっぱなしだったのが残念。

 午後は、ニカラグァ対外経済協力局へ。また、素敵な局長自らがご出席くださる。各隊員が活動報告。俺は、ふとこの前会ったブルーフィールズのゴミ捨て場の子供たちを思い出し、貧富の差が広がるニカラグァだが、あの子たちが楽しく生きれるような国になってほしい旨を伝える。

 そして、とりは日本大使館。大使を前に、ここでも各隊員が活動報告。いちおう、うちのNGOに対して、大使からは「あのプロジェクトうまくいってるね。」というお言葉を頂く。


<2003年3月23日(日) 国立球技場での野球大会
 今日は、ニカラグァ少年チームとの野球大会。なんとニカラグァ国立球技場にて。俺は、随分長くプレイからは遠ざかっていたので、出場は辞退させていただこうと思ってたけど、結果としては、参加させてもらって素晴らしい思い出になった。
 
 まず、連絡所でユニフォームを選ぶが、もちろん背番号は24。あの大野豊が背負った番号である。心なし重さを感じる。

 さて、球技場到着。コンサートを観に来て以来。しかし、プレイするとなると感じは違ってくる。打席で打ってみると、球が結構重い。こんなに飛ばないものだったっけ?あと、守備に着いてて、守備機会がなくても、反応したり走ったりしてると結構疲れる。野球ってこんなにつかれるもんだったんだと感動。試合は、結局、我々協力隊チームが少年チームに勝つこととなるが、非常に感慨深かった。機会をあたえてくれた野球隊員みっちーありがとう。


<2003年3月22日(土) サヨナラ会
 首都マナグアにて、後輩隊員たちが、我々(12年度3次隊)のために、デスペ(サヨナラ会)を開いてくれた。
 隊員以外の日本人の方々も料理を持参してくだされ、テーブルにはたくさんの料理がならんでた。パクパク食べながら、しばしば談笑という風に楽しんでたら、もう我々から一言という話の流れ。
 まず、ほぼ同時期に去られる調整員の方からの挨拶。「今回の隊次は、最初から最後まで面倒をみれた隊次」とお話いただくが、愛ちゃんからは、「面倒見たのはこっちのほうだ。」という厳しい一言。
 我々も厳しいつっこみを入れられない程度に挨拶。べたな表現ですが、数人の同期の目には涙が・・・。
 後輩隊員の方には、歌を歌っていただき、おそろいのTシャツまで頂く。しかも、そのデザインが面白い。
「ちの こめ らとん(東洋人はネズミを食べる)」と書かれてある。もう、開き直りといっていい文であろうか。
 写真撮影のあと、任期延長したボ○さんが、みっちー、さらには我々を追いまわす。どうやら、プールにはめたいらしい。さらに、二次会があるので、それは避けさせていただいた。


<2003年3月21日(金) 書類作成ほぼ終了
 機関紙の最終チェックとあわせて、最終報告書ならびに引継書などを作成する。活動期間も最終に近づいており、かなり作成する書類も多い。なんとかひとつづつ終わらせて、コピーをとる。

 今、ADEPHCAでは、環境関連のプロジェクトをやろうとしており、そのメンバーがパソコン、プリンターごと他の部屋に持っていってしまったので、印刷がちょっとめんどくさいのである。


<2003年3月20日(木) しこしこと変更
 今日も、朝から機関紙の打合せをする。相変わらず細かいチェックが行なわれる。視点を変えてみれば、彼らもこの機関紙発行には、大きな思いを持っているともいえる。
 打ち合わせ後、しこしこと変更を行なう。


<2003年3月19日(水) 今更ながらチェック
 ブルーフィールズに戻る。夕方から機関紙の打ち合わせをする。マナグアの印刷会社にてデザインなどをある程度決めてきたので、それを最終たたき台としてやる。デザインについては、いい感じであった。表紙も2案持っていき、意見を求めた。
 ただ、記事について、今更しっかりチェックするようになり、結構、変更を言ってきた。おいおい、スペイン語なんだから、最初からちゃんとチェックしておいてくれよという感じだった。


<2003年3月18日(火) Tip Top
 朝の便で、マナグアに向うべくバス停に行く。途中、少年たちが声をかけてきたので、日本のしおりなどをあげる。こうして、涼しいヒノテガを去る。

 マナグア到着後、ガソリンスタンドに設置されているTip Topというファーストフードショップでメシにする。こちらも、ガソリンスタンドに、コンビニやらレストランが一緒に設置されているケースが多い。ただ、ここのファーストフードショップは、いちいち注文をとりにきて、さらに清算もめっぽう時間がかかる。よって、きっちりのお金を机において、出てきた。


<2003年3月17日(月) つぎは、ニカラグァ北部 ヒノテガへ
 今日は、早起きして、ニカラグァ北部、ヒノテガに行く。つい最近まで、ニカラグァ北部3県は、JICA指示にて立ち入り禁止だったため、行ったことがなかったのだ。せめて、少しだけでもと思い、ヒノテガ1泊2日旅行を敢行する。北部は、ずいぶん涼しいと聞く。

 ちょうどうまい具合に、バスに乗れた。行く途中は、どんどん山に入っていく。なんか新潟や長野のスキー場に向うような感じだ。また、バスのなかには、なぜか炭酸飲料水が常備されてた。
 ヒノテガに到着しホテルを探す、何人かに尋ねた後、ちょっと金持ちそうなおっさんに尋ねる。彼は、自分はコーヒー農園主だということを教えてくれ、家で彼のコーヒーについて説明してくれた。ニカラグァ北部は、コーヒーが主な産業になっている。ただ、年々、コーヒーの価格は下落しており、たびたびコーヒー農園の小作人の厳しい状況が新聞に載っている。

 ホテルにチェックインしたあと、湖に向う。湖は、非常に閑散としているが、いちおうまわりを歩いてみる。横手には、魚をしてる人たち、放されている牛、馬がみられ、また、少し歩くと、湿原が広がる。非常にのんびりしてる。しばらく、湖を眺め、ぼーっとする。涼しく、いい気持ちでもある。
 
 夜は、中華を食べに行くが、本格中華ではなく、ニカラグァ中華とのこと。うーむ、ニカラグァ中華・・・・・・、しかし、いろいろとネゴり、ウーロン茶などを出してもらう。その後、ビリヤードに行くが、なんと9時半で閉店。早めに就寝となる。


<2003年3月16日(日) 潮干狩り
 昨日は、プールで遊んだので、今日は、浜辺で遊ぶ。海でばちゃばちゃやってたら、友達が、潮干狩りをやりはじめた。ふーんと思いでみてたけど、ちょっとやってみたら、ばかばかあさりが取れる。最初、「そんなのおもしろいのか」と思った自分に自戒したい。相当、おもしろい。ちょっと掘れば、結構でてくる。聞くところによると、日本の場合は、潮干狩りの朝に、あさりをばらまいておいてくれるところもあるらしい。ここの潮干狩りは、ぜひ家族連れにはすすめである。

 あとは、アマカ(ハンモック)で昼寝。日陰から日なたになると、相当暑いが、下りるのもめんどくさいので、そのまま寝続ける。そうとう日焼けしたかも。


<2003年3月15日(土) ニカラグァ最大?リゾートモンテリへ
 今朝、同期の誘いを得て、ニカラグァ最大?最高リゾートのモンテリに行くことになる。メンバーは3カップル+俺という、稀にない厳しいメンバーだったが、是非もない。
 さて、予約せず到着したものの、なんと部屋がないとのこと。どうやらenitel(ニカラグァ版NTT)の会議かなにやらで、大勢の客らしい。しかし、約2時間かけて来たのに、これはちょっとむごすぎる。そこで、えつやと寺ぴょんが受付とネゴり、なんとか2室確保。7名に2室。泊まれるだけでもうれしい。我々、男性組は、ダブルベッド1つに4人で寝ることになる。

 いろいろと噂は聞いてたが、思ったよりいい。ドミニカで行ったリゾート、ドミニックスにちょっと似てる。どうやら系列が同じらしい。基本のレストランが1つ、特別なレストランが1つ、プール、Disco、ステージなどなどがある。海は、あまりきれいではないが、浜辺は広々としてる。

 午後、プールで遊んでたが、コンタクト紛失事件があり、ショック。皆でプールの中を探してくれるが、さすがにみつからなかった。しかし、全体的には楽しかったかな。


<2003年3月14日(金) お土産買い
 午後からお土産を買いに、ウエンベス市場に行く。以前、買い物したところの女の子がおぼえててくれ、安く売ってくれた(と思う)。それから、ハンモックも買う。あまり値段は下がらなかったけど、「NICARAGUA」と縫ってある。まあ、これがあるために、普通のハンモックより800円くらい高くなってるんだけど、まあよしとした。


<2003年3月13日(木) どんなデザインになるやら
 午前中は、各種申請などを終わらせて、機関紙の件で、午後、印刷会社に打ち合わせにいく。担当の人は、何度か会ってるが、落ち着いたいい人なので、仕事に期待したい。さて、どんなデザインになるやら。


<2003年3月12日(水) Tボーンステーキ
 午前中に、首都マナグアに発つ予定だったけど、作業が終了せず、結局午後になる。ほんとニカラグァ人は直前にならないと動かないところがあるから困る。ニカラグァ人には、ほんとの締め切りを教えてはいけない。

 午後2時にフライトがあると思ってたら、間違えで結局4時半出発。それから、ここ半年愛用していたアエロセゴビア航空がなんと最近運行休止状態が続いており、昔乗ってたアトランティック航空に乗ることに。アトランティック航空の往復切符の復路分を持っていたのだが、職員に使用期限(6ヶ月)が切れていることを指摘されてしまう。「しまった」と思ったが、ここはネゴでなんとか乗せてもらう。

 マナグアでは、同期隊員とおもいきってステーキを食べにいくこととする。サーロインステーキを頼むと、しばらくしてから、店員が来て、「今日は、サーロインがきれたので、Tボーンステーキにしてくれないか」ということ。結局、同じ値段でTボーンステーキを食べることができた。Tボーンステーキなど数年ぶり。よかった、よかった。


<2003年3月11日(火) スペイン語チェック
 昨夜、教授に機関紙データをCDに焼いて渡したが、結局、彼のパソコンでは読めず、うちの職場で作業することになり、彼と夜遅くまでつきあう。彼は、スペイン語をなおしたり、チェックしたりするのが好きらしく、時間がかかってもいいから、いいスペイン語にしたいというようなことを言ってた。

 こちらの人で、ちゃんとスペイン語をチェックしてくれる人はあまりいない。英語圏に留学などすると、よく学生なども結構きちんと英語を直したりしてくれるが、こっちの人は、まあまあ意図がわかる文章だと「まあ、いいんじゃない」的みたいなところがあって、困るところがあります。


<2003年3月10日(月) やっと打ち合わせ
 朝、全員会議のあと、やっと機関紙の打ち合わせをした。約1週間もほっぽられていたが・・・・。まあ、タイトルも決まり、さらにいろんな注文が出された。もう、俺のなかでは、「とりあえず完成させたらいいや」的感覚が生まれてきてるにも関わらず、彼らは、今更新しいアイデアなんかだしてきて、もっと早く言って頂きたいといった感じでもあった。それから、今更ながら、全文章のスペイン語を大学教授にチェックしてもらおうとのこと。

 そういうわけで、今日中に文章修正をおえて、明日、教授にチェックしてもらえるようにすべく、しこしこと作業を行なう。


<2003年3月9日(日) 33歳のお母さん
 今日は、釣りに行こうとしてたけど、昨日のテレビ塔行きで、俺も友人ルーディンも相当疲れてたので、延期とすることにした。

 午後から子供たちのところに遊びに行く。日本に持って帰らない生活用品、文房具やら何やらを、その家族及び近所にあげようと思って、わさわさ袋に詰め込んで持っていく。
 それらをまとめてお母さんに渡し、彼女とも話す。聞いてみると10人の子供の母親らしい。ただ、年を聞いてみると33歳。俺とほとんど変わんないじゃないかという年齢だ。旦那さんは、隣国コスタリカに1年以上行ったまま、仕送りも送ってこないらしい。ただ、なんとか生活してるよう。ただ、子供たちはお母さんにだいぶなついてる。今日は、カメラの使い方などを教えてあげた。この前、撮ってあげた写真をだいぶ楽しみにしてるようなので、今度は持ってきてあげようと思う。


<2003年3月8日(土) テレビ塔及びゴミ捨て場へ
 今朝は、またもやつらいことがあったが、午前中からテレビ塔に行く約束をしてたので、なんとか気分転換しながら行くこととする。予定より1時間ほど遅れてテレビ塔に出発する。だいたい歩いて1時間くらいかかるらしい。テレビ塔には、以前から何度かタクシーで行こうとしてたんだけど、道が悪く、拒否され続けてはや2年だったため、とうとう徒歩にて行く決断をしたのだ。
 
 テレビ塔に行く途中、ブルーフィールズのごみ捨て場を通っていくんだけど、ごみ捨て場の近くには、トタンの家を建てて人々が住んでる。今まで、違う町のゴミ捨て場をいくつか見学したことはあるけど、自分の町のははじめて。ごみ収集トラックにあつまり、手伝いをして、
少しでも売れたり、使えたりするものがないか探してる子供たちがいた。

 そこでの写真を撮ってると、子供たちも写真に興味をもち、何枚か撮らせてもらった。

 ふと思ったけど、2年間もブルーフィールズに住んでたのに、その子供たちには、なにもできませんでした。そして、考えてもなにをしてあげたらいいのかわかりません。モノをあげることくらいしか・・・。貧しいだろうけど、生活してるもん。なんかあげたら、その場ではうれしいだろうけど、別にあげないほうがいいのではとも思った。

 ただ、カメラを向けた時の少女の笑顔はきれいで、かつ俺には心苦しいものがありました。
ただ、俺が写真をとることによって、一瞬の楽しみというか好奇心を与える、
そんなことしか出来ませんでした。

 最後には、テレビ塔まで行ったけど、ゴミ捨て場も見ておいてよかった。それから、農家の家にも寄らせてもらって、いろいろ親切にしてもらった。


<2003年3月7日(金) 週末の予定
 仕事の件で、Directorをつつき、月曜日に打ち合わせをすることにする。こちらは、帰国が迫っており、あせってるけど、同僚達は、のんびりしたものなのである。
 そういうわけで、今週末もブルーフィールズに居ることになったので、週末をどうしようかなと考え、前から行きたかったテレビ塔に行こうと同僚たちに頼んでみる。しかし、土曜日はだめとのこと。でも、俺には日曜日に釣りの約束が・・・・。それで、日曜日に釣りに一緒に釣りに行くルーディンに頼んでみて、快諾。無事、行ければいいが。


<2003年3月6日(木) 打ち合わせができず・・・
 今日も結局、仕事の打ち合わせができず、のんびりと過ごさざるをえなかった。ちょっと同僚ルシアーノからブルーフィールズの教育事情などの話を聞いたりする。


<2003年3月5日(水) 荷物送付
 ちょっと荷物の整理をはじめてて、今日、ダンボール1つを送りに郵便局に行った。郵便局では、やはり確認ということで、いちいち中身を出させられる。郵便局ガールは、一応、所定の用紙に記載していく。俺としては、「せっかくきれいに梱包したのにー」とささやかな抵抗をしたが、まあこれは予想されたことでもあった。最後に計測したところ、30.3リブラ(約14kg)、値段は1,465コルドバ(約14,000円)だった。まあ、だいたい1kgで1000円くらいである。

 この郵便物送付作業は、暑いなか、梱包物を入れたり、出したりし、さらに、CHKされてるあいだ、待ったりするので、結構疲れます。


<2003年3月4日(火) 最終評価終了
 今日は、職場にJIICA調整員に来てもらい、最終評価をしてもらう。俺が2年間の活動について述べ、職場のDirectorとカウンターパートがコメント、最後に、調整員が講評を行なうというもの。ニカラグァ人は、たいしたことないことでも、あたかもたいしたことのように言うことができるので、良いと思われるようなコメントをしてもらう。


<2003年3月3日(月) 満面の笑みの少年
 せっかく午後いちに仕事の資料をそろえたものの、Directorもカウンターパートも外出から帰ってこずで、ちょっとフラストレーションがたまりながら、家路につきました。

 そこで、知り合いの少年が満面の笑みで「おい、チーノ」と呼びかけくる。
 彼いわく
  「今日、学校の試験があったんだけど、結構できがよかったよ。」
 ふむふむ、こういうのを聞くと、ふと心が和みます。


<2003年3月2日(日) 夕方6時まで停電
 今日は、いろいろやろうと思ってたら、停電。しかも夕方6時まで。俺の部屋は、日当たりがないに等しいので、他の部屋で、本を読んだりして、電気がくるのを待つが、結局、夕方から外出することにする。

 夕食後、土産売りの知り合いに会ったので、ちょっとみせてもらう。もう、一気にたくさん買ってしまってもいいのだが、一つづつ手作業があるので、数個買って終わる。


<2003年3月1日(土) 同僚パオラの卒業式
 午前中、メガネ屋に行き、購入を決意するが、なんと納品に1ヶ月かかるということ。やはり純国産を買えという仏陀の指示なのか、ということで、メガネ屋のMuchacha(女性)に「また考える」といって退散。

 午後は、同僚パオラの国立工業技術学校(INATEC)の卒業式に呼ばれてたので、行く。ただ、もう卒業式は見飽きてるので、終了寸前に会場入りしようと思い、まずは夕御飯。その後、会場に向うと同僚シルビアがトラックの荷台に乗って友人と雑談してるので、さっそくそれに交ぜてもらい、8時すぎまで雑談する。

 卒業式にちょこっと顔を出した後、パオラの家でPARTY。友人、親戚、近所など30人以上集めてのもの。飲み物、食べものなどほとんど主催者負担なので、大変だと思う。しかし、ニカラグァ人にとっては、それほど卒業式は意味があるものらしい。卒業式では、親子満面の笑顔をみせ、涙も多々ある。俺の友人などが、日本では大学の卒業式をぶっちしてたのに比べるとえらい違いだ。
 
 PARTYは、夜11時頃で退散させてもらうこととする。記念にデジカメでも写真をとってあげる。ただ、真っ黒の長いストレートな髪をもつ少女と踊らなかったのが、少々の後悔。「気軽に。」も今年の目標に追加しよう。


<2003年2月28日(金) URACCAN大学新入生歓迎会
 今日は、URACCAN大学でちょっとした新入生歓迎会のようなものがあったので、行くことになった。ほんとは遠いので、あんまり行く気はなかったんだけど、3人ほどから声がかかったので行くことにする。

 しかし、相変わらずしょぼい。アルコール類は売られている。また、校舎の一部は踊るスペースとなっている。もう踊るしかすることがないという感じ。結局、数人の女性にお相手していただき、なんとなしにお開きとなる。


<2003年2月27日(木) 8月、市役所に新隊員
 市役所に行ってみた。今年8月に新しい隊員が配属されることが決定したらしいので、まあ内々で連絡がてら、新隊員の仕事内容を聞いてみた。
 友人ルイスと話したんだけど、彼がカウンターパートになるということで、ひとまず安心した。彼は非常に実直な人だし、市役所ナンバー3でもあるし。隊員の職種は、「青少年活動」ということで、市役所と国の各種機関及びNGOと協力して行なっている、女性、子供向けのプロジェクトに幅広く参加してもらい、後のその隊員の得意分野を特に重点的にやってほしいとのこと。また、今年は、ブルーフィールズ市制100年ということで、様々なイベントを企画しているので、それにも参画してほしいとのことだった。ある程度受け入れる状況ができてるようで、よかった。


<2003年2月26日(水) 久しぶりに子供たちと遊ぶ
 今日は、ゆりちゃんが職場を訪問してくれる。同僚ルシアーノ・ガルシアも、Directorも喜ぶ、喜ぶ。やたら、トークが長い。実は、今、俺の後任の隊員の件をJICAと調整しているのだが、彼らは女性隊員希望。俺は、できれば年配でとっても大きな女性をお願いしようかと密かに目論でいるのだが、彼らは、もちろんセニョリータ希望。今から、仮にセニョリータが来たら、彼らから守ってあげてくれと女性同僚に頼んでまわってるところ。

 さて、午後は、ブルーフィールズ案内。丘の上のレストランで食事をしたあと、子供たちの家に遊びに行く。子供たちも女の子が来たせいか、随分楽しそう。ここの子供たちと一緒に居る時間はほんと心地がいい。家でちょっと遊んだ後、一緒に散歩する。

 俺は、子供ができたら、お母さんのおなかから出てくるまでは、性別は秘密にしておいてもらおうという強い意志をもっていたんだけど、彼女いわく「お腹のなかにいるときから、というか、精子と卵子がくっついたときから、子供は生きてるんですよ」ということ。なるほど、これには兜を脱ぐことにした。言われてみれば、おっしゃるとおり、お腹のなかでもう子供は生まれてるんだよね。非常に最もなことを聞かせていただいた。
 いつになるかわらないが、子供の性別がわかったら、ぜひ教えてもらうことに、おそらくすることになると思います。


<2003年2月25日(火) はにかみ屋さんたち
 ゆりちゃんたちが、ブルーフィールズ近くのラマキーという村に行くので、便乗させてもらった。ラマキーまでは定期ボートがないので、ボートを貸しきらないといけないのだ。
 
 ラマキーは、ブルーフィールズから30分くらいの村だけど、随分自然に近い村。行ってみると電気はいちおうきてるみたい。ただ、着いたときは、なんか別の国に来たみたいだった。ラマキーには、ラマ族の人たちが住んでて、子供たちはとくにスペイン語を知らない。俺もラマ語は知らないので、言葉でのコミュニケーションはできなかった。ただ、ラマ族は、モンゴロイド系の人々らしく、我々と顔立ちもちょっと似てる。

 まあ、ただの訪問者の俺にとっては、ほんとのんびりしていい感じのところだった。たくさんの子供がいる。はらっぱではサッカーをしてる。
 また、一人少年がいて、彼は、ゆりちゃんがカメラを向けると一目散に逃げていく、でも、また追いかけてきて、またカメラを向けると逃げていく。でも、また追いかけてくるといった行動をくりかえしてた。はにかみ屋さんだ。
 1時間くらいの短い滞在だったけど、去る時に手を振ると、少女たちも笑顔で手を振りかえしてくれた。なんかもっとゆっくりしたい気持ちにさせられる心地いい場所だった。


<2003年2月24日(月) 星空はいつも
 今日も職場では、朝7:00から会議。機関紙の話も一応触れられるが、はやく原稿を出して頂きたいといった感じです。
 
 夜、ニカラグァ北大西洋自治区(RAAN)プエルトカベサス隊員のゆりちゃんが、ブルーフィールズに来てたので、彼女のNGO同僚たちと食事を共にする。その後、フレッシュポイントという海辺のBarに行く。フレッシュポイントには久々に来ることができてよかった。ここからは、よく星が見えるし・・・。「こんな風につまづく私のことさえ 星空はいつも照らしているから」(by 岡村孝子)


<2003年2月23日(日) 彼は何国人?
 夕涼みをしに、公園で座ってると友人カウラと出会ったので雑談を楽しむ。
 

 彼女いわく、「ねえー、あそこにいる人、日本人じゃない?」

 俺「うーん、いやあ、ちょっとここからじゃ、わかんないっすねー。韓国人かもしれんし、中国人かもしれんし・・・・」
 
彼女「いやあ、日本人じゃない?」
 俺「じゃあ、確認しにいってみる?」
 
 ということで、彼には失礼だけど、3m近くまで近づいてみた。でも、結局、よくわからず「すいません。」と声を掛けてみる。しかし、No reaction.
 それで、カウラが側に座ってた白人ガールに聞いてみると、どうも台湾人らしい。
 そこで、彼に「Ni是台湾人Ma?」と聞いてみると「是、Ni是那里人Na?」と返ってくる。ということで、「我是日本人」と答える。そういうやりとりをしながら、全員で話すことになる。彼らは、3人でブルーフィールズに来てて、白人ガールはオーストリア人、一緒にいったラテン系ボーイはスイス在住ボリビア人。そして台湾人の彼は、台湾系オーストリア人というインターナショナルな顔ぶれだった。 
 せっかくなので一緒に食事に行く。しかし、彼らは安い店希望ということだったので、職場の前のCOMEDOR(食堂)で、会食。結構、満足してくれたみたい。台湾系の彼には、日本語での名前の書き方を教えてあげたら、随分喜んでくれた。彼の名前は、偉希といい、なかなかいい名前である。


<2003年2月22日(土) メガネ屋に行ったけど・・・
 予想していたことですが、朝から少々つらい連絡がありました。しかしながら、頑なに生きるしかありません。とりあえずメガネ屋に行きました。

 こっちでは、メガネが随分安いらしく、メガネ屋のお姉さんいわく「50ドルくらいからとのこと」。それで、あれこれケースからフレームを出してもらい、入念にチェックし、気に入ったのを一つ選ぶ。それから、奥の部屋で検査。こちらの視力検査は、数字をみて、読み上げて測る方法らしい。最初、おもいきり「さん、ごー、にー」などと日本語で読み上げてしまった。

 さて、トータルコストはということになると、俺は視力が随分悪いため、さらにいいレンズを選んだところ、なんと140ドル程度。なんじゃ、こりゃ。結構高いじゃないか。一応、ネゴって10%OFFを引き出したものの、ちょっと保留にさせてもらう。ただ、メガネ屋のお姉さんの利発な対応は心地よいものがあった。


<2003年2月21日(金) 朝から誕生会
 今日は、朝7時集合とのこと。なんだと思い、行ってみると、最初は、ちょっと連絡事項があったのだけれど、ようは2月生まれの職員2人の誕生日を祝う朝食会だったのだ。ケロッグコーンフレスト、ケーキ、パン、フルーツポンチなどがテーブルにふんだんに並べられる。ちなみに、開始は8時ね。重い朝ごはんだった。


<2003年2月20日(木) 携帯メール
 今日は、エアロビがないので、ゆっくり過ごす。
 ときたま、携帯電話で携帯メールを書いたりするのだが、ボタンが固いのでちょっと使いづらい。もっとスワベシート(やわらかく)してほしいものだ。あれって、使用料とられてるのかな?ちょっと分かりません。もちろん日本語変換はできません。
 明日は、朝7時集合なので、無理やり早めに就寝します。


<2003年2月19日(水) 心うれしき写真
 朝から、鍋のガラスのふたをぶち割ってしまい、ブルーな一日の始まりを迎えてしまいました。

 しかし、ホンデュラスの同期大福さんが昔の写真を送ってくれました。心温まる写真。それだけで、なんか幸せな一日となりました。思わず何度も写真をみなおしてしまいました。


<2003年2月18日(火) 父の手術
 今日は、日本で父が手術を受けた。家族からの連絡によると無事終了したらしい。回復するまでは、まだまだ時間がかかると思うが、ゆっくり休養しながら回復してもらいたいものと思う。


<2003年2月17日(月) 子供たちとおしゃべり
 エアロビ後に、友人ケイラたちに会う。「日本語を教えて」とのこと。ちょっと着替えたかったけど、まあ、やってあげる。家の外に座り込み、彼女達3人とノートに書き込みながらやっていく。なかなか利発でいい子たちだ。彼女達は、14歳と12歳だから、中学生くらいかな。すぐに飽きるかもしれないけど、請われれば、いつでも応じる。

 帰りは、なぜか彼女達に送って頂くことになる。


<2003年2月16日(日) 今日は飲み
 今日は、床屋ボーイ(いまだに名前を知らない、というか、もう聞けない)と飲む約束になってたので、あわてて昼寝から起き上がり、そそくさと着替えて出掛ける。しばらくは、その床屋でうだうだ飲み、やがて、タクシーでちょっとした空き地まで行く。タクシー運ちゃんも彼の友達。

 その空き地は、はじめていくところ。日中は、子供たちがサッカーなどをしてるのではないかと思われる。そこにタクシーを止め、計4人で飲む。安ラム酒「Ron Plata」とコカコーラで。
彼らは、結構飲んだ後、突然、空き地を走り出す。彼らの理論だと、酒を飲んだ後に走ると、酔いがまわらなくなるらしい。床屋ボーイも空き地を何週も走ってた。結局、俺も走ることを促され、とりあえずやっとく。何が悲しくて、夜の空き地を一周しないといけないのかとも思うが・・・。しかし、彼らの理論は全く逆な気がする。関係ないが、満月をのぞみながらのたっしょんは気持ちよかった。

 帰り、案の定、床屋ボーイは吐き出す。どうにかして、なんとか帰途につく。ただ、タクシー運ちゃんも飲んでるので・・・・。途中、対向車と軽く接触し、サイドミラーが粉砕される。車は、運ちゃんの所有ではないので、とりあえず車内の粉々になったガラスを外に出す。困ったもんだ。家に帰ったのは、夜の8時半。まだまだ夜は長いのに、解散時間は結構早かった。ちょっとラッキーと思ってしまった。


<2003年2月15日(土) のんびりと
 家でのんびりした休日を送る。せっせと洗濯をする。

 夜は、久しぶりに実家と友達に電話をする。そしたら、夜、他の友達からも電話があり、今日は、2時間半ほど電話でのおしゃべりを楽しんでしまった。 


<2003年2月14日(金) バレンタインデー
 今日は、なかなか忙しかった。午前中、打ち合わせがあり、午後は講習会。夜は、エアロビ。また、バレインタインデーなので、若者達は、街に繰り出している。ただ、俺はというと、最近は、ちょっと家で落ち着きたいモードなので、出歩かず、頑なまでに本を読みふける。

 ちなみに、こちらのバレンタインデーは、女性がチョコレートをくれるわけではない。多分、プレゼント交換のような感じになると思う。また、知り合い同士は「おめでとう。」と言い合う。何がめでたいのかわからないが、俺もいちおう「felicidades(おめでとう)」と言っておく。そしたら、彼らも笑顔で「feicidades」もしくは「igualmente(こちらこそ、あなたもね)」などと返してくる。


<2003年2月13日(木) Me encanta
 俺は、マナグアに行くと、いつも職場にチョコレートをお土産に買ってきてあげる、というか買わされている。前回は、チョコレートをもらえなかった子から不平不満を言われたので、おっきめの袋を買ってくる。
 これだと結構余るので、他NGOのジャッカルたちにもあげる。ジャッカルにチョコレートSNICKERSをあげると、「Gracias. Me encanta」(ありがとう、とってもうれしいわ。)とのこと。これくらい言ってもらえると、こっちもあげ甲斐があるというものだ。「Me encanta」は、ちょっとオーバーにも聞こえるが、言われるとうれしいものだ。ちなみに、俺も「Me encanta」は、結構多用する。


<2003年2月12日(水) あいのり あけみちゃん
 そういや、先日、「あいのり ニカラグァ編」のビデオをみた。やっぱ知ってるところがいっぱい映って、そこにあいのりメンバーが行ってて、うれしく感じた。さらに、友人のあけみちゃんが登場してて笑えた。密かに同期隊員おそめさんも後ろにうつってた。あいのりHPをみてたので、内容は知ってたんだけど、ほほえましかった。あけみちゃんは、「知ってる?女神の後ろ髪ははげなんだって」と、あいのりメンバーにアドバイスを与えてたよ。

 今日、ブルーフィールズに戻る。


<2003年2月11日(火) 学校見学
 朝から、でっちゃんの職場の学校に行く。彼は、学校でニカラグァ人教師に自動車整備のことを教えている。その学校は、自動車整備科の他に、建設科、一般科(中学校?)、秘書科などがある。丁寧にも、ほぼ全ての関係者に俺を紹介してくれた。設備、内容は、結構いいほうだと思う。建物もきれい。

 秘書科の授業にもちょっと顔を出させてもらい、自己紹介などをさせてもらう。秘書科の生徒が相手だけに、知らず知らず冗舌になってしまう。こんなにいっぱいの女の子がいてうらやましいみたなことをでっちゃんに言うと、「俺は、去年をみてるだけにね。」という。去年は、さらにかわいい子がいたのか?
 
 自動車整備科の若者どもは、我々に興味津々。でっちゃんが、日本語で悪い言葉を教えた、というか教えられされたせいか「おかま!」などと連呼してくる。困ったもんだ。


<2003年2月10日(月) 印刷会社と打ち合わせ
 今日は、印刷会社に行き、機関紙発行の打ち合わせをする。その会社には、デザイナーが何人かいて、彼らは、イラストレイターやフォトショップをつかって構成をするみたい。いくら、こっちでデザインをある程度決めていっても最後には彼らがやってしまう?やってくれるようだ。最終的に、こっちが用意すべきものを聞いて、見積を出してもらった。

 夜は、たけお君に「鳥のからあげ」をごちそうになる。あげたては、とくに美味しかった。


<2003年2月9日(日) 先輩隊員との再会
 朝、ひと風呂?あびたあと、チェックアウトまで昼寝する。太平洋側にくると、どうしても他隊員とおしゃべりなどを楽しみ夜更かしするので、午前中は、結構寝てしまう。

 夕方、おととしまでニカラグァ隊員だった先輩隊員が、連絡所に遊びに来てくれたので、皆で話す。彼は、10日間ニカラグァに滞在したらしいが、なんとアメーバ赤痢にかかってしまったらしく、数日間倒れてたらしい。原因は思いつかないということだったが、よくよく聞いてみると隊員時代も飲んでなった井戸水を飲んでたのこと。そりゃ、なるかもしれないね。翌日、その場所では、子供が行水したららしいし。
 しかし、彼は大きかった。隊員時代の1.5倍くらいになって現れてくれた。しかも、肩にかかるほどの長髪。「ゴルゴ13」などの漫画本も持ってきてくれた。


<2003年2月8日(土) 温泉に行こう。
 午前中は、また帰路変更の旅程見積をとるべく、旅行代理店に行く。やはり予想通りのルートが一番安かったので、即決め。元パンクラスの船木誠勝いわく「秒殺」である。コパ航空、コンチネンタル航空で、マナグア→パナマ→キト(エクアドル)→ニューヨーク→成田である。マクドに行き、雑誌などを読みながら、落ち着いた時間を過ごす。

 午後は、隊員健康管理旅行というのがあり、ニカラグァ中部のボアコ温泉に行く。ボアコまでは、マナグアから1時間半ほど。山々の間をすすんでいき、のんびりとした牧畜風景などをみることができる。道もきちんと舗装されているので、なかなか快適だ。

 ボアコ温泉は、温泉といっても温水プールがいくつかあると考えてもらったほうがいいかも。さらに宿泊施設がある。ちょっと水中眼鏡を借りて、泳いでみる。なかなか、きもちよかった。


<2003年2月7日(金) はじめての中華料理屋
 午前中は、職場に出て、コピーしたり、機関紙の件で打合せしたりして過ごす。相変わらず秘書がつかえないので、いらいらしながらも自分でやる。また、合間をみて、今日も行なわれてる顧客向け講習会に顔を出す。講習会責任者が病気で休んでるんだけど、担当者レベルで円滑に行なっていた。
 
 夕方、首都マナグアに飛ぶ。隊員連絡所では、とんかつのご相伴に預かるお誘いを受けたにもかかわらず、苦渋の思いで断り、中華料理を食べに行く。「SOKO」というレストランに初めて行った。頼んだのは、麻婆豆腐、小龍包、餃子。でっちゃんと一緒に行ったのだが、麻婆豆腐はいつも彼の指示で頼まざるをえなく、私の一切の拒否権すら認められていない。だから、せめて餃子だけでも頼むというのがぎりぎりのネゴだった。しかも、でっちゃんは、「ここの麻婆豆腐はあんまりおいしくないんだけどね。」と数回にわたり言う始末。

 食事中、女店主が話し掛けてきてくれる。いろいろと話し、内容は中国、台湾問題にまで及ぶ。そう、彼らは台湾からの移住者なのである。ふむふむと聞いて、彼女が去った後には、すっかり冷めてしまった料理が残された。


<2003年2月6日(木) 俺のじゃないよ
 今日は、機関紙作成作業をしこしこと行う。なかなか記事が集まらないような、集まったような感じだ。発刊にこぎつけたとしても、俺の機関紙ではなく、組織の、ADEPHCAの機関紙であることを、彼等に認識させる必要がある。だって、第2号を発刊するのであれば、そのときは俺はいないんだもん。


<2003年2月5日(水) 企業家インタビュー
 「成功した小規模企業家」の記事を機関紙に載せるためにインタビューに行く。1件は、雑貨屋、もう1件は、靴・服屋。

 雑貨屋では、「スーパーとかが押し寄せたらどうするんだ?」と聞いたところ、「私たちは、卵も1個ずつ売るし、お米など穀物も少しずつ売ってる。また、今は、周辺の住民は遠くのスーパーに買いに行く習慣はなく、ちかくのうちに買いに来る。」と言ってたのが印象的だった。確かに昔の日本にも多くの雑貨屋があって、子供の頃、よくお菓子とか買いにいったものだ。だからといって、あと10年くらいはその経営で成り立つのかな?

 靴・服屋は、昔、野菜屋をやってたけど、競争はあるは、利益が少ないはで、今の商売に変えたらしい。なかなか先見性のあるおっさんだ。アドバイスを求められたので、店内に鏡を多く設置することと、バーゲン製品などの広告を目立つようにすることなどを述べておいた。

 少しでも多くのブルーフィールズの企業家に成功してもらいと思う。


<2003年2月4日(火) エアロビクラス開始
 同僚ブリジェットが「今日は、会場の鍵をもってるからエアロビクラスをやるわ」と言ったので、まあ信じて行ってみる。結局、10人弱ほど集まり、クラスがはじまる。ディスコの音響装置をつかって音楽を鳴らしてるので、やたらとうるさい。

 初日のため、動きを覚えなければいけなく、皆、なかなか大変そう。全体の流れとしては、スムーズとはいかなかった。しかし、ちゃんと運動したことはしたので、汗は結構いっぱいかいた。

 ただ、このままクラスが順調に運営され、俺もちゃんと出席し続けることができれば、全盛期のような身体に近づけるのではないかと密かに目論見ます。


<2003年2月3日(月) やっぱり、なし。
 今日、うちの職員ブリジェットがエアロビクラスを始めるというので、行ってみることとする。5時45分に帰宅し、懐かしのジャージのズボンをはき、タオルをもち、会場へと向う。会場はディスコ。6時くらいに着いてみると、4人ほどがディスコの前で待ってる。無論、ブリジェットもいる。彼女は、職場から直接来てるのだから。しかし、ディスコは閉まってる。どうやら、管理人が鍵を持ってきてないみたい。

 ニカラグァ、こんなのは予想の範疇。片隅に立って、人々が店を閉める光景や走り回る子供などを眺めてる。意味なく、風景を眺めるのは嫌いではない。そんなこんなで、30分ほど待つが、結局、鍵は来ず。解散となる。

 せっかくジャージにスポーツシューズなのだから、家まで走って帰ることとする。最初の50mくらいは高橋尚子の気持ちがわかるくらい、走るのがきもちよかった。しかし、真っ暗だし、道が結構ぼこぼこなので、途中走りずらくなってくる。しかし、「最後までやりぬく」精神で、家までの完走を果たす。


<2003年2月2日(日) さつまいもごはん
 さつまいもごはんをつくってみる。まあ、ごはんにさつまいもを混ぜて、ごましおをかけるくらいなのだが。味は、まあまあかな。ときには、普通のご飯ではなく、こういうのもいいかなという感じ。ちなみに、さつまいもはブルーフィールズでは売ってません。先日、うちの娘も「これ何?」と聞いてきました。ただ、俺はさつまいもをスペイン語でなんていうのか知らず、答えられなかった。一応、スペイン語ではbatata。
 さつまいもは、首都マナグアでわざわざ買ってきてるのです。


<2003年2月1日(土) いずれ中国視察
 「中国株」の本を一気に読み終えてしまう。だいたい要領はわかった。さて、日本に帰るまでにどの株を買うのか考えてみたい。(今はお金がありません) とりあえず、発展するであろう業界の大手。本や有識者の受け売りだが、中国には、マイカー、そしてマイホームブームがじきにやってくる。そのあたりで、絞っていきたい。家電メーカーもずいぶん飛躍しているが、これに投資するわけには心情的にいかず、日本メーカーに頑張ってもらいたいと思う。

 中国を視察しにいかねばと真剣に考えてしまった。とりあえず他の雑誌の「中国東方航空 往復航空券プレゼント」に応募してみることとする。17年ぶりに上海に行くかも。


<2003年1月31日(金) ロングランの講習会
 今日は、職場で講習会を行なった。内容は、主に「市場、顧客対応、会計」など。昼1時半から6時までとロングランだった。結構長いのに、誰も眠らずに聞いてた。俺は、昔、会社の会議で眠りに陥ってしまい、きつくお叱りをうけたものだが・・・。まあ、今回の参加者は、大口融資希望者なので、ある程度、会計については知ってるようだった。市場やお客対応についてももっともらしく意見も言ってたけど・・・・、これについては実践してるかは疑問符である。講師は、大学から呼んで、非常に熱心に講義をしてくれた。

 また、母親が送ってくれた荷物が届く。ここ毎日、郵便局にチェックしにいったかいがあった。たのしく本を読みふける。年賀状も同封してくれたが、ずいぶん2人、3人、あるいは赤ちゃん1人などの写真つき年賀状が多い。ただ、あえて言わせていただけるとしたら、赤ちゃんのみのはやめて頂きたい。誰の子供か見分けつかんっちゅーに。せめて両親と一緒に映った写真を採用してほしいと声をちょっと大にして言いたい。ついでにいうなら、手書きのメッセージなしの年賀状もあるが、これについては、まあまあうれしいけれども、今年からは、心を鬼にして返礼を遠慮させて頂こうと検討している。


<2003年1月30日(木) ちょっと忙しい
 最近、らしくなく残業をしている。といっても朝方になるなんてもんじゃ、全然ないけど。同僚たちも明日の講習会に向けて、いろいろ準備している。今が、少しは忙しい時期といえるかも。


<2003年1月29日(水) 機械なしでもいろいろできるんだなあ
 職場に向ってると、近所で木の葉狩り?、枝狩り?をしてた。15m以上はあろうかという木なんだけど、少年たちがサンダルで、はしごもつかわずに登っていく。そして、相当、上のほうで、マチェテ(小刀)で、枝を切ってる。いやあ、人間って機械なしでもいろいろできたんだなあと感嘆した。しかし、どうやって下りるのか?また、自分が座ってる枝が折れでもしたら、自分も落ちるなどとは考えないのか?などとも思った。


<2003年1月28日(火) ガスがない
 今日、Curtが機関紙の表紙案をつくったので、みせてもらうとなかなかいい。Photoshopで結構すらすらつくってた。彼のデザイン能力とパソコン操作能力には、脱帽する。

 俺は、ADEPHCAのHP日本語版のために、しこしこ和訳作業に励む。なんでこんなまどろっこしい言い方をするのかと時折原文に憤りを感じながら、すすめていく。

 夜、家に帰り、さあご飯をたきましょと思ったら、なかなか火がつかない。2,3本マッチをつかってみるが、やはり同じ。どうやらガスがないようだ。仕方なく、家族にご飯を分けてもらい、うちの犬(俺はタロウと名づけているが)と一緒に食べる。


<2003年1月27日(月) なんかいいことがあったような・・・
 朝、JICA調整員から電話があり、ボリビアの治安悪化のため、入国禁止ということになったとのことであった。これで、帰路変更の際のボリビア行きは消えてしまった。しくしく。せっかく楽しみにしてたのにー。しかし、ボリビアで活動している隊員もいっぱいいるし、いち早く沈静化することを願う。
 
 職場では、会議があり、組織の機関紙を発行するための打合せもした。来週中にある程度のめどがつけばと思う。

 午後、また女の子の話で恐縮だが、事務所に女の子が来てて雑談してる姿をみかけた。一瞬しかみえなかったが、かわいい子が来てるなと思った。その子は、あとで、俺のところにも来てくれた。実は、去年、うちの事務所ADEPHCAで研修をうけてたTatianaだった。そりゃ、合点がいった。彼女いわく、今月から銀行で働き出したらしい。シャツにタイトスカートというお洒落ないでたち。まゆげも細くして、髪も以前より短くしている。しばらく、雑談を楽しむ。恩師が送ってくれた日本の切手をもプレゼントしてしまう。彼女が帰ったあと、なんかいいことがあったような1日に思えてしまった。


<2003年1月26日(日) 撃沈
 夕涼みをしに、公園にでも行こっかなと思う。すると、公園の目前で、飲んでる床屋ボーイ(名前覚えておらず、聞きそびれている。)に会った。まあ、結局、彼らと飲むことになる。しばらく飲んでるとテレビでボクシングが始まった。ニカラグァではボクシングが人気で、何人か世界チャンピオンがいる。今日も、ニカラグァ人のチャンピオンが防衛に成功した。ものすごく大ぶりで攻撃的なチャンピオンだった。

 それから、彼らの友達の誕生日パーティーに行く。9歳の男の子の誕生日。家では、お酒と夕飯が振舞われ、皆で踊ったりする。子供が踊ってる姿をみると、とてもほのぼのして楽しい。俺も何人かの女性と踊ることとなり、かわいい女の子とも踊ることができた。一人は、薄いピンクのシャツを着て、髪を後ろに結んだ少女。そのときの1シーン。 
 俺「彼氏はいるの?」
 
彼女「ううん」
 俺「えっ、なんで?」
 
彼女「だって、まだ14歳だもん。」
 俺「そっか、いつ誕生日?」
 
彼女「今月のおわり」
 俺「じゃあ、もうすぐ15歳だね、15歳になったら彼氏つくってもいいの?」
 
彼女「うん」
 俺「じゃあ、そのときは俺を選んでくれる?」
 
彼女「だめ」
 やはり、撃沈であった。


<2003年1月25日(土) 義弟 孫悟飯
 先週末に続き、ゆっくりと本を読んだり、犬とじゃれたりしながら週末を過ごす。今、読んでる本「神の火(高村薫)」は、上巻後半くらいから、だいぶ面白くなってきた。原子力をキーとしたミステリーなので、最初、原子力関連話題が多く、なかなかすすみずらかった。俺は、理系分野は、とくに弱いのである。昔は、得意教科が数学だったのに・・・・。ようは、中学、高校レベルの数学は、理論を理解するのではなく、数式を記憶してただけだったのだろう。
 
 夕方、また友人ウイリアムの家に飲みに行く。今日は、先週と比べると人の集まりが早く、6時半で結構集まってた。一時、「ドラゴンボールZ」の話題になった。俺は、サイヤ人のあとからのストーリーの詳細をきっちり把握しておらず、明確に説明できなかった。いちおう、孫悟飯は、俺の義弟ということにしておいた。


<2003年1月24日(金) メルシーボークー
 職場にて、今年2回目の、小規模企業家向け講習会。先週行なわれた第1回の内容をさらに改善させた。講習会リーダーのルシアーノが、相当、積極的に取り組んでいる。出席者は、前回より少なかったが、まずまずだったと思う。俺は、事前にアドバイスをし、あとは当日セッティング及び写真係をつとめたくらいだったけど。

 出席者に、一人欧米人がいた。なんか視察かなと思って話し掛けてみると、彼は、木材企業を手伝ってるらしい。ジャンというフランス人。何度か彼を街で見掛けたことがあった。久しぶりに「メルシー ボークー」と数少ないフランス語ボキャブラリーを披露する。


<2003年1月23日(木) Watch Bolivia
 今日は、以前からしこしこつくってた職場の財務状況表及びその分析をDirectorたちに提出した。これをいかにいかすかが更に重要なことだが、少し肩の荷がおりた感もある。

 また、JICA事務所より連絡があり、帰路変更の件で、ペルー リマ経由でのボリビア行きが認められた。この経路だと同日中にボリビアに到着することが出来る。(その他の経路だと中継空港泊が必要となる。)ただ、今度は違った問題が発生。ボリビアの治安が悪化しているようで、政府とインディオ間でいざこざが起きてるらしい。現在、JICAの指示では、隊員は、首都ラパス及び第二の都市サンタクルース以外は立ち入り禁止とのこと。もう、勘弁して頂きたい。しばらくボリビア情報をwatchしよう。


<2003年1月22日(水) 携帯電話しよう
 今日は、貸与頂いた携帯電話を使ってみることとした。電話をかける場合は、最初に、テレホンカードを購入(我々隊員は、JICAより$12/月支給)し、その裏をコインで削って現れる番号を入力する必要があるのだ。プリペードカードシステム?というのかな。日本の主な携帯電話サービスのように基本料などを支払う必要はない。

 さあ、さて入力しましょと思ったら、なんかなかなか出来ない。それで、同期寺ぴょんに普通の電話から電話して、教えてもらう。なるほど、なるほど。

 しかし、この携帯電話、随分小さいので、口と受話器の距離が結構、遠い。ときおり、ちゃんと通話できてるのか心配だが、まずまず問題はない。


<2003年1月21日(火) また同僚が去る
 システムエンジニアとして働いている同僚Curtが、来月から職場を去ることを知り、驚く。彼は、コンピューターに関しては、非常に詳しい。彼と一緒にやろうと思ってた仕事がいくつかあったのだが、こんなことになるとは。まあ、後ろ倒しにしていた俺が悪いんだけど。

 しかし、今日は、コンピューター間のデータ移動がうまくできなかったりと、少々、いらいらが募る日であった。


<2003年1月20日(月) 慣れてない携帯電話携帯
 今日は、携帯を使おうと思ってたら、職場に忘れてきた。携帯などしばらく使ってないので、まだ慣れてない。だって、日本に居る時ほどかかってこないんだもん。携帯間の通話料も高いし。

 最近、メシを食べてるといつもそばにうちの犬がやってくる。どうやら、ちょっと欲しいのだろう。うちの家が彼にどんなメシをあげてるのか知らないが、「クーン、クーン」と鳴かれるとあげざるをない。


<2003年1月19日(日) 酔っ払いの女の子登場>
 今日は、友達の家に行く。友人レイムンドが5時に迎えに来たのだが、友人宅に行ってみるとやはり我々が一番乗り。早すぎるよ。しばらく、夕涼みなどしながら、待ってると、一人酔っ払いの女の子がやってきた。なんかわけわからんことを話してくる。彼女は、ちょっと長居モードに入ってきて、コスタリカで会った中国人の話を始める。「ほー、ほー」とか連発してくる。多分、「ニーハオ」と言いたかったのだろうか。

 それから、だいぶ人も集まりだすが、またもや8割が男というわけわからん構成になってくる。しばらく飲んでると、また、さっきの酔っ払いの女の子がやってきて、結局、踊りに誘われる。勘弁して頂きたい状態だったのだが、致し方ない。
 
 それから、ラリーという大学生も来てたのだが、さっきまで、その女の子をだっこしてたと思ったら、今度は、俺のところにやってきて、IMFのニカラグァに対する援助についてどう思う?などと聞いてくる。さて、彼は、今後、どんな道にすすむのだろうか。


<2003年1月18日(土) 再会の歓迎会
 おととし、同僚として一緒に働いていたDavid(元ピースコープ隊員)がブルーフィールズに来ているので、歓迎会をすることになった。彼が懇意にしている家で会を開いてもらい、職員のほとんどが集まった。
 久しぶりにラム酒を飲んだが、なかなか美味しく感じた。また、こういう会ではおきまりの踊りももちろんやらざるをない。 


<2003年1月17日(金) 講習会開始
 職場で、新プロジェクトの顧客への講習会を行なった。昨年末、日本大使館より資金の供与を得て、今年から大口融資に対応するようにしたのである。最高80,000コルドバ(約80万円)までの貸付を行なう。
 
 講習会では、ニカラグァ職員3名が説明を行なったのだが、しゃべらせると相変わらずうまい。緊張のきの字もなしといった感じ。18名の参加者があり、活発な質問もみられた。しばらく、講習会を続け、来月あたりから、審査・貸付となる予定である。


<2003年1月16日(木) 順ちゃん去る
 今日は、同任地隊員順ちゃんがニカラグァを去る日。一緒に空港に行き、別れをつげる。まあ、3ヵ月後には、俺も日本なんだけど、しばしのお別れだ。空港には名残雪がみられたような気がする。
 
 俺もその足で、ブルーフィールズに戻る。家に戻ると、夕方には晩飯を食べ、そのまま即寝した。


<2003年1月15日(水) 国産にこだわるべき
 今日は、のんびりとネットサーフィンをする。隊員連絡所は、現在、ケーブル回線を使用しつなぎ放題になっているので、ずいぶんネット環境が改善した。しかし、つなぎ放題だとだらだらしてしまうけどね。

 あと、13日にJICAより貸与された携帯電話をいろいろいじくってみる。いまさらという感もあるが、ちょっとうれしい。今までは、無線貸与だったが、今後、連絡の際に携帯電話を使用することとなった。ちなみに、携帯電話はモトローラ製。コダックで聞いてみると、150ドル程度するらしい。隣にあった、日本製某大手総合電機メーカーの携帯は、なんと49ドルとのこと。おいおい、日本製のほうが随分安いじゃん。
 さっそく、JICA調整員に、「どうして日本製品にしなったのか」と詰問してくる。だいたい、ODAの金なんだから、日本製にすべきじゃないのかとすら思う。しかも安いんだし。事務所も連絡所もテレビは韓国サムソン社のものだし。ニカラグァ製品を買うならともかく(電化製品でニカラグァ製など皆無に等しい)、ODAで他国製品を買う精神がわからない。
 スリーダイヤのマークの携帯を使いたかった。


<2003年1月14日(火) 高山病対策
 今日は、また旅行代理店に行ったあと、事務所に帰路変更申請を提出する。いろいろ書類があって、少々大変なのである。他の同期隊員も同様に、それに携わっていた。飛行機にこだわる俺には、結構、面白い手続きでもあったけど。

 ちょっと休憩がてら、テレビをみる。チベット特集のものがあったので、みてみる。俺は、昔、チベットへの表玄関ともいわれる成都には行ったことあるけど、チベットは未開の土地なのだ。チベットの山々の風景は美しく、さらに仏教文化、芸術は興味溢れる。ただ、3000m〜4000m以上の高地なので、なかなか慣れるまでが大変そう。俺も4月にボリビアに行くが、その高さに慣れるかどうかが少々心配でもある。


<2003年1月13日(月) 外務大臣表敬
 午後、外務大臣表敬があった。ほんとは、大統領エンリケ・ボラーニョス(くどいようだが、エンリケ・イグレシアスではない)に表敬予定だったが、キャンセルされてしまったのである。
 マイクロバスにて外務省に向う。以前、見返り資金の調印式を行なった大広間に集合する。外務大臣を待つこと30〜40分。その間、寺ぴょんたちが、写真撮影をはじめたので、結局、仲間に入れてもらう。

 外務大臣登場後、全員にて「ふるさと」合唱。順ちゃんより、隊員代表スピーチが行なわれる。その後、駐ニカラグァ日本大使からも外務大臣からもスピーチはなく、外務大臣と各隊員とのトークに移行。各隊員は、自分の活動写真パネルの前にたち、1分〜3分程度、自分の活動などを話す。

 俺は、大統領になら、全南大西洋自治区を代表して、「Mas empleo(雇用を)!」(大統領の選挙フレーズのひとつ)と言おうと思ってたのに・・・。


<2003年1月12日(日) そんな時代もあったねと
 今日は、朝から、隊員連絡所大掃除、合唱の練習、日本人会、新隊員歓迎会と大忙しの日だった。
 大掃除では、洗濯場周辺を掃除する。連絡所が随分きれいになった。後半は、しこしことニカラグァ情報ノート記載作業を行なう。皆、それぞれの本分がある。(小学校の国語の教科書「車掌の本分」より)

 日本人会は、出席したけれども・・・・・、やはり、さしたる楽しみはなかった。出し物の漫才は非常に面白かったけど。まあ、隊員は会費がただなので、ちょっと遠慮がちではあるが、もう少し料理に力を入れて欲しいとも思った。

 夜は新隊員歓迎会。今回は、3名の方々。我々は、いまやもう最古参。新隊員の人をみると、まさに、中島みゆきの「そんな時代もあったねときっと笑える日がくるわ」状態である。


<2003年1月11日(土) 小太りのチニート
 今日は、映画を観に行く。しかし、なんと時間を間違えてた(土曜日はちょっと違う)ので、近くの革製品のお土産屋さんに行ってみる。そこでは、純ニカラグア産の革製品が売っており、前から行ってみたいと思っていたのだ。そこの製品には「Echo en Nicaragua(Made in Nicaragua)」と記載されており、ファスナーはYKK製が使用されている。売り場は、そんなに広くない。ベルトぐらい買いたいと思ったのだが、残念ながらサイズがなく、次回にもちこしとする。

 映画は、007を観る。この映画は、韓国などで北朝鮮問題で物議をかもし、反対運動が起きたもの。ただ、そういうことを全く考えずに観ると、非常に面白いアクション映画だった。
 映画館では、偶然、隊員同士のカップルと出会ったのだが、我々としては、気を使い、彼らとは離れるべく、わざわざ一番後ろの席に座りに行った。それで、さあ、さて、座りましょと思ったら、向かいから小太りのチニート(アジア系人種)がやってくる。ようは、彼も俺と同じ席を狙ってたようで、結局は隣に座る羽目に。丁寧にもさっき買ったばかりのチクレ(ガム)まで、あげてしまった。


<2003年1月10日(金) 帰国チケット探し
 今日は、マナグアに行き、旅行会社で帰国の航空チケットを調べる。旅行代理店のスサンナと約1時間半にわたり、モニターとにらめっこをし、いちおう最適の案がみつかった。
 しかし、1つ問題があり。それは、ペルーのリマ空港経由なのである。JICAでは、青年海外協力隊隊員に入国禁止国を設定しているが、内情の安定しないペルーは、それに含まれているのだ。
 ただ、トランジットをするだけで、入国するわけではない。まあ、一応、JICAの判断をあおぐことになる。しかし、JICAの傾向からいくと無理っぽいのではとちょっと悲観的である。


<2003年1月9日(木) 大統領表敬にそなえて
 明日から、首都マナグアにあがる。
 今回は、大統領表敬もある予定なので、いつもの旧映画館前のおいちゃんに靴を磨いてもらうことにした。


<2003年1月8日(水) 苦しみながらの散髪
 久しぶりに床屋に行った。ちょっと短くしてもらおうというつもりだったんだけど、結構、切られてしまった。さらに、かぶせられたタオルが臭く、おじさんの息もしばしばかかり、かなり苦しかった。

 それから、今日は、半日、コンタクトレンズを使用してたのだが、けっこう疲れた。見えすぎるのかも。さらに、コンタクトレンズ着用でパソコンに向ってたため、神経が疲れたのかもしれん。


<2003年1月7日(火) レガロカンビオ
 今日から職場が始まる、といっても今日は新年会のようなもの。
 11時集合、開始だったが、結局、12時くらい開始となる。まずは、レガロカンビオ(プレゼント交換)。俺は、昨年に続き、カウンターパートにプレゼントを渡した。また、プレゼントはジャネットからもらった。プレゼントは、ズボンとハンカチかな。ズボンなんてサイズとかあわさないといけないのによく選ぶなと思った。試着して、合わなかったら交換してくれるらしい。
 その後、レストランに行って、食事。いっぱい食べたので、おなかぽんぽんとなる。


<2003年1月6日(月) 郵便送付拒否
 郵便物を送付すべく郵便局に行ったら、なんと受取拒否をくらった。理由は、封筒が汚いからということ。たしかに、使い回しの封筒だけど、その職員には関係ないじゃないか。結構、粘ったんだけど、だめ。

 それから、年末に買った宝くじの当選チェックに行った。これもだめ。すべてゴミ箱に消えてしまった。  


<2003年1月5日(日) 露士亜奈
 公園で夕涼みをしてたら、黒人ガールのルシアーナがやってきた。俺の持ってた文庫本「神の火(高村薫)」をちょこっと興味本位でみたあと、「日本語で私の名前を書いて」と言ってきた。 まあ、紙がなかったので、レシートの裏というのはご愛嬌だが。
 彼女と知り合ってから1年は経ってるような気がするというか、どこで知り合ったのかすら、忘れてしまってて、名前も覚えてなかった。俺は、横文字の人の名前を覚えるのは苦手なの。それで、まあ、名前を改めて知るにはいい機会だった。一応、「ルシアーナ」と「露士亜菜」と書いてあげた。どうして「ル」が「露」かというと「ル」の漢字がでてこなかったのだ。しかし、「露士亜菜」、なかなか格好いいではないか。


<2003年1月4日(土) 郵便物受取
 郵便局に行って、友達が送ってくれた郵便物を受け取った。雑誌と日本食が入ってた。ありがたい。さっそく今日は雑誌を読みふけった。

 また、こちらの郵便局では私書箱を使ってるのだが、年が変わり、更新の意思確認があった。ただ、俺も残り任期3ヶ月であるので、3ヶ月のみの料金支払いでいいかとネゴってみた。とりあえず規定では半年もしくは1年ということなので、後日調整ということとした。ちなみに、使用料は、1年180コルドバ(約1800円)である。


2003年1月3日(金) 散歩
 欧米人に人気の宿デリックスプレイスを探しに、おそめさんと島を散歩する。看板には、港から徒歩20分と書いてあるが、なかなか遠い。途中、ちょっと道に迷うも「最後までやりぬく」精神を心にとどめ到着。途中、美しい浜辺がみえる。なるほど、バンガローが何棟かあり、いい感じのところである。さらに、いろいろ聞いたところ、この宿デリックスのオーナーは米国人デリーで、実は、去年、一緒にメシを食ったことがあることが発覚した。まさか、こんないい感じの宿を持ってるとは当時想像してなかった。
 さらに、デリックスプレイスの向こうには、イタリア人が住み、イタリア料理を提供してるところがあると教えてもらう。なかなかリトルコーン島も小さいわりに奥深い。

 2時前に、コーン島行きのボートが到着し、我々もそれに乗って帰る。定員の1.5倍ほどの乗員だったが、航海はスムーズで、わずか20分弱でコーン島に到着した。
 飛行機も定時より少々早めに出発し、ブルーフィールズに帰ってきた。


2003年1月2日(木) 水陸両用型モビルスーツ ズゴック
 ボートに乗って、シュノーケリングをする。2つのポイントに連れて行ってくれた。1つめは、ちょっと浅めのところだが、まわりに珊瑚がたくさんあり、たくさんの魚に出会えた。曇り止めを塗ったマスクのおかげで非常にクリアにみえた。ひらひらと泳ぐエイもみれた。2つめのポイントはなかなか深いところで、岩に潜ってるサメがみえた。スキンダイブで潜った悦也がサメを岩からひっぱり出してくれるかと思ったが、さすがにそうはいかず、結局、サメの顔は拝めなかった。
 また、インストラクターのイスラエルガールエレンは、快活な美女。おかげで、船酔いもせず、快適に過ごすことが出来た。まさに、水陸ともに美しい光景に出会えたといえる。

 ちなみに、今日は、午後から水と電気がとまりシャワーもつかえない始末。夜は、ろうそくで過ごす。水は、ホテルの従業員が、部屋の前にバケツにくんでおいてくれたので、結局、それをつかって行水をした。


2003年1月1日(水) 謹賀新年
 リトルコーン島にて新年を迎えた。向こう岸にみえるコーン島からかわいらしく花火があがrり、浜辺では、爆竹、花火をする人たちもちらほらいる。しかし、寒くない正月はあいかわらずさっぱり実感がわかない。まあ、軽く友達と乾杯などをする。

 午前中、島全体が見渡せる灯台にむかう。結構遠いのかと思ったけど、たいして時間はかからなかった。ただ、灯台が結構高い。しかもはしごがむきだしになっている。途中まで登ってみるが、半分程度までのぼり、苦渋の撤退を決断する。ただ、今年の目標を「最後までやりぬく。」と設定した直後の出来事であったため、後に皆からご叱責を頂いてしまった。