2002年9月〜
 2002年8月〜
 2002年7月〜


2002年9月30日(月) ピザ屋での出来事 
 今日は、お祭りなんだけど、なぜかうちの職場は出勤。しかし、あまり職員のやる気は感じられず。しかも、ただせさえ、暑いのに。
 いつもより30分はやく職場はクローズ。友人レイムンドとピザを食べにいく。
 ピザを食ってたら、酔っ払いがレシートを持って、こっちへ来た。
 彼いわく「俺、家族用ピザ頼んだんだけど、金ねえんだよ。」、だって。
 「じゃあ、頼むなよ」とか思いながら、彼のレシートをみると、170コルドバくらい(約1700円)。彼は50コルドバくらいの所持金をみせる。ようは、俺に残りを払ってくれとのこと。
 結局、従業員に促させて、席から離れてもらう。


2002年9月29日(日) 穏やかにしてほしいんだけど 
 俺は今日は休憩だが街は騒がしい。明日が、サンヘロニモというお祭りのため、準備やら、踊ったりやらで。街のあちらこちらで、夜、躍ってる人たちがいる。
 去年は、お祭りというと、どんなものか楽しみにしてたが、今は、穏やかにしていてくれという感じもある。しかし、こちらの人はお祭り好き。でも、日本みたいに形作られてない、気分というか流れにまかせて、行われているという感をうける。


2002年9月28日(土) 日本酒試飲 
 今日は、同僚たちと飲みにいく。日本からお母さんに頼んでお酒をもってきてもらってたので、それをふるまう。
 彼らいわく、「チチャ(chicha、主に中南米で、トウモロコシを発行させて造った飲料)に似てる。」とのこと。喜んで飲んでた。
 しかし、こちらの人はつまみなしでよく飲む。ビールだけを延々と、日本だったら居酒屋でなにか注文しながら、飲むのにね。だから、こちらで飲みに行くときは、腹ごしらえをしてから行くようにしている。


2002年9月27日(金) どちらが危険? 
 やっと一週間が終わった。今週は、いつもにも増して暑かったので、結構疲れた。
 
 最近は、宮部みゆき「模倣犯」を読んでる。相当分厚い2巻ものなのだが、なかなか面白い。深夜に読んでいると怖くなってしまう。
 そういえば、アメリカの「Discovery」というテレビ番組でもよく犯罪について取り扱っているが、複雑怪奇な犯罪は多い。日本でも、意味なく殺人する人が多くなってるらしいし。ニカラグァでも殺人事件などはあるが、「金ほしさ」や「憎しみ」などまだ単純である。さて、日本とニカラグァ、どちらが危険なのだろう?


2002年9月26日(木) バルバドス? 
 今日は、Directorたちが「バルバドス」に出張するという知らせがあった。まあ、ニカラグァのどっかのことだろうとうやむやにしておいたが、やはり気になり同僚ジェルモに聞いてみた。そしたら、なんと外国。白水社「和西辞典」の最後のページの地図帳をみせて確認したところ、カリブの小国だった。NGOの集まりがあるらしい。もし、日本人でこの国を知ってる人がいたら百円あげよう。

 夜は、ツナジャガをつくった。さらに、お母さんが味噌を持ってきてくれてたので、味噌汁もつくってみる。やはりインスタントとは違う。おいしすぎる。
 しかし、料理をつくってるときに、いつもホストファーザーが観に来るのがなかなか困る。こちらは、舌先まで感覚を研ぎ澄ましてる最中に、「なにこれ?」って結構質問してくるので。
 しかも、今は相当暑いから、汗だくになってご飯を食べている。


2002年9月25日(水) 黒のパンツ 
 今日、料理をしてたら、ホストマザーが「あなたにあやまらなければいけないことがある」と言ってきた。しかし、笑顔。「なんだ、なんだ、洗濯でも失敗したのか?」と思ったら、彼女いわく「この前、あなたのシャワー室をつかったときに、この前パンツを置き忘れていたの?」ということ。
 
 そう、この前、帰ってきたらシャワー室に
黒のパンツが干してあったのだ。あの時、きもいなと思い、応接のソファにほっておいたのである。そういや、シャンプーも結構なくなってたし。 
 
 なかなか困ったおばちゃんである。テレビドラマの世界であれば、家の娘がうっかりというシーンもありえるだろうが、なかなか現実ではうまくいかないものである。


2002年9月24日(火) 終わってしまったエアロビクラス 
 職場を後にし、久しぶりにエアロビの場所に向った。しかし、なんか暗い。電気がついてない。近くに居たシスターに聞いてみると、「ロイ(エアロビの先生)は、船に出稼ぎに言ったわ。」 ロイは、前から出稼ぎしようと思ってたのだが、とうとうブルーフィールズを去ってしまったのだ。外国船で働けば、数倍は稼げるからね。
 そういうわけで、エアロビクラスが終了してしまった。仕方なく、ちょっと肩を落としながら家路につく。


2002年9月23日(月) 日暮れが早いブルーフィールズ 
 昨日は徹夜をしてしまったが、眠気を振り切り、空港に向う。ブルーフィールズへ向う飛行機では爆睡。これは、なかなかいい方法かも。
 
 ブルーフィールズは暑い。はちゃめちゃ暑い。もう、太平洋側のマナグアとえらい違い。職場に向うまでに、Yシャツが汗で透き通るほどとなった。さらに、しかも日が暮れるのも随分早くなった。夕方5時半にはすでに暗い。暗い中、家路につくのは寂しいので、もう少し日暮れは待ってほしい。


2002年9月22日(日) 落ち着いて映画が観たい 
 今日は映画を観にいくが、残念ながら途中で寝てしまうほど、退屈気味だった。しかも、映画館内で子供は走り回るし、大人たちはしゃべるし、困ったもの。ついには、そのうるさい方々になんと俺自らが口に人差し指を持っていき、「シッ」と注意する始末。いやはや、なかなか落ち着いて映画もみられません。隊員連絡所で昼から「グリーンマイル」のビデオを観だしたキョウコさんは正解でした。
 
 気を取り直して、コーヒーを飲みながら雑誌を読みふける。この時間がなんとも心地よい。


2002年9月21日(土) 大雨 
 今日は大雨。でっちゃん、タムタムと何故かボーリングに行こうという話になり、大雨のなかボーリング場に向う。しかし、想像以上の大雨。徐々に動かなくなった車や数人がかりで押している車が目立ちはじめる。また、道によっては川のようなところもある。水が押し寄せてきて、自動車整備隊員のでっちゃんが「これはやばいよ」と言い始める。途中で引き返したほうがいいのではと思ったが、なんとか執念で到着。運転手と車(韓国製)に感謝。

 ボーリングは約1年ぶりで、しかも同じ場所。去年は、右手薬指に器具を装着していたので、左での投球を余儀なくされたが、今回は、右腕をつかえる。しかし、ここは球も傷だらけだし、雨漏りすらする。もちろん点数計算は手書き。まあ、いかなるコンディションでもそれに対応しなければいけない。レーンと会話しながら、なんとかスコアをまとめる。

 それから、ビリヤード。これも約9ヶ月ぶりだったが、なかなか気持ちよくできて、いい気分転換になった。ビリヤードはニカラグァでは相当な人気であるが、俺のニカラグァ人の友達はそんなにしない。一度、一戦交えてみたいのだが。


2002年9月20日(金) 女医 
 隊員連絡所にて、日本のテレビドラマのビデオ「女医」をみる。これはシドニィ・シェルダン原作のものをアレンジしたもの。これは面白かった。中谷美紀主演で、彼女が患者殺しの容疑で起訴されているのだが、そこに至る経緯が描かれ、そして最終回では判決が下される。3人の女医が出ており、中谷美紀のほかに、りょう、天路恵美(?)(「ひとつ屋根の下」での小梅)が出演している。さらに、ある患者の恋人役でなつかしの「パパはニュースキャスター」で田村正和の子供役の一人「愛」という字を書いてめぐみちゃんの一人が出演してた。(すいません、名前を失念しました。)

 昨日は、「看護婦」の愛ちゃんと「助産婦」のにしとーさんと一緒に観てたので、いろいろと医学的見地からのご意見も拝聴することができた。さすが協力隊? しかし、このドラマをみると一層病院など行きたくなくなる。ぜひ、信頼する医師をみつけないと!


2002年9月19日(木) お母さん帰途へ 
 朝4:00に起床し、いろんな処理を終わらせ、空港へ。ただ、チェックイン後は結構ひまで、搭乗までのんびり待つ。まあ、お母さんとしては話でしか聞いていなかった息子の住んでる国を実際に目でみて安心したようだった。7:45発のコンチネンタルでヒューストンに向う。そこで1泊し、翌日日本に帰国予定。


2002年9月18日(水) 迫力あるマサヤ火山 
 今日が、実質お母さんのニカラグァ滞在最終日。早いものである。バスでマサヤに向う。まず、ニカラグァの名所のひとつ、マサヤ火山に向うべくタクシーに乗る。貸切で100ペソ(約1000円)程度と聞いていたが、なんと最初の言い値は15ペソ。少々の怪しさを感じたが、まあ行ってみる。しかし、やはりおかしかったようで、警察につかまり、運転手の身分証明を確認したところ闇タクシーだった。結局、ほかの乗り換えて火山に向う。次はなかなかいい奴だった。

 マサヤ火山は俺も始めて行ったのだが、相当すごかった。火口のすぐ側までいけるのだが、大迫力。ここは一見の価値アリ。

 それから、コヨテペというところ小高なところに行く。ここからの風景も非常にいい。

 市場でお土産買いなどをして、マナグアに戻る。明日は、朝4:00起床のため、即行寝る。


2002年9月17日(火) オーカー 
 朝いちの飛行機でマナグアに行く。昼食をプラザインテルというモールでとる。お母さんは予想に反して、昼ごはんにケーキを選択。しかも結構ご満悦。俺は生クリームのケーキが恋しいのに・・・・。(ニカラグァには基本的に生クリームのケーキ屋さんはありません)
 
 それからマナグア湖周辺、大統領府、博物館などをまわる。博物館では、いちおう職員の説明を受けた。スペイン語を話す俺に対し、彼はかたくなまでに英語で説明をした。しかも「OK」を「オーケー」ではなく
「オーカー」と言う。本来、写真撮影は有料なのだが、最後に1枚ならいいよと言い、さらに自分でも撮りたがった。チップをねだってきたので、仕方なく5ペソ(50円)あげる。

 その後、ウエンベス市場へ。ここは食料品から電化製品まで何でも揃い、お土産もそろってる。お母さんがモノを探してる間、店員とのトークを楽しむ。最後に、お母さんはハンモックも買った。ハンモックはぜひ実家につるしてほしい。俺が帰国したとき、どこにつるしてあるか非常に楽しみ。あれでごろごろするのは非常にきもちがいいのだ。


2002年9月16日(月) 雨のコーン島 
 昨日は、タムタム親子と一緒に来させてもらったが、今日は、亜希美ちゃん(家政隊員)親子もコーン島に合流する。しかし、あいにくの雨。
 
 ちょっと海岸を歩いていると、亀肉屋発見。小屋のなかには、10数匹の海亀がいる。ある亀は裏返し、ある亀は表向き。おじさんいわく、弱るまで亀は裏向きにするらしい。

 今日は、昼過ぎから小雨になったが結局泳がずに終わった。まあ、いい休憩になったやもしれない。

 夜はなぜかホテルに大きなカニが現れた。


2002年9月15日(日) 雨漏り 
 朝からコーン島に向うべく空港に向う。首都マナグアから飛行機が来たので、そろそろかなと準備していた。すると、その飛行機に乗ってた同期隊員タムタムが飛行機から下りて、ものすごいダッシュで待合室に向ってやってきた。しかも表情は厳しい。一応、こちらとしては万全の挨拶すべく心構えたが、彼女は途中で左折した。ようはトイレに行きたかったらしい。
 
 さて、コーン島。今回は、3度目の滞在。「隊員活動はしているのか?」というご指摘もあるやもしれませんが、2度は案内ということで勘弁いただきたい。幸運にもいい天気。さっそくシュノーケルをし、魚たちに挨拶をしてくる。

 ただ、ニカラグァでは、一般的に料理を給仕するのがものすごく遅い。レストランでは45分から1時間はざらである。今回の宿もそれにしかりで、お母さんも少しずつ慣れてきてはいるが、最初は相当気にしていた。それから、今夜も大雨で、部屋は雨漏り。俺は、もちろん爆睡していたが、お母さんは途中で何度も起きて、チェックしたり、冷房の温度を調節していたりしたようだった。


2002年9月14日(土) 身体に悪いニカラグァタクシー 
 今日は、ニカラグァ中がお祭りで、ブルーフィールズでも各学校による行進が行われる。そんなこんなで町がざわめいてるので、昼前から行動開始。その前に、家で朝食をとり、お母さんに鍋で炊いたご飯を進呈する。
 
 町に出ると暑い中行進が行われており、カラフルな衣装をきた子供たちが歩いていった。 
 その後、町を散策し、友達の家などに行って、軽く現地交流。

 お母さんも疲れたようで、帰宅後は結構寝る。時差ボケもあったんだろうし。軽いカルチャーショックもあったみたい。とくに、悪路の中をスピード出して駆けるタクシーに疲れたみたい。ニカラグァの運転手は、他の途上国同様(一般論)、運転が荒いが、さらに話し掛けるときにいちいち後ろをむくのが、お母さんにとっては気が気でなかったらしい。さらに悪いことに今日は2件も交通事故の現場をみてしまった。


2002年9月13日(金) お母さんとブルーフィールズへ 
 昼過ぎより、お母さんと任地ブルーフィールズに向う。小型飛行機の乗り具合を心配したが、お母さんはそんなに怖さは感じていないようで、窓から写真を撮ってた。

 家でしばらく休憩し、職場に向う。職場では、しばらくDirectorと歓談し、見学する。それから、なんとアイスクリームなどが出され、ささやかな歓迎会をしてくれる。一同が集まり、自己紹介、写真撮影などなど。ついでに、プレゼントも用意しておいてくれて、よかった、よかった。休みをとるために、さんざんお母さん来ニカのこともアピールしていたのが功を奏したのかな。
 
 夜は、同任地隊員順ちゃんも交え、3人で食事をし、帰宅。お母さんは、ホームステイ先の一室にて泊まらせてもらったが、なかなか寝られなかった模様。さらに、鬼のようなスコールがあったし。


2002年9月12日(木) 大使館でプロジェクト説明 
 所属NGOのプロジェクトの現状説明すべくDirectorと日本大使館を訪問する。今日は、大使にお時間を頂き、お話させてもらうことはできた。短い時間で概要的なことしかお話できなかったが、大使もあまり情報の入ってこない大西洋側のことを有識者(うちのDirector)から聞くことが出来てよかったとのことだった。

 夜は、空港に行く。マナグア空港の改築もだいぶ終わり、到着ゲートも新しい場所に移った。そこで、到着するお母さんを待つ。なんかあまり実感がわかない。今まで、メールのやりとりなどをしていて、今日ここに着くのは知ってはいるものの、いまいち実感がわかない。待つこと数十分後、午後9時過ぎに他の隊員の親御さん達と共に、見事到着。雰囲気は日本ながらも舞台だけがニカラグァとなったような不思議な感覚と共に再会し、ホテルへと向かった。


2002年9月11日(水) 出版社訪問 
 今日は、所属NGOの機関紙づくりの調整のため、出版社を2件ほど訪問する。2件ともブルーフィールズの出版社と違い、規模が大きい。気に入った1件は、真摯に対応してくれ、いろんなサンプルをみせてくれた。値段的にもブルーフィールズのところより安い。こことやっていこうかなと思う。
 
 夜は、コスタリカのバレーボール隊員坂田さんが、ニカラグァを訪れてたので訪問する。彼は、女子コスタリカナショナルチームのコーチをしており、今回は、中米大会に参加しているチームに同行としてきている。コスタリカとニカラグァは中米では強いらしい。彼の宿泊先に行くと、中米各国の選手も滞在しており、挨拶などもすることができた。食事でもできれば、もう少し仲良くなれそうだったが、レストランが込み合っており、少々残念であるが場所をうつした。


2002年9月10日(火) またマナグアへ 
 今日から、またマナグアに行く。
 仕事のためと12日からお母さんがニカラグァに来るので、そのお迎えのため。JICAでは、主に協力隊隊員父兄のために「視察の旅」というのを企画してくれ、JICA関係者が同行し、参加する父兄が子供の任国を訪れることができるのある。ただ、個人手配よりも結構な値段がする。
 まあ、親御さんにとっては、個人ではなかなか腰が重いので、よいチャンスともいえるかな。うちの母親も新婚旅行以来の海外旅行、しかもニカラグァということで、どんな反応をするかなかなか楽しみでもあります。


2002年9月9日(月) 次期ブルーフィールズ派遣隊員から 
 今日は、なんと協力隊15年度1次隊(2004年7月ニカラグァ着任)にてブルーフィールズ派遣予定の方からメールを頂いた。
 2004年7月というと、ブルーフィールズには隊員が誰もいないんだけど、なんか次に来てくれる人がいると思うとうれしいものです。順ちゃんの後任で、職業訓練学校でコンピューターについて教えるとのこと。
 今は、約40名程度に減ってしまったニカラグア青年海外協力隊隊員だけど、JICAとしては隊員を増やしていく方針らしいです。


2002年9月8日(日) 夕暮れ 
 夕方から散歩する。公園に行ってみた。
 公園で、ほぼいつもの辺りに座り、たたずむ。 
 あいかわらず子供たちがたくさんいて、お母さんもしくは兄弟と遊んでる。とくに1歳から1歳半くらいの子がかわいい。ひょこひょこひょこひょこ歩いてる。ときおり前のめりに転んだり、たまには一人バックドロップをして、泣き出している
 子供たちはいろんなものに興味を持ち出す。落ちている枝や石、くぐれるかくぐれないかぐらいの空間など。途中、お母さんからが厳しく注意して、しばらくは大人しくなるが、またひょこひょこ歩き出す。
 そんな感じで夕暮れとなり、空には三日月がみえた。西の空には、いつものように一番星が輝いた。


2002年9月7日(土) 床屋は夕方に行くべし 
 今日はお休みということで、床屋に行く。朝から活動すべく午前中に行った。しかし、暑いので、どうも居心地が悪い。なんか汗臭い匂いもするし。床屋は夕方に行くべしということを今更ながら知る。
 夕方は、ちょっと近所にコーラ-を飲みに行き、本を読む。
 夜は家族とテレビをみるといった1日。


2002年9月6日(金) でも、デモ
 今日はブルーフィールズでデモがあった。南大西洋自治区の教育改善について。うちの職場も参加するということで、夕方4:30より市役所前に集合ということになった。一応、俺も同行する。
 まず1時間半ほど、要人たちがスピーチを行う。各団体が用意した横断幕のようなものをかかげる。それから、1時間半ほど行進。同行してみたが、これがなかなかつかれる。前のガリフォナ族の団体は、途中から踊りだすし。さらに、皆で
「Autonomia!Ya!Autonomia! Ya! Autonomia! Ya!!!!!」(自治!自治!自治!)などと連呼しだす。
 そうこうしてなんとか市役所に戻ってきた。
 このデモは中央政府に対して、南大西洋自治政府への予算、とくに教育予算を増やせのようなものであるので、暴動などは発生せず、南大西洋自治政府、市役所、住民と官民一体となって行われたと思われる。


2002年9月5日(木) 挑戦つきることなし>
 今日は魚料理に初挑戦した。料理については、今まで挑戦の連続、まさに「挑戦つきることなし」(作者:高杉良 徳間文庫)だったが、魚料理は、肉料理、ごはんものなどと比べ、より繊細な感じがし、時期尚早と見送っていたのである。

 メニューはムニエル、十分に塩水で魚を洗ったあと、水気を取り、塩・こしょうをかけ、小麦粉をまんべんなくつける。その間にフライパンを熱しておき、サラダ油及びバターをいれる。バターが溶けてきた頃に、魚を入れ、裏表それぞれ3分ほど焼く。途中に、少し魚をあげたりするのを忘れない。まあ賞味15分くらいで完成。

 なかなか美味しい。バターのおかげで非常に香ばしく、魚の中身はやわらかい。また、つけあわせのじゃがいもとも非常によいコンビネーション。よくレストランで似たようなものを頼んでいたが、こんなに簡単にできるとは驚きである。


2002年9月4日(水) 機関紙をつくろうかな>
 今、所属先NGOの機関紙をつくろうと奔走しているのだが、今日は、ブルーフィールズにある雑誌社に行き、調整してきた。やはりカタログとかそういうものはないが、値段、納期などについて話す。デザインは、おじさん一人でやってるのだが、彼いわくアメリカでの経験もあるとのこと。この件は、今度、首都マナグアの雑誌社の対応をみて、どこと調整していくか決めることとする。

 それから、今日のエアロビは相当ハードだったので、帰路途中で休憩すべく食堂に寄った。そこで、メシを食べてると、同僚が通りかかり、彼女いわく「そんなの食べてると太るわよ」とのこと。しかし、彼女は
ドラミちゃんに少し似ている。


2002年9月3日(火) 本物のすごさ>
 今日は、久しぶりにCNNお気に入りアナウンサーRUDIにブラウン管をとおして会うことができた。約10日ぶりである。ここ数日、違うアナウンサーだったのでCNNはご無沙汰気味だったのだ。さらに、着目すべきところは、俺がCNNにチャンネルをかえてRUDIが映ったとき、ホストファーザーいわく「Guapisima!」(きれいすぎる)。彼とは、ミス・ユニバーサルのときは結構意見がわかれたのだが、今回ばかりはちがった。本物のすごさを感じざるをえなかった。
 よく、この条件であればこちらがいい、あの条件であればあちらがいいなどと議論されることがあるが、本物とはそれらを超越しているのである。


2002年9月2日(月) 元気にエアロビ>
 今日も元気にエアロビに行く。最近、おじさんが来ないので、また男の生徒は俺だけ状態。運動するとよいリフレッシュとなるので、なかなかよい。さらに、床につく時間も自然と早くなる。


2002年9月1日(日) 書き物>
 今日は、お休みのため休憩。
 ちょっと書き物がしたくなり、手紙を数通書いてみる。俺は人生において多くの手紙を書いている。後世に歴史編纂において役立ってくれればよいと思う。


2002年8月31日(土) 気に入った飲み屋>
 今日は、朝から事務所の掃除だったので、側面から手伝いをする。
 終わってからは、同僚と飲みに行く。はじめていくところでなかなか気に入った。まず、客対応を仕切ってるにいちゃんがきびきびして、気持ちがよい。そして、音楽の音量もまずまずほどよい。さらに、ビールを頼むとつまみもつけてくれる。気に入ったので、従業員とちょっと話し、ついでにCDも貸してもらう。
 しかし、ここはつまみがでてくるのでいいが、ニカラグァ人はビールだけで長時間飲む。日本の居酒屋だといろいろ頼みながら飲むのでやっぱ感覚的にちがうものがある。今回もつまみは俺が半分くらい食べたかもしれない。彼らは合計何本飲んだかわからない。 


2002年8月30日(金) 飲み会での1シーン>
 今日は、ニカラグァ人の友達及びピースコープ(米国平和部隊)の面々と飲みに行く。ピースコープの新グループ10名ほどが今ブルーフィールズで研修を受けている。
 まあまあ楽しく飲んでるとニカラグァ人男がアメリカ人女性1人、ついでもう1人を連れて他のテーブルに移っていく。残った我々は男だけとなり、友人レイムンドが切れかけてしまった。彼は「ちょっとがつんと言ってくる」とつかつかむこうのテーブルに歩いていった。だが、結局、笑いながら戻ってきて、「あいつら、マリファナやってたよ」とのこと。ふーむ、あのアメリカ人の子達は、ソーシャルワーカーとして働くらしいんだが・・・。まあ、彼らにとって、それとこれとは別なんだろうね。
 俺は、薬は12歳で卒業したから、かまわずビールを飲み続けた。


2002年8月29日(木) オイノー!>
 近所で海老を買ってきた。ただ、皮をむくのに結構時間がかかるので、今日は、簡単に塩でゆでただけとした。しょうゆとわさびをつけて食べる。より刺身気分と思い、ゆで時間は相当短め。ちょっとおなかが心配。でも、ごはん大盛り2杯は十分食べられるほどだった。
 ホストマザーも試してみたいというので、あげてみる。その彼女の感想は
「オイノー!」
 「オイノー」とはこの家の造語で、「オイシー」「おいしい」の反対の意味である。いわゆる「おいしくない」。スペイン語で「シー(Si)」はYes。「ノー(No)」はNoの意味であるので、「オイシー」の反対は「オイノー」という軽いギャグ。ついでにいうと、「オイ(Hoy)」は「今日」という意味。


2002年8月28日(水) 「沈まぬ太陽」3巻>
 友達が文庫本「沈まぬ太陽」(山崎豊子)3〜5巻を送ってくれたので、さっそく3巻を読みきる。3巻は主に日航墜落事件について書かれてあり、いくつかの遺族の方々のことも真実に沿って載せてある。とくに遺言が記された手帳を長男の方がみつけられたシーンは心がしめつけられた。
 家族や大切なひとのことを思わざるをえなかった。


2002年8月27日(火) 新技習得中>
 今日は、朝から会議が2つあった。先日、俺が提出した所属組織の分析レポートについて今後の活動を含めいろいろと話し合う。

 最近は、家の次女のフランチェスカとときたま遊ぶようになったのだが、また指を怪我しないよう、できるだけグーパンチで対応するようにしている。ただ、主に仮想銃撃戦ごっこが多いので、身体的ダメージはあまりない。

 それから、主に中南米人は、癖というかジェスチャーのひとつで、中指に人差し指をあて、「パチパチ」と音を鳴らすのだが、今、それを習得中である。先週から本格的にはじめたが、最近はときたま鳴るようになってきた。うちの大家のエステルはときたま両手でパチパチ鳴らしながら現れる。


2002年8月26日(月) エアロビ再開>
 数ヶ月ぶりにエアロビに行く。懐かしき雰囲気に懐かしき音楽だった。何人かの歓迎をうけ、エクササイズ。俺が行かなくなってから、弁護士のおじさんがはじめたので、これで男2名ということになった。
 こちらに来てから約6kgやせたのだが、最近1kg太ってしまった。そういうビジュアル面とあと健康面の両方からのアプローチで検証した結果、またエアロビを始めることにしたのである。一応、目標は、あと5kgダウンを目指す。いちおう、エアロビクラスでは、やせてるランキングトップ5には入ると思うが・・・


2002年8月25日(日) 今日は牛丼>
 久しぶりに家でのんびりというかだらだらした週末を送る。
 相変わらずの雨だが、無理やり洗濯し、軒下に干す。
 最近、料理ネタばかりで申し訳ないのだが、今日も台所があくのを待ってたら遅くなりスープスパは先送り。そのかわり、賞味期限切れのレトルト牛丼を夕飯とする。さらに吉牛っぽく生卵を割り、しょうゆをかけて食べる。懐かしき味だ。まさに絶品。本来、外国では生卵は危険なのだが、そういうときは、猪木の言葉「危ぶむなかれ、危ぶむなかれ、迷わず行けよ、行けばわかるさ!」(ちょっと違ってるかもしれませんが・・・・)を思い出して食べてます。


2002年8月24日(土) スープスパゲティは先送り>
 今日は、密かにスープスパゲティをつくってみようと思っていたのだが、昼も夜も家の人がつくったニカラグァごはんをもらってしまい、先送りとなってしまった。
 ちなみに、昼はロンドンというこちらの典型的なスープ。夜は、ガジョピントとアトール。ガジョピントはニカラグァ版赤飯、アトールは、牛乳とフルーツかなにかをまぜたあまったるいものである。あと、とうもろこし料理もあった。土日は、料理する時間が結構ぶつかりがちなので、こういうことがたまにある。

 昼、職場でエアロビをやろうということになったので、一応、行ってみたのだが、半分予想通り誰も来ず。よって、帰りにキャベツとセロリと米を買って、家路につく。


2002年8月23日(金) CNNアナウンサーRUDI BAKHTIAR>
 最近、毎日、大雨である。朝はいつも雨音で目が覚める。ついでに雷も鳴る。さらに、今日の昼は一時停電となる。なかなか外出する気にもならず。
 大雨が理由というわけではないが、テレビはまあまあ観てる。アメリカのCNNニュースもよくみるのだが、最近、一つ着目して頂きたいことがある。夜のニュースのアナウンサー
RUDI BAKHTIARの髪型が変わったことである。ニカラグァに来て以来、ブラウン管をとおして彼女に魅了されてきたわけだが、今の後ろでまとめた髪型は一層彼女の美しさと知性を引き出しているといえる。最初、あの髪型をみたときは今日だけのサービスかなと思ったのだが、ここ数日続いてるので、このまま続行するものと思われる。
 ニカラグァのニュースは残念ながらあまり観ない。インタビューやロケでの映像を流しっぱなしにする時間が長く、要点をつかむのが難しいところが多々ある。


2002年8月22日(木) 「あいのり」がニカラグァに>
 家でホストファーザーに「テレビに日本人がでてるぞ」と言われて観てみた。
 そしたら、なんとフジテレビ系列番組
「あいのり」の面々である。ニカラグァに来るとは聞いていたが、テレビインタビューを受けるとは。
 以前、あいのりワゴンが中米を旅したとき、ニカラグァは情勢不安かなんかという理由のため通過とされてしまったのである。ある筋の情報では、その件に関して、在日ニカラグア大使館かどこかからお願い?クレーム?が日本政府経由フジテレビに入り、ニカラグァ訪問が実現したらしい。
 しかしながら、我が街、ブルーフィールズまでは道路が通じていないため、訪問はなし。ただ、他隊員の活動先を訪れるという情報は既に国産情報収集衛星により入手済みである。さてさて、どんなふうに放送されるのか楽しみだ。


2002年8月21日(水) パン価格2倍に!!!>
 今週ぐらいからパンの価格が値上がりした。小さなパン1つが以前、1コルドバ(約10円)だったんだけど、なんと2コルドバ(約20円)に!!!これはすごい値上がり。2倍、2倍!!(高見山のふとんのCMを思い出していただけると有り難い)

 こんなインフレは初めての体験。俺は、たいてい、朝ごはんはパン2つとコーヒーで済ましているのだが、この値上がりは、毎日の食費に大きなダメージとなる。一般のブルーフィーレーニョス(ブルーフィールズ人たち)にとっても相当なダメージなのではないか?ときたま、貧しい子供たち、大人たちが、「De me un peso」(1ペソ(コルドバ)ちょうだい)とおねだりしてくるのだが、「De me dos peso」(2ペソちょうだい)となってしまうかも・・・。ちなみに「De me un beso」は「キスして」である。


2002年8月20日(火) 脱賞味期限>
 なんか職場のDirectorが来月日本に行くかもしれないということで、インターネットで飛行機の値段を調べてあげる。アメリカンとコンチネンタルの公式サイトで調べたところ、アメリカンのほうが安く往復1200ドル弱だった。こちらは通信速度が最高でも31kpsほどしかでず、こういう調べものをするのに時間がかかり、つかれるところがあります。

 夜は、以前先輩隊員よりもらったカレーを料理した。ただ、そのカレーの賞味期限は2001.10のため家族から「明日死ぬんじゃないか?」などといろいろ言われる。しかし、そこは日本の加工食品、大丈夫と信じ遠慮なく食べる。もちろん1日で食いきれるわけもなく、ここ数日食事はカレーになりそうだ。


2002年8月19日(月) Las Vias del Amor
 今回は、どのテレノベラを見ようかといくつか観てみたところメキシコの「Las Vias del Amor」(愛の道)にすることとした。理由としては、まずあの名テレノベラ「Abrazame Muy Fuerte」でヒロイン(マリア デル カルメン)役を演じていたアラセリ・アランブラ(Aracely Arambula)がヒロインだったから。
 まだ、観はじめて2回目なので、ストーリーをつかんでる段階である。それで一緒に観てたホストファーザーに「彼らはどんな関係?」などと聞いてみると、「思うに・・」とか言いながら、
「役者たち、まじで泣けるのがすごいね。」とかわけわからんことを言ってくる。テレノベラは、素直に観なければいけないのに・・・・。


2002年8月18日(日) 軽く散歩
 
妹尾さんとブランチをとったあと、プンタマサヤに軽く散歩に行く。プンタマサヤは、空港をちょっと越えたあたりにあり、ブルーフィールズのはずれではある。
 そこは、湾岸で、子供たちが水遊びなどもしている。茶色の海を駆けていく少女の姿は、エメラルドグリーンの海を駆けていく少女とはまた違った感慨を与える。また、ちょっとふっくらした女の子だが、妹尾さんに写真を撮ってくれるように頼み、水着姿でポーズなどをとっていたのもなかなかほほえましかった。シャッターの音がカリブの空にしずかに響いた。


2002年8月17日(土) ブルーフィールズ案内
 
最近は毎朝、亀の肉が売られているので、まずそこに妹尾さんと一緒に行く。頭だけが売られてるのをみると、いつも少々の罪悪感がわく。妹尾さんもちょっとみたことない光景といった感じだった。
 その後、職場、丘の上のレストランに行ったあと、俺の前の家に行く。なつかしい子供たちがいて、うれしかった。友人グリセルダの家にも行き、おばちゃんにも会う。
 夕方、ちょっと昼寝をして、夕食にむかうと、ガリフォナ族のカルラたちに会う。寝起きなので、あんまりスペイン語モードではなかったのだが、方面が同じだったので、徐々にテンションをあげながら会話をつなげていく。本来であれば、飯を一緒に食べにいこうと誘えば、2−2でおもしろかったかもしれないが、さすがにそこまでのテンションはなく、公園前で別れた。
 夕食はピザにした。


2002年8月16日(金) Giro(回転)
 
今日は、街を歩いてたら、病院の知り合いのおばさんに会う。うじゃうじゃ話してたら、彼女の知り合いなどもやってきて紹介してくれる。まあ、それだけならいいのだが、その知り合いの前で、俺をくるくるまわすから困ったものだ。なぜなら、俺はHiro(ヒロ)と呼ばれてるのだが、スペイン語で「Giro(発音はヒロ)」で「回転」という意味があるからである。まあ、くだらないといえばくだらないのだが、今日は3回ほどやられた。

 夕方は、任国外研修に来ている妹尾さんが、ブルーフィールズにいらしたので、空港に迎えに行く。夕食では、ブルーフィールズ伝統の「牡蠣カクテル」「ランゴスタスープ」「魚のムニエル」「ココナッツ入りプリン」などなどに舌鼓を打っていただく。ポン ポン(舌鼓の音)。その後は、Barでロン(ラム酒)を深夜まで飲みトークに花を咲かせる。


2002年8月15日(木) 気分一新
 今日から、職場に行った。皆の歓迎モードがうれしい。
 ただ、今日だけで、数人に髪を切ったほうがいいとの指摘を頂く。俺も今日床屋に行くつもりだったのに。
 まあ、そういうことで、いつもの床屋に行く。ついでに髭も全て剃ってもらう。まさに、気分一新である。随分若返ってしまった。
 あと、今日、地震があった。ブルーフィールズでは随分珍しく、結構な話題になった。


2002年8月14日(水) ブルーフィールズに戻る
 約1ヶ月ぶりにブルーフィールズに戻る。家族もまた歓迎してくれ、おもわず安堵。免税店でチョコレートを買ってきた甲斐があったというもの。皆、上機嫌。
 改装していた隣の家も完成されており、応接間のソファ類なども新調されていた。ついでに、俺の自室の壁も塗り替えておいてくれたようだ。
 これまた免税店で買ってきたラジカセでラジオを聞きながら、しばし休憩する。やっと戻ってきた、そんな感じだ。


2002年8月13日(火) 健康診断
 早起きして、検尿、検便の準備をして、健康診断に赴く。一緒に医者に向う他隊員が待っていたせいか、検便準備に少々焦りを感じる。なんとか心を無にし、自然体でのぞみ準備完了。
 昨日、健康診断一日前にもかかわらず、うっかりワインを飲んでしまったことに後悔の念がある。上映会会場ロビーで何も持たずに立っているのは様にならないと思い、健康診断のことをすっかり忘れて手にしてしまったのである。前回の健康診断でも、ビール1杯くらいいいだろうと思い、見事に血液再検査になったという苦い経験があったのだが・・・
 ただ、結果は、見事問題なしだった。よかった、よかった。


2002年8月12日(月) 山田洋次監督 
 今日は隊員総会。朝から事務所に集まり、参加する。亜流の俺は参加するというより傍聴したという感じ。その後、居室にて爆睡。
 
 夜は、日本大使館の企画にて、山田洋次監督を招待し、映画「学校3」の上映があったので、観に行く。隊員にあてがわれた席は、最前列から3列目までと非常に首の痛い席だったが、十二分に素晴らしい映画だった。また、前に座っていたため、すぐ近くで山田監督のスピーチを聞くことが出来た。落ち着いた感じの人だった。ちなみに、俺の大学のゼミの教官は、山田正次助教授である。


2002年8月11日(日) 大掃除と新隊員歓迎会 
 朝から隊員連絡所の大掃除をする。名書「捨てる技術」に従い、ばんばん要らないものを捨てていく。それから、他国の連絡所に習い、「国内及び任国外便利帳」を作成する。まあ、安宿にある情報帳みたいなものだが、せっかく各自がもつ貴重な情報をひとつに纏めたら役立つだろうなあという感じで寺ぴょんと作ってみた。
 
 夜は、新しい隊員の歓迎会をする。最近まで、自分のことを比較的新しい隊員と思っていたが、既に古株の域にはいってしまった。ちなみに新隊員2人の職種は、「コンピューター技術」と「理学療法士」だった。


2002年8月10日(土) 久しぶりの塩辛 
 今日は、大使館員九笹さんちで夕食をごちそうになる。久しぶりに食べる塩辛がとくにうれしかった。また、興味深い話を聞かせていただいた。それから、ペットの犬が非常に愛くるしかった。


2002年8月9日(金) 大雨と停電のなかでのマナグア案内
 メキシコから任国外研修に来ている妹尾さんにマナグア案内をした。マナグア湖、大統領府、国立文化宮殿、新旧大聖堂、おいしいコーヒー屋さん(Casa del Cafe)とティピカルなコース。
 ただ、今日は、めずらしく大雨が降り、景色的にはよくなかった。それで、ミラドール(マナグアを一望できるところ)案内を断念。さらに、停電のため、コーヒー屋さんでは、温かいコーヒーがのめず、アイスコーヒーしか提供できなかったのが惜しまれる。


2002年8月8日(木) バレイ鑑賞
 ロシアのボリ・ジョイ バレイ(?)公演があったので、観に行く。バレイなど数年前にロンドンで観て以来だ。そのときは、歩いて会場まで行き、疲れ果てて途中で寝てしまっていた・・・。
 今回の会場は、ルベンダリオ劇場。マナグアで最も権威のある劇場である。初めて入ったのだが、思ったよりはたいしたことない。メキシコであれば、どこにでもあるような劇場かもしれない。
 バレイ自体は非常に美しかった。たまにこんな芸術に触れるのもいい。しかし、劇場の問題なのか、予算上なのか、オーケストラが舞台下で演奏せず、なんとスピーカーから音楽が流れてるのみだったのが残念だった。


2002年8月7日(水) 石焼ビビンバ
 今日は、任国外研修の報告書を仕上げ、JICA事務所に提出した。こういうのは、あとにまわすとやる気がうせてくるので、即行仕上げるに限る。
 
 夜は、他隊員と韓国料理屋に行く。パナマ、コスタリカ、ドミニカでも韓国料理屋に行ったが、マナグアの韓国料理屋には「ビビンバ」だけでなく
「石焼ビビンバ」がある。はじめて食したが、おいしかった。


2002年8月6日(火) ニカラグァに戻って
 昨日、3週間にわたる任国外研修から帰ってきた。長かったようで、あっという間の3週間だったかな。ただ、ニカラグァはやはり我が家のようで落ち着く。結局、3ヶ国訪問したんだけど、それぞれとてもよかったし、またニカラグァと比較することができたのも有意義だった。

 まず、パナマはパナマ運河があることにより、アメリカの影響を多大にうけ、パナマシティは一大金融センターとなっている。規模はニカラグァ首都マナグアとは比較にならず高層ビルが立ち並ぶ。また、カリブ海に浮かぶサンブラス諸島の海は透明感あふれ、そこで生活するクナ族の伝統刺繍モラは非常に美しかった。
 
 コスタリカは、ニカラグァの隣国にもかかわらず、とくに観光、サービス産業は数十年進んでる。ごく一般の食堂での従業員の給仕すら非常にきもちよかった。また、温泉がいくつもある。自然にかこまれた温泉では、川のせせらぎ、美しい蝶、そして鳥のさえずりを楽しみながら疲れをいやすことができた。また、リゾートのような温泉もあり滝に打たれながらゴージャスな気分を味わえた。
 
 ドミニカは、リゾートにて美しい海と水平線に感動する。ただし、1週間も滞在すれば、リゾートはドミニカの一つの部分にすぎず、田舎に行けば、ニカラグァ同様、貧しい地域が多々あることがわかる。経済指標上、JICAではドミニカは無償援助国からははずされることも決定しており、ドミニカの表と裏をかいまみた感じだった。



<2002年7月16日〜8月5日
パナマ、コスタリカ、ドミニカ共和国にて任国外研修


2002年7月15日(月) レオン訪問
 今日は、同期隊員でっちゃんと2人で圭子ちゃんを案内すべくレオンに行く。レオンは、ニカラグァの太平洋側で俺が最も好きな街である。といっても2度目で一年ぶりの訪問なんだけど。
 レオンは、いくつか大学があるため若者が多い。さらに、おいしくて安いレストランが結構あり、こ洒落たカフェテリアもある。また、今回はじめて行ったのだが、レオンを一望できる場所があり、そこがものすごくいい。まわりに緑が広がる。さらに、ニカラグァ最高峰のサン・クリストバルもみえる。
 それから、野党サンディニスタ党の博物館を訪れた。革命時代の写真、資料など非常に興味深かった。圭子ちゃんに至っては、先日購入したサンディニスタのTシャツを着て、ここサンディニスタの聖都レオンを訪れていた。
日本でたとえてみるなら、アフリカ人が社会党のTシャツを着て社会主義関連のなにかの博物館をおとずれているようなものである。なかなか、その姿勢には感銘をうけるものがあった。


2002年7月14日(日) ソーラン節
 俺は参加することができないが、来週に、中米大学にて日本文化紹介を行うことになっている。隊員達がいろんなイベントを行うのだが、そのなかで「ソーラン節」を披露するらしい。今日、その練習を行ってたので、見学する。なかなか本格的だった。ちょこっとやればニカラグァ人は満足すると思われるのに、相当熱の入った練習で驚愕した。ぜひとも、素晴らしい舞台にしてほしいと思う。


2002年7月13日(土) ガジョピントTシャツ探し
 朝5:00に起きて、帰国隊員を空港まで見送りに行く。はじめてマナグア空港で見送ったが、任地からブラスバンドをつれて同僚が見送りにきてくれる隊員などもおり、なかなか感慨深いものがあった。

 昼は、圭子ちゃんと一緒にマナグアのメルカド(市場)に行く。彼女は結構民芸品を買いまくる。彼女は、今後、パナマ、コスタリカと移動するのだが、ニカラグァでこんなに買ったら、荷物が重くなんないのかという懸念に気にもかけない。縦横1mほどのずたぶくろのようなものも買ってた。俺も他の国の隊員にニカラグァ名物
「ガジョピントTシャツ」を頼まれてたので買う。ただし、Sサイズがなかなか売ってない。最初はなかなかないなあとか思いながら探していたが、だんだん無いではすまされないと真剣ベースで探し出し、執念でみつけた。ニカラグァ名物のくせにサイズがSサイズはほんとにレアなのである。よかった、よかった。
 
 夜は、大使館職員の九笹さんちにおじゃまする。数ヶ月前中国で起こった「瀋陽事件」のことや、ニカラグァでの日本の援助の話などを伺う。ところで、「瀋陽事件」は結局どうなったのだろうか?また、うやむやで終わったのかな?優秀であろう外交官の人たちに誇りを持って頂きたいものである。


2002年7月12日(金) 庶民的なパナマ大使館
 パナマへのビザを取得すべくパナマ大使館に行く。着いたものの想像より随分普通の家っぽく、警備員すらいない。自分で正面ゲートを空けて、さらに玄関のドアもあける。そして、「Buenas!(こんにちは)」と叫ぶ。まさに、雑貨屋に入る感覚である。日本大使館であれば、ゲートには警備員がおり、IDをみせて、警備員は大使館職員に確認を求めるという手続きを行うのだが、それに比べると断然庶民的であるというか、ちょっと警備がずさんすぎる感覚である。受付の女性はニカラグァ人。たるそうにパスポートを受け取り、処置してくれた。
 
 明日は、12年度1次隊というグループが帰国するため、今日は隊員連絡所にて焼肉パーティーとなる。相変わらずマナグアで買う牛肉はおいしい。
 夜はどんちゃん騒ぎになるのかと思いきや、帰国する人たちが荷物のパッキングやら帰国手続きを今ごろやってたので、なにげなく夜は過ぎた。


2002年7月11日(木) 空から金貨が舞い降りる。
 今日は、約2ヶ月半ぶりに首都マナグアにあがってくる。事務所にていくつかの事務手続きを行う。
 夜は、職場のDirectorとちょっとした打ち合わせがあったのだが、なかなか彼は現れない。そこで、日本のテレビドラマ「新星の金貨」のビデオを途中まで観てしまう。「星の金貨」「続星の金貨」と酒井法子主演で放映されたが、今回は、話の内容、キャストを一新した違うもの。当初は、鈴木あみ主演予定だったが、例の事務所事件のため、キャスト変更となり、星野真理ちゃんが演じている。あいかわらずの感動ものだった。すぐにのめりこんでしまう。しかも、このドラマでは奥菜恵が悪役(主人公をいじめるお金持ちのお嬢さん)を演じているのも見所の一つではある。結局、これをしばらく観続け、Directorは、1時間半遅れで現れた。


2002年7月10日(水) 絶品ですな!
 グァテマラ同期隊員の圭子ちゃんは、任地で伝統手芸を習ってるらしく、自分がつくったものも含め、いろんな小物を持ってきてくれた。きれいな刺繍が施してあり、カラフルな服、ブレスレット、小物入れなどがあり、いくつか購入させてもらった。彼女は、80リットルのバックパックの半分は占めるのではないかというくらいグァテマラグッズを持ってきた。今後、各国で売り歩き、売上金は自分の職場の子供たちへの備品費用(トイレットペーパー、文房具)などにあてがうらしい。ついでに、自分へのお土産も買いあさるとのこと。
 
 昼は、大家にロンドン(ココナッツ風味の芋、肉などの煮込み料理)をつくってもらい、彼女にカリブ海側家庭料理を味わってもらう。彼女いわく
「絶品ですな!」とのこと。非常にリアクッション上手な女性である。


2002年7月9日(火) グァテマラ隊員来ブル
 グァテマラの同期隊員が任国外研修のためブルーフィールズに来てくれたので、案内した。彼女は、グァテマラといえども寒い地域に居るらしい。冬には息が白くなるとのこと。
 彼女の任地では、海産物があまり食べられないということで、ロブスター、小海老、牡蠣などなどをごちそうする。
 それから、トタンの屋根が多いとか、見たことのないフルーツやお菓子があるなど、同じ中米といえども随分違いを楽しんでいるようだった。
 まあ、一年半ぶりの再会だったので、様々な話に花が咲いた。


2002年7月8日(月) 電話代請求 
 今日は、大家に家賃や電話代を払う。家賃は、まあ固定であるからいいんだが、電話代に関しては、また大きな額を要求される。いろいろと粘りづよくネゴはしてみたものの、所詮こちらは、いわゆる下宿人。「じゃあ、電話使わせてあげない!」とか言われたら終わりである。明治初期に欧米列国との不平等条約の撤廃に尽力した外交官達に想いをはせる。


2002年7月7日(日) のんびりと日曜
 気付いたら今日は七夕。でも、ニカラグァでは特になんにもお祭りはない。
 日曜だからのんびりしてた。あえてしたといえば洗濯。服類は家の人に洗濯してもらっているが、靴下と下着は自分でしているというか、することになっているのである。
 大家の旦那も自分で下着を洗濯してる。彼に、「なんで自分で下着を洗濯してるんだ?」と質問したところ、小さいときからシャワーを浴びた後に、自分で下着を洗う習慣がついたらしい。俺のようにためておいて一気に洗ってるわけではないらしいが、彼のその習慣のせいで、自分で下着を洗っている。


2002年7月6日(土) 猿一匹300円
 夜、大学の前期終了お祝いみたいなものがあったので、招待された。7時半くらいに始まったが、一人一人の話が長い長い。でも、結構ニカ人たちはきちんと聞いてる。うーむ。だいたい彼等はスピーチで詩の一文を引用する。やはり、ニカラグァが生んだ詩人ルベンダリオ作が多い。スピーチのほかにに自分の詩をアクションつきで披露した女性もいた。完璧には理解してないが、だいたい皆すこし笑いを織り交ぜたスピーチをするので、一般的には日本人よりはスピーチが上手なのではと思った。

 会が始まって、テーブルにあるものなどを食するが、終わりもまたニカラグァらしい。帰りたくなったら、皆てきとうに帰っていく。日本のように一本締め、ましてや三本締めなどはない。最後は、皆で踊りまくるのかと思ったけど、全然だった。

 帰り、夜道を歩いてると猿を連れた女性に出会う。友達が、「おい、さわってみろよ。」とか言うので、まあ触ってみる。友達いわく「この猿いくら?」。「えっ、売り物なのかよ」と思いながら、会話を聞いてると、女性は「30コルトバ(約300円)」と答える。「えーっ、30コルトバ??????」さらに、友達は「20コルトバにならないのか」と続ける。30コルトバよりは下がらないとのこと。「どう、ペットとか贈り物とかに?」と水を向けられたが、いちおうホームステイ中だし丁重に断った。
 友達いわく「多分、あの猿は盗んだものだろう」ということ。しかし、猿一匹300円とはびっくりした。夕食2食分じゃないかという感じ。夜11:00、さらに、その女性は「猿はいらんかね」と叫んでた。可哀想な猿。


2002年7月5日(金) ピン
 銀行から職場に戻ってきたら、なんと職場そばに駐車してあった車の下から火がでてた。集まってくる野次馬と逃げ出す人々。徐々に火が強まり、煙ももくもくとあがりだした。燃えている車が止めてある店はシャッターを閉めはじめた。バケツに水を入れて、消火につとめる人もいるが焼け石に水状態。なんとか消防車が間に合った。一応、死者、怪我人がでなかったことが救いかな。

 午後は、市長他と住民との話し合いを聴講するため、ボートに乗りBluffに行く。市長は年2回各地区の住民と話し合いをすると法律で決まっているらしい。最初に市長がBluffへの予算配分及び使用用途などを説明し、住民からの質問を受けた。住民も積極的に彼らの要望を述べた。安全対策面、会社の未納税問題、失業問題など相当白熱した。途中から激しい雨が降ったが、市長も真摯に対応していた。
 帰り、市長と大雨のなか歩いていて、日本の援助のことや「日本の日」を制定することなどを話した。いろいろと聞きながら歩いたあと、彼いわく「ちょっと立ションしていくから先行ってて!」。さすがに俺も「連れションしましょうか」とは言わなかった。

 テレビ局、ラジオ局も同行してたので、夜ニュースをチェックしてみると、俺も
ピンで映ってた。ただ、一人でテレビ観てたので、その感動を誰ともわかちあえなかったのが残念だった。


2002年7月4日(木) チェックメイト
 今日は、結構やる気モードで職場に現れたら停電中。もう、きれかけ。
 一応
、調べものなどをするが、ピースコープ同僚のMaxがチェスを持って現れたので、チェスに興じることになる。ただ、興じるといっても彼はマイチェスを持ち歩くほどの腕前なので、鬼のような集中力がいる。約1時間半にわたる熱戦となる。チェスは将棋と違い、取った相手の駒を自駒とできないので、逆転が非常に難しい。よって、ひとつのミスがもう巻き返せないほどのダメージとなってしまう。まさに精神と肉体を極限まで追い込む。一度、俺が結構追い詰めたんだが、俺のミスもあり、彼はなんとか逃げ切る。しかし、再度、俺が追い込み、最終的には、俺のReina(クイーン)が彼のRey(キング)の喉元を襲う。Maxいわく「Shit! checkmate」。熱戦に終止符をうち、前回の停電時に行った初戦のリベンジを果たした。
 
 チェス後、タクシーに飛び乗り、病院に向う。来週、帰国する芝っちが病院の人々にハヤシライスを振舞うため、そのお手伝いに行く。終わってから俺もご馳走になったが、なかなかおいしかった。玉ねぎが嫌いな俺でも十分に煮込んであったため、合格点だ。

 それから、また病院にてバザー。また、鬼のような人が群がる。なんとかほとんどを売却することができた。芝っちは、その売上を病院に親切する子供たちのプレイルーム器材にあてがうらしい。


2002年7月3日(水) 協力活動考え改め
 今日は、テレビを観ながらふと考えた。
 活動において、受身的になっているということ。本来、cooperanteなのだから、現地の人と一緒に仕事をするというスタンスなんだけど、せっかくこういう機会を得てるのだから、自分が動いて、現地の人が何かを感じてくれたらいいのではないか、そういうに思った。
 そう思うと、いろいろアイデアが湧いてきた。このテンションが持続できればいいと思う。だんだん、わくわくして寝られなくなってきた。


2002年7月2日(火) 床屋のおっさん
 今日も床屋のおっさんにつかまった。「仕事があるから」と言ったんだけど、仕事のことということだった。どうやら「床屋で座る椅子」を購入したいから、クレジットを借りられないかということ。それで、とりあえず事務所に来てもらった。貸付促進担当者と話したあと、また「今度、犬肉食おうな」と言って帰っていった。
 彼いわく、ブルーフィールズで牛の肉といって売られてるものにも、犬肉がまじってるとのこと。ただ、犬肉販売は禁止されてるので公にはできないらしい。うーん、この件は、また犬肉に出会ったときに報告したい。


2002年7月1日(月) 亀、ロブスター、海老 解禁
 今日は、昨夜宿泊したラグーナ デ ペルラスにて職場ミーティングを行い、皆でブルーフィールズに戻る。昨日今日あわせてボートに4時間も乗ったせいか、結構背中、お尻が痛い。
 
 昼、魚を買いに行ったのだが、売っておらず、小海老を買う。家の帰りに亀肉売りのおじさんに会い話す。今日から、亀、ロブスター、海老の禁猟が解けたので、仕事がはじまったらしい。おじさんにロブスター、海老も直で売ってくれないのかと聞いたら、OKということだった。しかも、普通の魚屋に比べたら随分格安。ほんとかどうかわからないけど、今度、海老を買ってみよう。



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