
<2002年12月31日(月) 終わりゆく2002年>
今日は、泳ぎに行くが、ちょっと波が荒い。軽くシュノーケルしてみたが、数匹の魚にしか出会わず。午前と午後、違う海岸でひと泳ぎする。
リトルコーン島に来たのは、1年半ぶりだが、少しずつ変わってきている。まずモダンなホテルが2件できてる。さらに、自転車が随分増えた。子供たちは、後ろから口で「ピーッ、ピーッ」とクラクションを鳴らしながら、通ってくる。
人々の気さくさは変わってないが、更なる観光化が進むのを少々憂える。
そんなこんなで2002年が終わろうとしている。
<2002年12月30日(日) ノックの嵐>
年越しをリトルコーン島へ迎えるべく、空港に行く。結構、大勢の人で、アトランティック航空、コステーニャ航空の職員は、積極的に売り込みに来る。とくに、コステーニャ航空ガールは、結構、呼び込みに熱心で、「5%オフ、いや10%オフにするから、どう?」って言ってきてくれた。しかし、最近の俺は、頑なまでのアエロセゴビア航空派。丁重に断り、アエロセゴビアのカウンターに行く。
いちおう、アエロセゴビアの職員の子に、「コステーニャが10%オフって言ってくれてるんだけど、アエロセゴビアも10%オフにしてくれるよね?」と言ってみる。さっそく女の子が電話で上司と調整してくれ、結局、5%オフならOKとのこと。まずまずのネゴができた。
さて、機上したのだが、俺は朝から腹が痛く、途中からうんこ警報が鳴り出す。せめて中継空港のブルーフィールズまで耐えようと必死にがんばる。それで、一応、スチューワデスさんにトイレの件を尋ねてみると、なんと機内にあるとのこと。さっそく使わせてもらう。「うーん、少しは調子がましになりつつある。」と思ってたら、ノックの嵐。どうやら着陸態勢に入ったよう。「もう、数分しかたってないじゃないか!」って感じ。ドアをあけた際には、あられもない姿をスチューワデスさんに見られてしまう。
そんなこんなでなんとかコーン島到着。それから、リトルコーン島へはボートで行くのが、それが最大の難関であった。ただ、これは1年半前より大幅に改善しており、ボートも大きく、揺れは少なかった。
<2002年12月29日(日) プレゼント購入>
年始にまた、職場恒例のプレゼント交換(レガロ カンビオ)があるので、そのプレゼントを買いに行く。いつもプレゼントを渡す相手は口引きで決めるのだが、俺は二年連続カウンターパートのウィルフレッド・マチャドに渡すこととなる。なかなか男性へのプレゼント選びは難しい。今年は、200コルドバ(約2000円以内)という条件つき。200コルトバというと、掃除の女のコの給料の1/5〜1/6くらいのお金だ。
結局、ベルトにする。ちょうどバーゲンをやってたので、50%オフとのこと。ただ、彼は、ニカラグァ人にしては痩せてるほうなのだが、サイズが心配だ。
その後、コーヒーを飲みながら、だらだら雑誌や本を読む。この時間がいい。
<2002年12月28日(土) ものすごい量の肉じゃが>
今日は、旅の疲れを癒すべく、隊員連絡所で休憩。
夜は、ものすごい時間をかけて、ものすごい量の肉じゃがをつくってもらう。鍋をみたときは、この人たちはどこかで日本食販売でもするのかというくらいだった。
<2002年12月27日(金) ボアコ温泉>
今日は、遺跡か滝を観にいく予定だった。ただ、遺跡は行き方がわからず、滝は遠いようなので断念。結局、マナグアに戻る途中のボアコ温泉に行く。
ボアコ温泉は、温泉といっても、プールのような感じ。さらに、宿泊施設、レストランなどがある。なかなか楽しそうなところであるが、今日は、どこかの団体客が居て、メインのプール及びその周辺が独占されている。さらに、バンドまで来ていて、少々うるさい。しょうがないので、はしっこのプールで遊ぶ。子供たちのはしゃぐ姿はみているだけで楽しい。
満喫したあとは、荷物を移し、ビリヤード台周辺を我々が独占する。ニッチ産業を攻めるがごとくである。途中で、ボアコにいるのか、どこにいるのかわからなくなってきたが、3人ビリヤードを楽しむ。ビリヤードは、実力伯仲の場合、集中力の戦いである。
そして、首都マナグアに到着。
<2002年12月26日(木) ネゴ負け>
フィガルパの中心にある教会に登る。そこからは街全体を見渡せることができ、遠くには山々がみえる。その後、公園でコーヒーを飲んで休憩する。
そのときに、CD売りの若者がやってきたので、いろいろCDを物色してみる。1枚50コルドバ(約500円)とのこと。もちろんコピーものだが、結構安い。もうちょっとネゴって買おうかなと思った。タリアの「No
me ensenaste」が欲しかったのだ。それで、ネゴろうとすると、でっちゃんが「50コルドバならいいんじゃない。」などと言ってくる。いつもタクシーには窓を壊すかと思わせるほどのネゴをするくせに、どういうことか。どうやら、彼は、CD売りの兄ちゃんには同情しているらしく、「足にまめまでつくって売り歩いてるかもしれないよ。」などと言う。まあ、そういうわけで、2人で2枚購入する。(*後述)
夕方、なんと温泉があるということなので、行ってみる。タクシーでがたがた道を通る。運ちゃんは、片道1時間かかると言ってたが、なんと15分で到着。やられてしまった。そこはちょっとした小川のよう。男3人で入っていってみる。奥に行くに従い、湯気がでてくる。なかなかいい感じだ。ただ、途中、上半身裸で写真撮影してると虫が襲ってくる。しかも、痛い。少し、撤退し、浅いところで湯につかる。気持ちいい。結局、皆、肩までつかる。ただ、臭い。まわりは、馬糞でいっぱいなのだ。また、着替えてると、豚やら鶏も通ってた。まさに自然が生んだ温泉である。
*CDの件
後日、CDを聞こうとパソコンに入れてもらったら、なかなか音が鳴らない。そう、空CDだったのだ。音とびくらいは我慢しようかと思ってたが、よりによって0曲とは・・・・・。でっちゃんも「衝撃的なことだ・・・。」とこぼしてた。
<2002年12月25日(水) ステーキなクリスマス>
ニカラグァ中部の町、フィガルパに行く。フィガルパは牧畜がさかんで、チーズと牛肉が有名である。
さっそく、キンタという有名なレストランに行くが、今日は、お休み。そう、クリスマスなのだ。まあ、バスがあっただけでもラッキーと思ってたので、それはしょうがない。結局、ほかの食堂をみつけ、鉄板ステーキを頼む。もう、バスの中で夢見てきたステーキだ。なかなか豪快。ジュージューと音をならせながらやってきた。満足、満足。
夜、ふと公園近くにガムを買いに行った。売り子の女性は、明るくて優しげな表情をした女性。せっかくなので、2人教会をみながら話してみる。夕方から売り子をして、昼は美容師の学校に通ってるらしい。きれいなスペイン語を話す。
ほんの少し楽しい時を過ごしたが、彼女には子供が1人いて、一緒に住んでる男性がいるらしい。やはり、俺にはハッピークリスマスは似合わないようだ。
<2002年12月24日(火) 記念写真>
今日は、以前、住んでた家の近所に遊びに行く。でっちゃんが来ていてくれるため、友達と写真を撮るためだ。以前、子供たちが欲しがってた天狗や能のお面をクリスマスプレゼントに持っていく。
子供たちの家に行ってみると、年少の2人がいた。弟は相変わらず髪が肩に届くくらいで、女の子みたいだった。写真を撮ろうという話をすると、喜んで駆けていった。ただ、しばらくしてからお母さんが出てきて、「シャワーを浴びさせ、着替えさせるのでちょっと待ってて」とのこと。まあ、急ぐようもないので、のんびりと待つ。
結局、お姉ちゃんは、いつも教会に着ていくエメラルドグリーンのドレスを着てきた。そして、弟は白のTシャツ。記念の写真となる。
それから、友人グリセルダの家にも行き、ちょっとおしゃべりをして、写真をとる。相変わらず彼女は早口で、初対面のでっちゃんもその速さを体感してくれた。そう、やっぱ彼女が早口すぎるのだよ。
ちなみに、今日は、クリスマスイブだが、とくに我が家は何もなし。せっかく俺がチキンをあげたのに、大家のエステルが、義父の看病のため、外出して不在なのだ。まあ、そういうことなので、なじみのチキン料理屋に行って、チキン料理を食することとした。
<2002年12月23日(月) 犬好きの彼>
今日は、丘の上のレストランに食事に行った。店の裏に、とてもかわいらしい子犬たちがいたので、皆で遊んでた。とくに、でっちゃんは、犬が大好きらしく、ものすごくいい笑顔で犬とじゃれあってた。その姿をみて、ムツゴロウにちなみ、デツゴロウと内々で名づけてあげた。
さらに、プンタマサヤというところに、散歩に行く。ここは、のんびりしていいところなのだが、野良犬が結構いる。案の定、途中で2匹の犬がものすごいいきおいでせまってきた。しかし、我々には、デツゴロウさんが居たので、彼がうまくあやしてくれた。おかげで助かった。どうもありがとう。
<2002年12月22日(日) 鶏に同情>
朝食後に港に向うが、なんとボートは出発した後。結局、他のボートに乗せてもらい、ブルーフィールズに戻ることとする。今回は、ボートの先頭に乗ったが、なかなか気持ちがいい。風景全体が見渡せ、非常にいい気分だった。ただ、他の乗客が足元にあるビニールシートをめくってみると、何羽もの鶏が一緒に同乗していた。そういや、明後日はクリスマスイブ。おもわずその鶏たちに同情してしまった。
<2002年12月21日(土) アグアス到着>
太平洋側から、たむたむ、でっちゃんが遊びに来てくれる。それで、ふたたびブルーフィールズから北へボートで1時間、ラグーナ デ ペルラスに向うこととする。
港に行ってみると、いつもと比べすごい人ごみ。皆、クリスマスを故郷で過ごすべく、里帰りのようだ。例のごとく、3時間程度ボートを待つこととなる。しかも、通常より高い料金で乗せられ当地へ向う。
ラグーナ到着後、前回、到着できなかったアグアスへ行く。途中まで一度行ったことあるので、感覚的に結構早い。2ヶ月前より湿地の水が少なくなっており、ズボンをたくしあげて渡った水溜りも消えている。ただ、沼で洗濯をする主婦の姿とそばで水浴びをする子供たちの笑顔は同じだった。ラグーナの人たちは皆きさくで行き交う人みなが挨拶をしてくれ、ときには立ち話となってしまう。
アグアス到着。アグアス自体はなんということない浜辺だったが、2度にわたってチャレンジし、かつ長い道のりを歩いてきたので感慨深いものはあった。しばらく、そこに置いてあった気のボートに座り休む。そんなところに、おじさんが話し掛けてきてくれ、このボートに乗ってみるかということに。ちょっと原住民気分で乗ってみたいと思う。
そしたら、もう一人の若者が手に長いさとうきびを持っていて、たむたむがそれに興味を示しだす。若者は、なれたてつきで、さとうきびを3等分してくれ、我々に与えてくれた。俺としては、別にいらないんだけど・・・・・、と思ってたら、そうこうしているうちに「アディオス!」って言っておじさんがボートに我々を乗せずに出発してしまった。無念。
まあ、しかしながら、近くにいたおばさんちに上がらせてもらったり、子供と遊んだりして楽しかった。
このあたりは電気がないので皆7時には寝て、3時に起床してるらしい。
<2002年12月20日(金) おだやかに過ごさなくてもいいのに>
今日は、今年最後の出勤日だったが、とくにイベントもなく終了。
夜は、ちょっとしたフィエスタに参加したが、さあ、用意しようかなというところで、友達から電話があったので少々話す。結局、もう少ししたらテレビドラマが始まる時間だったし、行くのやめる。
クリスマス前最後の金曜日をおだやかに過ごしてしまう。
<2002年12月19日(木) クリスマスかご?>
今日は、ひとつのイベントがあった。Canasta navidena(クリスマスかご?)というもので、なんとふんだんにクリスマスのための準備品の入ったかごが職場より職員全員に配られたのだ。
内容はというとものすごい。チキン一羽(もう蒸してある)、ワイン一本、コカコーラ1本、ぶどう1房、りんご1個、マヨネーズ1缶、ケチャップ1本、牛乳1箱、おかし、飴、その他いくつかである。これがなんと10数人の職員全員に。ほんといくらかかるのかと思うくらい。なんか、ニカラグァのいくつかの機関ではこういう習慣があるらしい。
ボランティアの立場で言うのもあれだが、お金でくれよという感じもする。
結局、家の人と共用することとしたが、なんか家帰ってから、知り合いとかに配りまわってあげてもよかったかなとも思った。なんか、使い道に心を痛み、家でしばし考える。
ただ、ぶどうはうれしい。街に売ってるが、他の果物と比べて、高いので買えない。我が、ニカラグァ生活のなかで、ぶどう買ったこと一度も無しである。心が狭いといわれようが、これだけは、家の中で俺の独占である。夜、密かに食べてみたが、ちょっと皮がむきずらいぶどうだった。
<2002年12月18日(水) 効率UP>
職場環境が好転したせいか、今日は、だいぶ仕事に集中できた。今週で、今年の仕事がおしまいだと思うと、少々、気の緩みもあったが、よかった。よかった。
<2002年12月17日(火) 広がる職場空間>
今日は、職場で、机があまってるからと1つもらった。おかげで、今の机の横に、その補助机を置き、そこに本、資料を置くことができる。元の机にはパソコンだけ。随分、余裕のある職場空間ができた。
<2002年12月16日(月) 誕生日祝い>
今日は、就業後、職場で誕生祝いをしてくれた。「Happy
Birthday to you」を英語、日本語、スペイン語で歌ってもらう。ケーキの火を消すのって、随分、久しぶりの気がした。一息で消すことが出来た。まだまだ、年が若いからか、それとも、ただ、ろうそくの数が少ないからか。なかなか感慨深いものがあった。
<2002年12月15日(日) 野球観戦>
今日は、友達にカレンダーをあげるべく訪問する。12時からは確実に家にいるということなので、なんとか執念で服を着替え、出かけることにする。こちらは、まだまだ電話がない家が多いので、「けっこうこの時間ならいるだろうな。」くらいの気持ちで訪問しないといけない。
夕方、はじめて野球場に行ってみる。実は、ニカラグァのある程度の街には、必ずといって野球場がある。今日は、ブルーフィールズ内のチームの試合をやってた。まあ、草野球レベルだが、はじめてということでなかなか楽しめた。外野のフェンスには、ブルーフィールズの企業の広告が貼ってあり、なかなか親近感あふれる球場だった。
<2002年12月14日(土) ニューヨークからのTEL>
今日は、久しぶりに過ごすブルーフィールズでの週末。家でかなりだらだらしてた。夕方ごろには出かけようかなと思ってたけど。
それで、洗濯物だけ済ませようと、ひっそりと洗濯をしてたら、ニューヨークの我が友から電話があった。やっと通じたらしい。今は、アメリカからは相当安くで電話できるみたいで、うらやましいものだ。
<2002年12月13日(金) バンカーの職を投げ打つ>
街で、ニカラグァでのわがメイン銀行であるBANCENTRO職員のホアンに会った。しかし、金曜日にもかかわらず、私服。いつものシャツにスラックス姿ではなく、少々の違和感を感じる。しかも、無精ひげまで生やしてる。
「おい、どうしたんだ?」と話しかけてみると、なんと銀行を辞めたとのこと。びっくりした。銀行職員などなかなか就けるものではなく、しかも給料もいいだろうに。彼いわく、上司?(年配の女性)とうまがあわなかったらしい。う〜ん、しかし、バンカーの職を投げ打つとは。しかも、聞いてみると、弱冠24歳。5歳の子供がいるらしい。
彼は、非常に誠実に仕事をこなしているようにみえたので、俺としても好感を持っていたのだが・・・・、なんとも惜しい。
うちの職場も小規模融資をやってるので、いつか募集があったら、働いてみてはどうかと誘っておいた。
<2002年12月12日(木) 模様替え>
今日、職場の日当たりがあまりにいいので、机の位置を変えた。変えてみると、なかなかいい感じ。なんだ、もっと前からやっとけばよかった。ちょっとした気分転換だ。
<2002年12月11日(水) カウンターパートが日本に!?>
なんかJICAから、うちのカウンターパートが、日本への研修試験を受けないかという誘いがあったらしい。ちなみに面接は金曜日。最初、彼からそれを聞いて、冗談かと思ったが、具体的な研修スケジュールまでFAXで送付されていた。彼なら受かるかもしれない。しかし、憂かったらラッキーだろうな。ドナーから誘ってきてくれ、さらに、合格の場合は、無料で研修も受けられるし。ちなみに、合格した場合は、2月から研修。研修先は日本福祉大学。
俺はひょっとしたら1月のみ日本語教師もどきになるかも。
<2002年12月10日(火) もうすぐ年末>
今日、職場のクリスマス飾りつけもほぼ終わった。まだ、正確にはいつからクリスマス休暇となるかわからない。
カレンダーも支給された。すっかり年末だ。
<2002年12月9日(月) 1,000,000ドルの宝くじ>
家の人にLOTERIA(宝くじ)の購入を頼まれてたので、買いに行ってきた。しかし、売り子が来ず。結局、買えなかった。今、ニカラグァでも年末ジャンボのようなキャンペーンをやっていて、なんと一等は、1,000,000ドル(約1億2500万円)らしい。ほんとかな?とおもうのだが、運営はアメリカの企業がやってるとかやってないとか。さらに、同じ数字も売られていて、一等が何人も居たら、分け合うみたい。俺も一等が当たったら、何しようかと当たってもいないのに考えてみた。
<2002年12月8日(日) おじゃま>
今夜は、JICA企画調整員の方のお宅で、ごちそうになる。はじめておじゃましたがやはりきれいな家。まわりにもコンドミニアムの家々が並ぶ。ただ、一人身には広すぎて、寂しいのではとも思う。俺であれば、小さなアパートでいいと思うのだが、安全面や来客時の対応などの理由からなかなかそうもいかないらしい。
シーフードカレーをつくっていただき、さらに、米は100%日本米。梅酒も頂く。梅酒など随分久しぶりだ。カレーは、もう一杯おかわりできそうだったが、おいしいもの食べて苦しくなるのももったいないと思い、二杯で自粛した。
<2002年12月7日(土) 帰路変更手続き>
今日は、帰路変更手続きのため、旅行代理店に行く。協力隊隊員は、任期終了後、2週間までの帰路変更を認められている。ただし、余計にかかる経費は、もちろん自分で支払う。
俺は、南米ボリビアそして米国ニューヨークに寄って帰国しようと思ってるのだが、なかなか予算内のチケットがない。スタッフの女性と2時間半に渡り、画面と向き合い、ルートを探る。今のところ、3つのルートがでた。
@行き:マナグア−パナマ−リマ−ラパス(ボリビア)
帰り:ラパス−パナマ−ニューヨーク−成田
(コパ航空、ボリビア航空、コンチネンタル航空使用)
A行き:マナグア−パナマ−サンタクルース(ボリビア)−ラパス
帰り:ラパス−パナマ−ニューヨーク−成田
(コパ航空、ボリビア航空、コンチネンタル航空使用)
B行き:マナグア−マイアミ−ラパス
帰り:ラパス−マイアミ−ニューヨーク−成田
(アメリカン航空使用)
@Aは、まずボリビア航空使用というのがデメリット。
現在の調査では、マイル換算できない。
さらに、ニューヨークに2泊以上すると、さらに500ドル以上かかる。
Aは、さらに、現在の旅程ではフライトがない。(1日早めなければいけない)
ただし、料金が予算内。
Bは、ニューヨークには2泊以上の滞在が可能。
さらに、全旅程アメリカン航空のため、マイル換算可能。
しかし、午後出発、予算オーバー、俺はあんまりアメリカン航空系を利用しないなどのデメリットがある。
というわけで、どれも一長一短。来月提出締め切りなので、値段が安くなるか、フライトのスケジュールが変わるといいのだが・・・・。
<2002年12月6日(金) 初コンサートで初体験>
今日は、午後からの帰国前オリエンテーションに参加すべくマナグアに行く。帰国までにいろいろな手続きが必要となるので、結構真剣に聞いた。さらに、帰国後にすべきことなども話され、徐々に帰国が現実化していくことを感じる。
夜は、コンサートに行く。ニカラグァでは、はじめての経験。野球場にて行われる。7時開始予定だが、予想通り8時開始となる。今回は、エニテル(電話会社)スポンサーで、散々、エニテルの広告がながれる。エニテルが携帯電話サービスに参入したからだ。
開始後、だんだん観客のボルテージあがっていき、観客は踊りだす。俺たちの後ろに居た高校生グループもだいぶ騒がしくなってきた。結局、その子たちにお誘いいただき、一緒に踊ることとなる。皆で踊り、なかなか楽しい。
途中、後ろからおしりを触られ驚く。我が人生でもなかなかそういう経験なし。てっきり、その高校生の女の子がやってきたのかなと思い、しばらくやらせてあげる。こちらでは、つんとあがった男性のお尻は珍しいのかもしれない。それで、さて犯人は誰かなと振り向いてみると、どうもその子たちではない。その犯人の女性は俺より背が高い。しばらく一緒に踊るが、少々疑問を感じ、一緒に行った同期隊員寺ぴょんに確認する。やっぱり彼ももやられたらしい。
それで、2人の結論からいうと、犯人はレディボーイさんではないかと思われる。
<2002年12月5日(木) 同僚女性2人が妊娠中>
活動後、同僚エクリナと帰途につく。うちの職場は女性は制服着用なんだけど、最近、ジェスミラがほとんど私服で着てるので、「ジェスミラって最近、制服着てないよねー。」とエクリナに聞いてみた。そしたら、なんと妊娠中ということ。思い返してみれば、昨日、ジェスミラが「今度、男の子が生まれたらHiro****(本名)という名にするの。」とか言ってた。無論、俺には思い当たるふしがないので、聞き流してたけど、なんと妊娠してるとは!そんなこと、気付きもしなかった。今、思うと、少しおなかも出てきたような気がする。
ついでに、同僚ジャミレットも妊娠中らしい。しかも予定日は来月とのこと。それもさっぱり気付かなかった。ジャミレットは俺の2倍くらいの大きさがあるし・・・・。
ちなみに、2人ともシングルマザー。ついでに、既に子供がいて、次の子は2人とも別の父親らしい。しかし、結婚はしない。うーん、男は女性を妊娠させてもあんまり責任が発生しないのだろうか。女性もそれで納得なのだろうか。このニカラグァの男女間のことはいまだに疑問である。
<2002年12月4日(水) 虫よけスプレー?>
今日は、JICA職員の方が隊員宅を訪問されるという。一応、簡単に部屋を片付けたが、結局は、ホストマザーエステルが気をまわして、娘レイディーが掃除してくれる。ベッドカバーが結構いいかげんなので、俺が2、3日も寝れば、いつもベッドカバーなどあってなき状態になるのである。
結局、彼らは一瞬部屋をみて「女の子っぽい部屋ですね。」と言って終了。だいたい、机が鏡台なんだから。
順ちゃんの職場と俺の職場に行く。順ちゃんの職場(国立工業技術学校)には約1年ぶりに入ったが、EUからの援助で供与されたコンピューター約30台が控えていた。省スペース型のなかなかお洒落なパソコン。だが、あまり耐久性がないらしい。
カウンターパートのリミアが一生懸命それらのパソコンを清掃してた。うーん、関心関心。虫よけスプレー容器を使いシュッシュッと液体を拭きつける。軽やかにモニターを拭いていく。使い終わった虫除けスプレー容器を再利用してるのにも感服した。
おもわず「順ちゃん、虫よけスプレーの容器再利用とはなかなかやるね。」と言ってみたところ、順ちゃんいわく「あっ、それ、私の虫よけ!」。
なんとリミアは、本物の虫除けスプレーをパソコン清掃に使ってたのだった。
しばらく順ちゃんの学校のパソコンは蚊に刺されないかな。
<2002年12月3日(火) クリスマス準備>
12月に入り、各家、クリスマス準備に入ってきた。最近、俺のステイ先もペンキの塗り替え作業や部屋の模様替えなどもはじめてる。クリスマスツリーもだしてきたみたい。
中南米の家は、何か催しごと近くになるとペンキを塗り替える。
<2002年12月2日(月) Virgen>
職場の同僚女性とうじゃうじゃ話す。たいていそういうときは「Novia(恋人)はできたか?」とかそういう類の話。まあ、俺のスペイン語もそういう話題は抜群の強さを発揮するので、自然とそういう話題が多くなってしまうのだが・・・。
あいかわず「まだできないのか?」などと言ってくる。しまいには、「HiroはVirgenじゃないとだめなのよ。」などと言ってくる。(「Virgen」とは処女の女性のこと)もう、こちらの諸事情も知らずに、暇つぶしがてら話してくるので、退散する。
夜、ちょっと頭痛がし、休憩したら友人レイムンドが来る。飲みの誘い。「疲れてるから」と断ると、「女の子もいるよ。」とのこと。断って大航海時代。バファリン飲んでおとなしく寝る。
<2002年12月1日(日) 一期一会>
今月、5日にニカラグァを去る先輩隊員達に別れを告げる。ただ、俺が荷物をもってブルーフィールズに向うので、なんだか俺が去るみたい。なんかまた会えるような気もして、ちょっと複雑な気分で別れを惜しむ。いつも別れのときはそう。あとで、きちんと別れを惜しんでおけばよかったと思いながら、別れる瞬間は実感がわかない。
そして俺の滞在期間もあと4ヶ月となる。
<2002年11月30日(土) 映画鑑賞、送別会>
朝、映画「ハリーポッター」を観にいく。9時半開始ということで、9時10分頃に行くが、映画館に入ることすら出来ない。ネゴって入ると、システムが動いてないというような理由で食べ物も買うことができない。9時半ごろから他映画の紹介などが流れ、結局、映画が始まったのは10時。ニカラグァでも何かが遅れることは多々あるが、ときたま時間ちょうどに始まる場合もあるので、こちらとしては油断できない。しかも、映画は、やっぱはじめから観たいので、結局、お客である我々が我慢しなければいけないことになる。しかも、この「ハリーポッター」、いまいち内容がわからないところがあり、ちょっと不完全燃焼。
夜、先輩隊員の送別会が行われるので、昼から準備をする。俺も黙々とおにぎりをつくってたのだが、同期隊員でっちゃんが「三角おにぎりなんてつくれて当たり前じゃん」と言い放ち、それに触発され、たむたむに「三角おにぎり」の作り方を習うこととする。三角おにぎりなど、作れるようになるつもりはなかったのに・・・・。結局、それっぽいのができるようになってしまった。ちょっとうれしい。
<2002年11月29日(金) アエロセゴビア航空のもう一つの機体>
またマナグアに行く。アエロセゴビア航空を使用するが、いつもの機体と違う。なんと機体後部半分が、倉庫になっている。よって、客室は機体前部のみ。アエロセゴビア航空は2機機体を所有してると聞いてたが、大きさは同じでも中身はちがいい違いだなと思った。ちょっと窮屈感があるのは否めない。
<2002年11月28日(木) 小学校卒業式参列>
同僚ジェルモの長男ダニエルの小学校卒業式があったので、一緒に参列させてもらった。
ニカラグァは11月末から12月にかけてが卒業シーズンなのである。
いいなと思ったのが、卒業生が入場する際に一人ずつ名前が呼ばれ、かつその生徒の将来の夢も公表されたこと。これは、なかなか親にとってはうれしいことであろうと思う。一番多かったのが、「経営者」。これが半分くらいだったかも。一人だけ「大統領」という子もいた。館内も爆笑。ちなみに、ダニエルの夢は、「動物学者」だった。
さらにダニエルは、なんと生徒代表までつとめ、壇上でお礼の言葉まで言ってた。ジェルモも父親冥利につきるものだろう。
生徒はたいてい2枚の証書をもらう。「なんで2枚ももらうのか、1枚で済ませればいいじゃないか。しかも一人ずつ壇上に証書を貰いに行き、それが2回も。時間の無駄じゃないか。」と以前より散々不満をもってたので、その違いを聞いてみた。結果は以下の通り。
・6年間当該学校に通学した証明書
・中学校への進学資格証明書
なるほどね、そういうことでした。
<2002年11月27日(水) ブランコでの姉弟>
ふらっと公園に行ってみる。夕方の公園でぼーっつとするのが好きだ。いつもブランコで遊ぶ子供たちがみえるところに座る。
一人でうまくブランコで遊べない弟の背中をおねえちゃん。でも、そのおねえちゃんすらブランコに座ると足すら地面につかないというのに。
<2002年11月26日(火) トルコ人?>
今日は、外で仕事モードに移行しようと風にあたってたら、知り合いが通ったのでちょっとしゃべってた。彼は、サンディニスタ時代はヘリコプターのパイロットだったらしいが真相はわからない。
彼は、街の人をよく知ってて、彼はロシア人だ、彼はニュージーランドから来たなどと教えてくれる。
それで、ちょうどスラっとした女性がとおったので、彼に彼女はどこの人か尋ねてみたところトルコ人だという。
さっそく、声を掛けてみる。「あなたはトルコから来たのですか?」と聞いてみたところ、答えは100%ブルーフィーレーニャ(ブルーフィールズ人)。彼は、「彼女はトルコのさらにイズミル出身なんだ。」と非常に具体的に言ってきたので、すっかり騙されてしまった。
<2002年11月25日(月) economico>
今晩は、久しぶりにインスタントカレーですまそうかと思ったが、結局、順ちゃんとごはんを食べに行くこととする。一応、レストランなんだけど、economicoというそんなに大きくないサイズの料理をだすところがあるので、そこに行く。
家に帰ったら、家賃の支払い。さらに電話代の支払い。あいかわず高い電話代だが、7月から8月にかけて留守にしてた期間の電話代はなしというネゴはなんとか成功させた。
<2002年11月24日(日) 地震の被害はたいしてなし>
ブルーフィールズに戻る。先週、ブルーフィールズで地震があったらしいので、被害を聞いてみるが、たいしたことなかったみたい。家族も寝てたらしく、そんなでもなかったと言ってた。
来週、再来週もマナグアで用事があるので、あと2回マナグアに行かなけれないけない。いいのやら、悪いのやら。
<2002年11月23日(土) サーカス>
今、サーカスが来ているということで、他隊員たちと観にいく。サーカスは随分久しぶりで、ひょっとしたら小学生のとき上海で観て以来かもしれない。
ちょっと長かったけど、とても楽しかった。とくに空中ブランコとトランポリンが好きだった。間近で観ることができ、すごい迫力だった。
ただ、俺は動物のショーを観るのはちょっと心苦しい。象や虎が演技をしてるのだが、そういうとき、いつも彼らが「どういう気持ちなのだろう」と考えてしまう。俺が虎なら、いつまでもサバンナに居たいだろう。ただ、彼らも人間から喝采を受けることを楽しんでいるのであればいいが・・・。俺は、将来、人間が動物と話せる日がくる可能性があると思う。そのとき、誰かが彼らに聞いてくれるだろう。
観ている途中、少女の姉妹2人が我々の近くに座ってきた。非常にかわいらしい子たちだった。また、サーカスでの子供の反応をみるのも楽しかった。司会者の問いかけにも、明るく応えてて、少し心があたたまった。
<2002年11月22日(金) 手術室見学>
愛ちゃんの職場の病院を訪問する。病院までは、リバスの自転車タクシー(自転車の前に2人がけの座席がある。屋根つき)で行く。初めて乗ったが、なかなか気持ちいい。
彼女は、手術室勤務なので、なんと手術室に入れてもらう。ロッカールームで渡された緑の手術着に袖をとおす。すこし血のあともある。鼻までしっかりとかぶせるマスクをつけ、緊張がたかまる。
はじめに見学させてもらったのはヘルニアの手術。左腹部にメス及び熱を出す器具で穴をあけ、そこからモノをとりだしていた。約30分くらい。それから3つの手術の見学させてもらう。最後の手術は胸部及び腹部を開いた胃の手術であった。
感想としては、見る印象としては、患者の顔が隠されてることもあり、徐々に人間というより身体、物体と感じてしまう。極論をいえば、牛や魚のようにもみえてしまう。
感覚としては、患者にとっては一生一大の手術でも手術医にとってはいつものルーティンのことであり、その差異も感じた。手術中、結構、医者が雑談を楽しんでるし・・・
愛ちゃんは、ものすごくてきぱきと働いてた。それから、随分医学専門用語も勉強して覚えたんだろうなあと思った。病院のどの看護婦よりも働いてた。
<2002年11月21日(木) 見返り資金調印式>
見返り資金調印式に出席すべく外務省に行く。ただ、最初、間違えて大統領府に行ってしまい、えらい目にあう。大統領府で入場を断られて切れそうになるが、電話確認後、それが逆切れだと判明し、笑顔で退出する。
調印式は思ったより大きな部屋でかつ多くの人数が集まっており驚く。俺はてっきり小部屋で行われるものと思っていたが、外務省対外協力局長、日本大使館参事官、JICA所長なども出席し、想像以上の大イベントだった。
この調印により、1月くらいから資金が供与され、所属先ADEPHCAのプロジェクト資金とすることができる。
このあと、午後から暇になったので、ニカラグァ南部の街、リバスに行く。同期隊員愛ちゃん(看護婦)が迎えに来てくれ、リバスを案内してくれる。メルカド(市場)は非常に活気がある。また、道も広々としており、メインどおりからはオメテペ島の火山ラ・コンセプシオンがきれいにみえる。
今、愛ちゃんは米国平和部隊の隊員から英語を学んでるので、同席させてもらう。病院にときたま米国人が訪問するらしく、彼女は彼らと英語で話して専門的なことを質問してみたいらしい。その熱意に頭が下がるおもいである。
俺のほうは、最近、はりあいをなくすことがあり、テンションが下がってるというのに・・・。
<2002年11月20日(水) またマナグアへ>
今日は、急遽、首都マナグアに行くこととなる。明日、見返り資金の調印式がニカラグァ外務省で行われるので、それに出席するためだ。
最近、お気に入りのアエロセゴビア航空に乗る。前回の日記でシートのリクライングはしないと書いたが、試してみたらちゃんとリクライングしました。(謝罪) 今回のスチューワデスさんもなかなかいいサービスをしてくれた。
<2002年11月19日(火) エンリケ・イグレシアスとファンの集い>
今日は、テレビをみてたら、「歌手エンリケ・イグレシアスとファンとの集い」のようなものがやってた。
ファンが質問して、エンリケが答えるんだけど、そのあとがすごい。ファンが「エンリケ、私に抱擁して」「私にキスして」とか言うと、彼が「Claro
que si!」「Por supuesto!」(もちろん)などと答える。だから、質問1つごとに、ファンが壇上にあがり、エンリケからキスしてもらったりするのである。さすがに日本ではそんなことやってくれないだろう。せいぜい、握手どまりか。今度、エンリケが来日したら、おれが質問してみようかな。
時間終了後もファンがエンリケにとびかかろうとし、あわてて逃げていく彼の姿に親しみを感じた。70歳は超えるであろう老女も来ており、彼女もエンリケに質問し、抱擁をうけていた。
<2002年11月18日(月) 白菜をもっと美味しく>
マナグアで買ってきた白菜をつかい味噌汁をつくってみる。ただ、うーん、まあまあかなという味わい。せっかく買ってきた白菜。もっと美味しく料理する方法はないものか・・・。ほんとは大根を買ってきたかったんだけど、大根が売ってなかったし。
そんな感じで、職場に行き、料理をし、テレノベラを観る。いつもの生活に戻る。職場では、「Mucho
Vacaciones」(いっぱい休みとって!)などと言われるが、お土産のチョコレートで気持ちをほぐす。ちゃんとレターまで書いて休んでるのにね。しかし、米国人同僚のMaxがたくさん休んでも何も言われないのに、俺が休むといつも何かかしら言われる。これも人徳なのだろうか?ちょっと勘弁していただきたい。
今週、日本大使館と「見返り資金」の契約を締結する手はずとなっており、これは嬉しい出来事である。
<2002年11月17日(日) 即寝>
今日、ブルーフィールズに戻るべくマナグア空港に行く。バタバタしてて、空港には、出発20分前に着いたが、問題なく機上することができた。
ブルーフィールズに到着するとテレビクルーが一緒だった。どうやら前大統領アーノルド・アレマンが来るらしい。
家に戻ると、さっそく停電中。しばらく時間をつぶすが、何もすることがないので、夕方4時に就寝。途中、何度か目が覚めるが、電気がきてないので、結局そのまま寝た。
<2002年11月16日(土) 固い握手>
お昼、はじめてバーガーキングに行く。首都マナグアには随分ファーストフードショップができたものだ。フィッシュバーガーをオーダー。ちなみに、マクドナルドにはまだフィッシュバーガーはない。ボリュームはRegularでも結構ある。ただ、タルタルソースの量が少々少なかったのが不満。同期隊員陽子はチキンバーガーJrを頼んでたのに、店員のミスでちゃっかりふつうのチキンバーガーをもらってた。
夜は、大使館職員の九笹さんちでごちそうになる。友人から明太子をもらったらしく、ごちそうになる。美味しかった。さらに、炊き込みご飯、麻婆豆腐など。話の結論としては、「男は優柔不断なんだよね。」ということでまとまり、九笹さん、一緒に行った同期隊員寺ぴょんと3人で固い握手を交わす。
<2002年11月15日(金) チナンデカ市内観光>
朝からチナンデカ市内を案内してもらう。市場が2つもあり、なかなか活気がある。このあたりはニカラグァの穀倉地帯といってもよいのではないか。また、町の中心部の家は随分大きい。
俺が泊まろうと思ってたホテルにも連れて行ってもらう。なぜか、おそめさんが受付嬢と写真撮影。
市役所の屋上にも連れて行ってもらう。ここからは、チナンデカ市が一望できる。名山サンクリストバルもきれいにみえ、気持ちがいい。
そんな楽しき思い出を胸に帰途につく。今回は、ヤギ料理を出すレストランなど行けなかったポイントもあったので、機会があればまたチナンデカ・エルビエホを訪れてみたいと思う。
<2002年11月14日(木) 充実したチナンデカ・エルビエホでの一日>
今日は忙しく充実した一日だった。
朝から、あけみちゃんの活動、大豆教室に同行すべく、おそめさんと3人でサトウビキとトウモロコシ畑が続く道を市役所の車で乗せていってもらう。
そこには、婦人グループ15名ほどが集まっており、あけみちゃんが、大豆料理を2つ教えた。ニカラグァでも大豆は安く手に入るのだが、そんなに料理のバリエーションがなく、食べる習慣も少ない。さらに、大豆は栄養万点なので、彼女は大豆料理を教え始めたということだった。最後には、婦人グループリーダーから感謝の言葉があり、すばらしい活動に思えた。彼らの家庭の食卓に大豆料理が並ぶ日が待ち遠しい。
それから、エルビエホで同期隊員もよ(都市計画)の職場を見学させてもらい、昼食。その後、バスでチナンデカに戻ろうとしたら、あけみちゃんともよが、通りすがりのトラックをみて、「あっ」「うえっ」と叫びだす。どうやら知り合いの車らしい。おかげで、そのトラックに乗せてもらえることになった。ただ、もよはトラックに駆け寄る際に、左足を馬糞につっこんでた。あとでおそめさんが彼女に教えてあげると「なんで先に教えてくれなかったの!」こんな感じで、いつもどおりの会話を楽しむ。
夜は皆でディスコに行く。もよ、あけみちゃん共に踊りは上手。午前2時くらいまで踊り、帰路につく。その際、もよ・あけみちゃんコンビが「帰りにアイスクリームたべていこうねー」「ねー」「ニッ」などと言いながらショップに入っていったので、俺とおそめさんは店の外で待つことに。ちょっとおそめさんとトークを10分程度楽しむ。しかしなかなか出てこない。ちょっと様子をみるべく、店内を覗いてみるとなんと彼女達はゆったりテーブルについてコーヒーを飲んでる。もよいわく「呼びにいかなきゃと思ったんだけど、座ったらおしりが重くてぇー」
そういうわけで3時ごろにおそめさんちに到着。ついでに彼女たちも泊まっていくことに。おそめさんは、ベッドまで奪われそうになったが、なんとか死守し、彼女達はアマカ(ハンモック)で寝て、朝5時半に帰ってったらしい。
<2002年11月13日(水) 奪われた唇>
ニカラグァ北東部チナンデカを隊員活動見学のため訪れた。マナグアからはバスで約3時間。途中、右手には名山モモトンボがみえる。
ただ、バスに乗ってから15分後、便意をもよおし、数十分我慢したものの耐え切れない状態になった。そのため、一方通行で停止中の際に、運転手に頼み、バスから下ろさせてもらう。モモトンボをのぞみながらの放尿。いつもより長い時間の開放感とバスが去ってしまわないかという焦燥感を味わう
チナンデカには、同期隊員おそめさん(料理)が、迎えに来てくれた。約束時間より40分も遅れたにもかかわらず、笑顔で握手を求めてきてくれる。相変わらずのNice
guy。
昼食には、日本人びいきという食堂「アンヘリータ」に連れて行ってもらう。店主アンヘリータは、大柄できさくなおばさんで笑顔で迎えてくれる。挨拶の口づけをするのだが、おそめさんは唇同士で行い、俺は、彼女の左頬にキスをする。
午後は、おそめさんの職場であり料理教室を見学する。今日の料理は「お好み焼き」と「バナナケーキ」。なんか日本のカルチャー教室のよう。生徒はパン屋さんなどの店主から親子で参加している人までいる。ときおり、世間話に花が咲く。おそめさんもすっかり生徒に慕われていた。
夜、あけみちゃん(家政)も一緒になりBARで飲む。そのとき、おそめさんがあけみちゃんに「今日、アンヘリータに口にキスされたよ。」と発言。昼の時点では、これが彼らのあいだでは当たり前の習慣なのかと思ってたら、どうやら違ったらしい。ということで、アンヘリータおばさんは、彼の唇を奪った初のチナンデカ女性となったようだ。
<2002年11月12日(火) 前前任者とご対面>
ADEPHCA配属前前任者(初代)の岩川さんが、ニカラグァにいらっしゃっているので、同任地隊員順ちゃんと一緒に食事をご一緒させてもらう。
「地球の歩き方」にも載っている高級スペイン料理で食事をしたが、従業員がドアを開けても、案内もせず、さらにオーダーを忘れたりと、サービスはいまいちだった。ただ、生ハム、パエリアは美味しかった。
岩川さんは、開発コンサルタントをされておられ、お仕事の話や昔のブルーフィールズの話に花が咲く。隊員時代、気分転換のために購入されたギターがなんと$500もしたという事実に驚愕した。
非常に楽しい雰囲気で食事ができたのですっかり時を忘れ、閉店時間をこえていた模様。我々が席をたつ頃には、従業員は帰宅支度をしており、私服に着替えていたスタッフもいた。
<2002年11月11日(月) 安全対策会議>
今日、今回のマナグア滞在メイン目的の安全対策会議に出席する。これは、年1回行われるJICA主催の会議。ニカラグァ警察、軍関係者にも出席頂き、ご教授頂く。
途中、参加者によるグループ討議が行われ、俺は司会をしたため睡眠を免れる。各人から犯罪の経験談が話され、その対策案なども討議した。事務所盗難にあった人や銃をつきつけられ、威嚇をうけた隊員などもおり、緊張感ある議論となった。
なんとかこのまま無事帰国したいものである。
<2002年11月10日(日) ボーリング大会>
ニカラグァ日本人会ボーリング大会があったので、それに参加する。大使館、JICA、一般企業の方々など30〜40名程度の出席された。
日頃お会いしない方とも、ゲームがはじまると随分素がでて親しくなれるのが、ボーリングの醍醐味でもある。我がチームはなんの賞ももらえなかったが、まずまず楽しめた。個人賞は、男女部門共に大使館の参事官夫婦がgetされたが、接待ボーリングではなく実力だったと思われる。
<2002年11月9日(土) ゆったりマナグア>
昼食を同期隊員たむたむとイタリア料理店に行く。この店は1年ぶりくらい。なかなかの高級店っぽいんだけど、店員のメガネくんがちょっとどんくさい。ちょっと安めのランチメニューを頼もうとするが、なぜかスパゲティがない。結局、魚にする。美味しかった。
その後、メトロセントロ(ショッピングセンター)に行き、空CDを購入。ブルーフィールの60%程度の値段なので10枚ほど買う。ショッピングセンター内には、クリスマスツリーが飾られ、11月初旬にしてクリスマスモードをも演出しようとしてた。
<2002年11月8日(金) アエロセゴビア航空初機上>
今日、はじめてアエロセゴビア航空に機上しブルーフィールズからマナグアに行く。
機体は、プロペラ機ではあるが、従来の国内線の1.5倍から2倍はある大きさ。44人乗りのロシア製。イエローとグリーンを基調とした機体。機体内に乗り込んでみると、左右2列のシートで中央通路も広々としている。今回は、左前列2列目に座ることとする。
シートピッチは広く、十分、足を伸ばせる。これは、各航空会社の国際線エコノミーよりも広いと思われる。悠然と足をくみ、シートベルトをつける。ただし、リクライニングはついていない。さらに、クーラーの個別温度きりかえもついていないので、少々寒い。長袖が必要と思われる。
飛び立ってみてからも安定な飛行。ただ、プロペラの音が結構うるさい。次回は機体後部列に座ってみよう。離陸後しばらくしたら、スチュワートがワゴンと共に現れ、飲み物とパンのサービスをはじめる。ワゴンサービスはニカラグァ国内線でははじめてであり、そのなかでもアルコールサービスが光る。ニカラグァ名物ともいえるラム酒「Flor
de Cana」も無料提供。さらに、前列からサービスがはじまるので、もちろん俺から。
マナグアまでは約45分と従来エアラインより約15分短縮。なかなか快適だった。ただし、まだ機体数が少ないため、他航空会社より便数が少ないのが、デメリット。しかし、なるべくこのエアラインを使用しようと決めた。
<2002年11月7日(木) 明日からマナグアと同時に照明終了>
明日からマナグアに行くので、その準備をする。
そんな感じで睡眠についたら、部屋の照明の電気がきれてしまった。ちょうどよかったかもしれない。この半年ではじめてきれた。
<2002年11月6日(水) 星がだいぶみえるようになってきた>
最近は、だいぶ星がきれいにみえるようになってきた。
相変わらず雨は多いが、年末年始あたりは、空が澄んでるのか?今年の1月、2月もよく星がみえたし。そんなことを思いながら、家路につく。
<2002年11月5日(火) 第4号報告書完成>
今日は、日本に電話しないとと思ってたら、朝3:00に起床。まあ、ネズミが動きまわってたこともあるんだけど、思ったより早く起きてしまう。テレビをみたり、朝食を食べたりしながら過ごす。ニュースでは、南米エクアドルでもの火山噴火が起きており、驚く。ものすごい火山灰だった。
職場では、JICAへの報告書を仕上げる。8日に、久しぶりに首都マナグアに行くのだが、それに間に合わそうと思ってた。なんとか間に合いそうだ。
<2002年11月4日(月) 疑惑のホットドッグ>
昼、爆睡してしまい、昼食をとらずに職場に行く。ただ、ちょうど職場の前でホットドッグを売ってたので、それを昼食とする。ただ、夕方ごろからちょっと気持ち悪くなってくる。うーん、ホットドッグが原因なのだろうか?よって、家に帰ってから、またしばし休憩。
最近、郵便局の女の子が変わったのだが、帰り道、以前働いてた子に会った。彼女いわく、航空会社勤務に変わったらしい。そういや、ジェルモの奥さんも転職してたし、職がないニカラグァといわれながらも職についてる人は簡単に転職先がみつかるものなのだろうか?
<2002年11月3日(日) 少々のんびり>
朝から床屋に行く。ほんとは、夕方に行きたかったのだが、やってないとのことだった。日中だと、床屋が蒸し暑いので朝行ったが、もう9時の時点では結構暑い。
その後、新聞をもって、湾岸のレストランへ。珍しく音楽も静かめ。いくら料理がでてくるのが遅かろうが、のんびりすることができた。ただ、徐々に風がきつくなり、結局、1時間半ほどねばり、get
out of here.
夕方は、虎の子の「緑のたぬき」を食べる。.
<2002年11月2日(土) ニカラグァ人ですごいなと思うこと>
今週末も友達に写真を渡すべく訪問する。この写真は7月にブルーフィールズを去った芝っちに託されたもの。あれから、4ヶ月がたっていたが、そこは、なかなか入り組んだところにあるので、ちょっと行きそびれていた。
前に訪問した記憶を頼って、行ってみるが、どうも違う。そばにいた人に聞いてみると、ちょっと道がずれてたみたい。
たどりつくと彼等も覚えていてくれたようで、歓迎してくれる。芝っちの友達Isabelは小錦を4/5にしたぐらいの女性。ものすごくでかい。しばし、その家族と歓談する。
ニカラグァ人ですごいなと思うのが、2つある。1つは、家族と過ごす時間が圧倒的に長いこと。子供は学校は午前あるいは午後のみであるので、たいてい学校以外の時間は家に居る。そういや、うちの家のレイディも16歳くらいだけど、家の手伝いとか弟のお守とかよくしてる。夜も夕涼みしながら、家族が雑談してる光景がよくみられる。
もう1つは、ダンス。Isabel家でも5歳くらいの女の子が音楽にあわせて踊ってたが、ものすごくうまい。とくに腰の動き。こちらの踊りはセックスをイメージしたものが多いが、わずか5歳くらいにして彼女達は妖艶な腰のうごきをみせる。
<2002年11月1日(金) 電気復活>
朝になっても停電中。とりあえず職場に行ってみるが、みんな暇そう。まあ、違った目でみれば、うちの職場は結構コンピューターが普及しているということ。職場にいてもしょうがないので、同僚と小規模企業家を訪れる。しかし、不在。また、勘弁して欲しい。ただ、店番をしてた娘さんはかわいかった。知的なまなざしを感じた。しかしながら、推定年齢15歳くらい。
朝9時過ぎに、電気が復活した。
<2002年10月31日(木) 停電>
今日は、晩の8時から停電になる。もう勘弁してください状態。あえて、ろうそくをつけて一人ロマンチック状態になる必要もないので即寝。
<2002年10月30日(水) 自治記念日>
今日は自治記念日のため、パレードのようなものがあるため、朝から公園に出かける。同僚ジェルモと出会い、少々雑談するが、やっぱり「お前、ビール飲みたい?」ってことに。朝9時半から公園近くでビールを飲むことになる。
テレビでは、式典を行っている野球場の様子が映し出される。首都からエンリケ・イグレシアスではなくて、ニカラグァ大統領エンリケ・ボラーニョスも駆けつける。老体なのに大変だなと思う。さて、そういえば自治政府の首長って誰なんだろうと思い、ジェルモに聞いてみる。すると、「ほらっ、ダーナリーの彼氏だよ。」「えっ、ダーナリーの彼氏!!!」ダーナリーとはうちの職場の経理責任者の女の子なんだけど、あのときたまうちの職場に訪ねてくる彼が、なんとニカラグァ南大西洋自治区を代表する首長とは。俺は、ただの気のいい若者とばかり思っていた。
ちなみに、パレードでは、ジェルモの子供のダニエル(サンディニスタ党首ダニエル・オルテガとファーストネームが同じ)もニカラグァ国旗を持って行進してた。それで、俺が「あれっ、ダニエル、赤黒の旗(サンディニスタの旗)持ってないぞ!」と言ったところ、ジェルモいわく「ダニエル、equivoco(間違えたんだよ)」とのこと。これには、そばのおばちゃんも笑ってた。
<2002年10月29日(火) 誕生日おめでとう>
なんと明日は自治記念日のため、お休みとのこと。もっと早くに教えてくれよと思うところだけど、思わずラッキー池田。
今日は、米国人同僚Maxの誕生日ということで、職場にてお祝い。今、このNGOには14名ほど居るので、ほぼ毎月誰かかしらの誕生日があるということになる。そのたびに、俺は「Happy
Birthday」を日本語で歌ってるので、「誕生日おめでとう」だけは、だいたいの同僚が言えるようになってきた。
<2002年10月28日(月) メキシコサマータイム終了?
>
今日、プロジェクトの概要書が出来たので、打ち合わせをしようとしたら、なんとディレクターもサブディレクターも首都マナグア出張。というわけで、また後ろ倒し。少しずつすすめてた所属組織ADEPHCAホームページの日本語版作成作業を行う。
夜、子供たちからテレビのチャンネル権を禅譲してもらい、いつもどおりテレノベラを観ようとするが、なかなかはじまらない。なんと1時間遅れ。メキシコのテレビ番組なので、もしや「サマータイム」が終了したかなと解釈する。明日、メキシコの妹尾さんに確認することとする。
<2002年10月27日(日) 誇り高きOrientaleno(東洋人)
>
先日、母親がニカラグァで撮影した写真を送ってきてくれたので、それを友達の家に渡しに行ってきた。グリセルダの家に行ったところ、今日は、スープ販売をするらしく、皆でスープづくりに励んでた。せっかくなので、俺も購入することにし、できあがるまで、アマカ(ハンモック)でごろごろすることにする。
友達が気を利かせてくれ、日本の話などもする。ただ、また「ええっ、日本と中国と韓国は同じ国と思ってたわ。」などと18歳くらいの女の子が言ってきた。いつもどおりきれかけたが、丁寧に、中米にもホンデュラス、グァテマラ、ニカラグァといろいろな国があるとおり、アジアにもいろいろな国がある。さらに、言語も文化も違うことなどを説明してあげる。
それから、子供たちとうじゃうじゃ遊び、彼女の家をあとにして、空港に行く。今月かぎり、航空チケットが割引価格で販売されているので、今後のために2枚買っておいた。
<2002年10月26日(土) 仕様書はクリアするものの>
休日なので、家でダラダラしてると昼過ぎに友人レイムンドが訪れてきた。彼いわく出掛けようとのこと。めんどうだしと断ると、「いやあ、女の子2人と飲む予定があって、Hiroと一緒のほうがまあ2-2でいいかな。」と言ってきた。これには、重い腰をあげざるをえなかった。着替えて、香水をふりかけ、出掛けることとする。
昼の3時から、湾岸のBarで飲む。しばし、彼と談笑。また、しばし彼と談笑。一応、待ち合わせ時間は3時らしいが、既に4時。予想どおりの展開で、店を出て、他の店で飲む。
ただ、今回は、いつもとちょっと違い、遅れて女の子達がやってきた。彼女達いわく約束は3時半だったらしい。気分を改めて飲みなおし。一人は、昨日パーティーで飲んでたらしく、ちょっと疲れ気味。ただ、もう一人はめずらしく仕様書の外観・寸法をクリアしてるといってもよい。よって、自然とそちらに目が行ってしまう。ただ、ざっくりベースだが、彼女はおそらく15,6歳であろうということが悩みの種。
結局、彼女達と別れ、次の店に行く。夜は、ディスコにちょっと顔を出して、結局は、家で一人就寝。Buenas
noches.
<2002年10月25日(金) マチェテ事件>
アメリカで連続狙撃を行ってたスナイパーが捕まったらしい。
ニカラグァでは、マチェテと呼ばれる山刀(伐採、武器に用いる)での殺人、殺傷がときたま起きる。さらに、新聞あるいはテレビで、被害者の傷の様子などがそのまま報道されるのである。
事件も起きて欲しくないが、俺にとっては、その写真あるいは画像をみるのが結構きつい。
<2002年10月24日(木) 傘が・・・・>
今日は、最近調子の悪かった傘が壊れてしまい、結局、タクシーで職場まで行く。最近また、雨が多くて困る。結局、今日は2回もタクシーを使ってしまった。
夜は、ホストファーザーと髭剃りの話になり、俺の電動シェーバー(ブラウン)をみせると驚いてた。俺は手動のかみそりは、面倒なので、ほとんど使わないのである。
<2002年10月23日(水) 朝の4時から格闘>
今朝、な〜んかがさがさすると思って起きてみたら、なんとネズミが俺の雑誌をかじってた。朝の4時から。もう、勘弁して頂きたい。俺の本箱(ダンボール箱)からすべての本を取り出すと、そのネズミくんは出て行った。ちょっと匂うし、かじられた紙くずなどが落ちているので、結局、そのダンボール箱にいらない本を入れて、箱ごと処分することに。さらに、封印しておいた「ごきぶりホイホイ」を再び設置。
夜、さっそく「ごきぶりホイホイ」にひっかかったであろうネズミくんの声が聞こえてくる。ウー、クーッ。ちょっと畜殺場に連れて行かれる豚の鳴き声に似ている。残念ながら、こうするしかなかったのだ。
<2002年10月22日(火) 離れて暮らす長男>
最近、「親と離れて暮らす長男・長女のための本」(外添要一責任監修)というのを読んだ。おそらく、以前の長男か長女であった隊員が置いていったものだろうね。
非常に興味深かった。老後、介護、財産など人生における様々なイベントについて書かれていた。いずれにせよ、きちんと知っておかなければいけないこと。そんなこんなで久しぶりに実家に電話してみた。
<2002年10月21日(月) 秘密暴露>
今日の朝の会議では、サブディレクターが皆に「今後のプラン、そして、自分にできることは何かを提出するように。」と言ってた。内心、「おー、日本の会社のようだ」と驚いてしまった。うまくこういう習慣が定着していけばよいが。
夜、いつものようにテレビドラマ「Las vias
del amor(愛の道)」を観てたのだが、とうとう嫌なおばさんが、秘密をばらしてしまった。「彼女は、あなたの本当のお母さんじゃないよ!」「彼女は、あなたの祖母なの!!!!!!!!」(ここで、サウンド カットイン)相変わらずのオーバーリアクションの連続だが、これがスペイン語習得中の俺には非常に分かりややすくてよい。
<2002年10月20日(日) プリンセッサと出会う>
朝から、木彫りのおっさんの家に行く。しかし、不在。もう勘弁してくれよというところだが、息子が以外にも丁寧に教えてくれる。元材の木から、工具、デザイン資料など、いろいろみせてくれた。ナイスガイだった。結局、帰り際におっさんが家にもどってきた。
夜は、同僚ジェルモの家に行き、ワールドシリーズを観る。新庄が出場しなかったのは残念だったが、なかなかの接戦だった。最近、だいぶスペイン語での野球用語をおぼえる。しかし、たとえば「ジャイアンツ」を「ヒガンテ」などチーム名までスペイン語にするのはやめて頂きたい。有名どころは覚えたが、マイナーなチームだと会話が混乱してしまう。
それから、彼は最近子犬を飼いはじめたが、その犬の父親はドーベルマンらしく、けっこう凶暴。しかし、名前は「プリンセッサ(王女)」。そうとう噛みかかってくるが、なかなかかわいらしい。ただ、俺の場合、噛まれたら、首都マナグアまで行って、狂犬病検査を受けなければいけないので、噛まれるのはNGとさせてもらった。
<2002年10月19日(土) 初体験>
夕方、ぷらぷら散歩した。今月末まではお祭り期間中ということで、公園にはいろんな出店がでてる。また、木彫りの店もあったので、おっさんとしばし話す。もう、35年もやってるらしい。ぼちぼち商売はなりたってるみたいだが、ブルーフィールズには観光客があまり来ないのが問題だなあと話してた。観光客に人気のコーン島に店を出すことをすすめておいた。
公園でジュースでも飲もうかと思ったら、同僚ジェルモに出会い、しばしビールを飲むこととする。その際、靴磨きの少年に靴をみがいてもらった。前からやってもらいたく機会を伺っていて、やっと実現。わが人生ではじめての経験であった。ちなみに値段は、3コルドバ(30円)。
<2002年10月18日(金) 「見返り資金」外務省承認>
今朝、在ニカラグァ日本大使館より電話があり、以前より申請していた「見返り資金」の承認が外務省本部でとれたという連絡があった。あとは、諸手続きを済ませると、所属NGOのプロジェクトに資金が供与されることになる。
今回は、所属NGOにとって、2回目の申請だった。よって、ゼロからの出発ということではなかったけれども、承認までは長い道のりだった。約1年もかかったよ。
資金供与された後、その資金は、主にブルーフィールズ市の零細企業家への小規模融資にあてがわれていくことになる。元はたどれば、日本国民の税金。この不況のなかの、いわゆる血税。私としては、それが有効に使われるように協力していかなければいけない。
<2002年10月17日(木) 同僚ルシアーノ>
今日は、同僚ルシアーノの子供の誕生日ということで、昼食をごちそうになる。ルシアーノは昼はADEPHCAで働き、夜は大学で教鞭をとるという忙しい生活を送り、また、非常に実直な人物である。
ただ、関係ないが、今の奥さんは三人目。一人目の奥さんはキューバ人で娘と共にキューバに生活してる。二人目の奥さんはコスタリカ人で、息子と共にコスタリカで生活。そして、今は、ニカラグァ人の奥さんとの間に三人の息子と生活している。ルシアーノ、なかなかワールドワイドな人物ともいえる。
昼食をごちそうになったあと、私より、日本語で「Happy
Birthday」の歌を歌ってあげる。しかしながら、さらに、英語とスペイン語まで歌わされ、あげくのはてに、一緒に行った同僚ジェルモから「mala
cantante(あんまうまくないね)」と言われてしまう。きれかけましたが、我慢しました。
<2002年10月16日(水) 焼きそばもどき>
こちらにもニカラグァ風ラーメン、Tallarin(タジャリン)というのがある。今日は、その麺を買ってみた。茹でてから、焼きそばのように、野菜、ウインナ-、卵で炒め、それからソースとしょうゆをかけて作ってみた。これが、なかなかうまい。かなりの絶品だった。
首都マナグアの隊員連絡所では、でっちゃんと「無償日本食譲渡条約」を締結しているので、「日清やきそば」をもらって作っていたのだが、これで、任地でも焼きそばもどきが食べられるようになった。
<2002年10月15日(火) 春雨の残り >
土曜日の「生春巻きパーティー」での春雨ののこりがまだ結構ある。毎日、何かかしらの料理にそれをつかっている。味噌汁、チャーハンなど。
家族は、隣家からもらったランゴスタ(伊勢海老)スープを食していたが、ここはじっと我慢の子である。しれーっと一口もらったけれども。
<2002年10月14日(月) 遊びすぎ >
今日は、朝から身体が痛い。週末、遊びすぎたせいか・・・。運良く夕方は現地職員のみの会議があったので、少し早く帰ることができる。9時から爆睡した。
<2002年10月13日(日) 3回目のラグーナデペルラス(真珠潟) >
今日も、朝6時半に起きて、マングローブをみるべくラグーナデペルラスに行った。ただ、予想通りというか港では2時間15分も待たされて、ボート出発、約1時間かけて10時半に到着。途中に道のりで、マングローブらしきものがみえ、あれがそうだろうと納得。でっちゃんいわく「もっと木が低いはずだよ。」ということだったが、成長すれば伸びるんじゃないかということにする。
そこから、アグアスという浜辺に行こうとしたんだけど、帰りのボートはなんと1時出発。滞在時間は2時間半しかない。しかもアグアスまでは遠く、結局、たどりつくことはできず、無念の撤退。(車が走ってないので、タクシーがないし、歩いてしかいけない)
でも、風景は、なかなかのんびりしていて、よかった。いくつもの沼があり、結構、水も透明。マングローブもある。なんか花が咲いてない北海道の平原という感じかな。沼では、人々が洗濯したり、泳いだりしている。
ボート片道1時間ずつの往復は、けっこう身体に疲れをもたらし、帰宅後、マルチャン(カップラーメン)を食べて昼ねした。
関係ないけど、朝から停電だった。
アグアス訪問は、次回への宿題ということになってしまったが、充実した週末だった。
<2002年10月12日(土) 地味だが根のいる作業 >
今日は、昨夜の疲れも癒さぬまま、朝6時半に起床。太平洋側から同期隊員のたむたむとでっちゃんが遊びにきてくれたので、空港に迎えにいった。
まずは、市場見学。今日は、観光的にはラッキーで、牛の解体が行われていた。これは、何度みても結構すごい。でっちゃんが牛の角に興味を持ったので、「ちょうだい」と言ってみた。そしたら、角2本が後頭部についたまま渡してくれた。受け取ると手には血がべっとり。さすがに処理に困ったので、結局は、丁重にお返しした。
午後は、我が家にて、「生春巻きパーティー」となる。たむたむが材料を持ってきてくれたので、海老のみこちらで購入して料理。でっちゃんが海老の背綿を全てとるという、地道だが根のいる作業をしてくれたおかげで、美味しく食することができた。
<2002年10月11日(金) 久しぶりのディスコ >
今夜はなかなか忙しかった。いつものとおり8時までに食事を終わらせ、テレビドラマをみようとしてたら、米国人同僚Maxがパーティーに誘いに来てくれた。それで、出掛けることとする。
まずは、ノルウェー人の留学生のところ。それから、米国人の子の家で二次会。そして、ディスコ。結局、深夜3時まで居ることになった。
ディスコでは、ノルウェーガールと踊れたことは着目すべきだが、さらにひとつ追加がある。 休憩してたら、ニカ人の連れが「後ろでかわいい子2人が踊ってるので誘おうぜ」と言ってきた。
2人で誘ってみると、もちろんagree。黒人系のなかなかかわいい子だった。しかしながら、1曲にて終了というのが悲しき運命のさだめ。
<2002年10月10日(木) Se murio>
今日は、カウンターパートであるマチャドのおじいさんが亡くなったということで、仕事は5時で終わり、皆で、彼の家に行く。しかし、彼はあいにくの不在で、結局、30分ほど待って帰ることとする。
<2002年10月9日(水) 雨つづき>
今日は大雨、タクシーにて職場に行く。さっぱり洗濯物がかわかず、ローテーションが非常に厳しくなってくる。ズボンなどは基本的に連投だけど、靴下や下着などはそうもいかずなかなか困っている。
<2002年10月8日(火) 郵便局でのワンシーン>
郵便局に行く。最近、新しい子が働き始めたが、彼女が話し掛けてきた。
「あなた、日本人なの?」
「そうだよ」
「日本に行きたいんだけど、どうやってたら行けるの?」
「うーん」
「いくらぐらいかかるの?」
「12ペソ(120円)くらいかな。もし、君がハガキだったら」
「もー(まあまあ受ける)」
「日本人の妻になれば行けるの?」
「まあ、可能性はあるね。」
「あなた、奥さんいるの?」
「いないけど、君は彼氏いるんでしょ。」
「いないわ。」
「でも、愛人はいるんだろ。」
「(笑う)」
まあ、いつもそんなたいしたこともない会話をして、生活している。和訳するとなかなかおもしろいが、ロマンチックさは微塵もない。彼女は残念ながら、俺の仕様書を満たしていないということで、葉書を出してから笑顔で退散させて頂かざるをえなかった。
<2002年10月7日(月) マンツーマン>
朝はオムレツを頼む。これがなかなか美味い。チーズと卵が心地よいハーモニーを奏でてる。昨日のパンケーキも美味しかったが、満足、満足。ちょっとフライトまで時間があったので、朝の散歩を行う。のんびりしていい感じだ。
帰りは、幸運にもプエルト・カベサスからブルーフィールズに直行便が飛んだ。カリブ海の海岸線を望みながら、南下していく。少々揺れたけれども、なかなか景色もよく快適だった。 ちなみにパイロット2名、乗客2名のマンツーマン体制でのフライトだった。果たして利益率は?
<2002年10月6日(日) プエルト・カベサス観光>
朝からプエルト・カベサス隊員の3人にアテンドしてもらい、街を見学する。まず、スーパーに行く。スーパーがあるというのが、ブルーフィールズとの大きな違いというか差ともいえる。しかも、スーパーが思ったよりモノが充実していてうらやましい。さらに映画館もある、結構新しいのが放映されており、少々の羨望を感じる。
浜辺に行く。カリブ海を望むが結構きれい。浜辺では少し茶色だが、遠くを見渡せば緑色でいい感じだ。休日の散歩を楽しんでいる人も何人かいた。
病院、職業訓練学校、港、市場、村落などなどを案内してもらい、すっかり満喫。レストランもいいのがあるし。ニカラグァの北東ということで、だいぶ辺鄙なところと思ってたけど、考えを改めなければいけません。夕食のときは、3人の隊員から貴重なお話を聞かせていただき、充実の滞在だった。
<2002年10月5日(土) プエルト・カベサスへ>
航空会社に電話してみるが、やはりプエルト・カベサスへの直行便は飛ばないようで、首都マナグア経由にて行くこととなる。そのおかげで3時間以上のロスをして現地に到着。マナグアからプエルト・カベサスまでは1時間半と結構長い。
プエルトは、ブルーフィールズと同じくカリブ海側の街だが、様相が異なるところも結構あった。まず平野であり、道も広々している。黒人の人よりミスキート族の人が多い。高床式の家が更に目立つ、などなど。
今回は、結構いいホテル(1泊2000円ほど)にしたので、なかなかくつろぐこともできた。
<2002年10月4日(金) 明日から3連休>
今日、いきなり来週の月曜日が休みだと聞かされた。10月7日は聖母マリアの日らしく、彼女は、ブルーフィールズ市のPatrona(守護聖人)なので休みということ。
よって、棚からぼたもち的な3連休。どうしようかと思案したあげく、ニカラグァ北東部カリブ海側の街、プエルト・カベサスに行くこととする。ただ、飛行機の直行便が飛ぶかどうかいまいち不安。一応、予約を入れてみる。
<2002年10月3日(木) サケ、サケ、サケマテ>
事務所の前で道行く人をただ眺めていたら、後ろから同僚ジェルモがわけわからんことを言ってくる。一応、聞いてみたところ、ミスキート語らしい。なんか最近楽しそうにミスキート語をつかってくる。困ったおっさんだ。
それから、朝いつも「サケ、サケ、サケマテ」と言ってくる。先週、日本酒をごちそうしたときに、翌日2日酔いになったらしい。がぶがぶ飲んでたんだけど・・・。それで、「酒はもういい」って言ってたのだが、なぜか嬉しそうに「サケ!」を連呼してくる。
<2002年10月2日(水) 南米ボリヴィア>
この頃、南米ボリヴィアに行きたいと思い出し、ときたま調べてる。ボリヴィアは、ニカラグァの数倍、日本の約3倍もあり、結構広い。広大なウユニ塩湖からブラジル近くのジャングルまでなかなか魅力的でもある。今のところ、任期終了後の旅行先として、かなりトップランクにあがってきている。
<2002年10月1日(火) なぜかフリーセル>
最近、少し考えることがあり、あまり仕事に集中できない日々が続いている。困ったものだ。そんなときに。パソコンについてる「フリーセル」というトランプゲームをやってしまう。なぜか、今更覚えてしまったのだ。最初は、なかなか難しかったが、今ではほとんどクリアできるようになってしまった。うーん、いいのか悪いのか。