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  なんやかんやで赴任後1年が経過。祝1年!!!!!!!!!
  2002年6月〜
  2002年5月〜
  2002年4月〜


2002年6月30日(日) オリノコでのお葬式出席
 今日は、午前3時に寝たんだけど、執念で5時40分に起きる。友達のお父さんのお葬式に出席するため、6時に港に集合しなくてはいけなかったのだ。
 まあ、6時半くらいにボートが出て、目的地オリノコに向う。そこまでは、ボートで約2時間。最初の1時間は結構おだやかな波なんだけど、後半はだいぶすごい。でも、今思うと、行きは帰りよりはましだった。

 オリノコ到着後、お葬式がはじまるまで散策する。ここは、黒人のガリフォナ族の居住地。秋には、ガリフォナダンスで有名な大きなお祭りがある。同僚達と一緒にいたのだが、朝からラム酒を飲み始め、俺は睡眠不足と疲れも重なり、顔もほてり、しばらくお昼ね。
 お葬式は教会にて行われる。ただ、死者に対して追悼の言葉などが送られるのは普通だが、さらに数多くの歌が歌われる。これにはアメリカ人のMaxも驚いてた。
 遺体は立派な棺おけに入れられて、まずはサンディニスタの旗の前まで行き、そしてお墓へ。コンクリートに固められたなかに、棺おけが入れられ、そしてその入り口をブロックなどで防がれた。これがここの風習らしい。あるいは、棺おけごと土葬されるのが一般的である。俺は、故人とは面識がないが、娘達の「Papa!」と泣きながら叫ぶ声を聞くと、やはり目頭があついものがあった。

 帰りのボートは大変だった。前に座らされたあげく、すごい波で、身体はびしょびしょ状態。さらに、椅子も木作りなのでお尻も痛い。最初、恐怖はあったが、隣のエクリナも怖そうにしてるのをみて、「なんだ、ニカラグァ人も怖いんだ。」と思うと急に楽になった。今回、このボートを克服したのは大きな進歩だといえる。また、職場同僚とのはじめての旅でもあった。


2002年6月29日(土) 芝っちお別れ会
 ブルーフィールズ隊員3名のうち芝っちが来月日本に帰国するので、今日は、お別れ会をした。
 まず、お昼に順ちゃんがうちの家に来て、一緒にサラダをつくる。さらに、彼女はプリンとゼリーもつくる。ゼリーの粉など30人分くらい購入してた。今日は、5人しか集まらないんだけど・・・。
 夜、芝っち亭で大家さん夫婦と共にささやかな晩餐を行う。むっちゃんが帰ってからはや3ヶ月早いもんだ。あまり実感がわかず、最後の言葉などを述べる。まだ、Adiosと言う気分ではない。


2002年6月28日(金) 大使館員、JICA職員来ブル
 今日は、大使館の方とJICA職員がブルーフィールズに来られた。
 大使館は、今年、「日本の夕べ」という日本文化紹介を青年海外協力隊と協力して、ニカラグァ全土で行うべき企画している。よって、その協力を打診された。ブルーフィールズでは、昨年2度も行ったので、いちおう保留とさせて頂いた。
  
 また、JICA職員とは、俺の後任隊員のことで話した。実際、うちのNGO組織充実のためには必要ないと思うが、顧客の経営指導あるいは衛生指導などを行える人物が来ることができるのであればよいのではという話をした。


2002年6月27日(木) ミルクバナナジュース
 職場の帰り、また中国人二世の野菜屋でだべってたら、順ちゃんがあらわれたので、一緒にカジェメシ(レストランではなく食堂の料理)を食べに行く。ミルクバナナジュースはなかなかおいしい。


2002年6月26日(水) ヨットをあしらったネックレス
 今日は、うちの家の長女レイディーの誕生日だった。16歳ぐらいかな。残念ながら一番家のなかでコミュニケーションが図れていない。やはり16歳と大人だし、子供と接するようなわけにはいかず、さらにスペイン語が未だに問題がある俺に対して少々冷たい感もぬぐいきれないといったところである。
 
 しかし、せっかくの誕生日、何かプレゼントをあげたいと思い、職場を抜け出し、なじみのべっこう屋に行く。いくつかのネックレスをショーケースから出してもらう。なにか小さな宝石をあしらったものを買ってあげたかったが、ちょっとそれらしきものがない。だったら、宝石屋に行けという感じだが、なじみの店という安心感からこの店にした。結局、インスピレーションと彼女のお父さんが船の仕事をしてるということで、ヨットのデザインのにしようというかなり強引なこじつけで決める。価格交渉はせず、キャッシュ一括で払う。
 
 昼、職場に戻る際に、玄関のドアにもたれながら外を眺めている彼女にプレゼントを渡す。「ありがとう」と彼女は受け取り、俺は職場へ。
 
 夜、家に戻る。今夜は俺がテレビを占有することができたので、テレノベラを観ていた。いつものちょっ薄黄緑のズボンをはき、ゆりいすの左肘掛に両足を乗せるという独特の姿勢をとりながら。そこに彼女は現れた。ヨットをあしらったネックレスをつけて。「ほら、みてHiro、かわいいでしょ。」まっすぐ立ちながら、ちょっとはにかみながら彼女は笑った。
 少女の笑顔にはかなわない。


2002年6月25日(火) 韓国、おつかれさま。
 今日は、朝早くおきることが出来たので、一応、韓国戦をみた。ただ、惜しい試合だったけど、負けてしまいました。また、職場で話題になりました。
 やはり、ニカラグァでは、ブラジルの優勝を望む人、信じる人、当然だと思う人は多い。俺のカウンターパートは、毎朝、俺のところに握手を求めに来てくれるのはいいが、日韓の戦評をした上に、「ブラジル! con Samba(サンバと一緒に)!」などと言って大笑いしている。付き合いベースで、「多分、優勝するのブラジルだろうね」なんて言ってみると「Logicamente(論理的に、必然的に→当たりまえだのクラッカー)」と答え、コーヒーを片手に自分の部屋に去っていく。ブラジル、さんざん下馬評わるかったじゃねーか、と思い、ここまで言われると他のチームを応援したくなるが、ドイツにはそんなに思いいれはないし。まあ、どっちでもいいかなという感じ。


2002年6月24日(月) 犬にかまれる(僕ではありません) 
 先週、知り合いが犬にかまれた。なんかいきなり犬がつかつか向ってきて後ろから回り込んでかんできたらしい。一応、まだ犬は生きているということであり、狂犬病は発生してないもよう。ワクチンも打ったし、一段落なのでは。今日、跡を見せてもらったのだが、なかなか痛々しかった。ただ、それよりも犬をみたときに「また、かみにくるのでは!?」という精神的なトラウマのようなものもあるやもしれない。


2002年6月23日(日) TOEFL練習
 2000年からTOEFLがコンピューター受験になったということで、どんな感じか家でやってみた。印象としては、リスニングがヘッドホンで聞けるというのがうれしい。昔の大教室では誰かのくしゃみひとつで聞き取れないなどということがよくあったから。あと、リーディングも時間がないのかなと思ってあせってやったら、結構、時間がある。昔は、もうちょっと問題が多かったような気がするけど・・・。ただ、長丁場なので集中力をとぎれさせないようにしないといけない。それから、今は、予約すればいつでも受験できるのが、昔と違うところ。便利なんだけど、TOEFL協会の売上アップに貢献してしまうのではないかという危惧もある


2002年6月22日(土) ロンドン
 今日は、同じ街の隊員芝っちに誘われて、彼女の知り合いの家でお昼をごちそうになった。
 料理は、「ロンドン」(右写真参照)というブルーフィールズ料理。ココナッツスープをベースに、蟹、亀のひれ、ユッカ(芋)、バナナなどを入れて煮込んだもの。蟹が入ってるので見た目豪華にみえる。
 亀のひれは模様とかもみえるので、ちょっと食べるのは遠慮したが、いいだしになってはいたのかな?なぜかブルーフィールズのレストランでは、家庭料理がメニューにないので、今回はいい機会だった。


2002年6月21日(金) 何気ない世間話
 最近、よく声をかけられるおじさんがいるのだが、ちょっと余裕もあったため、軽く立ち話をしてみた。どうやら彼は亀肉売りのおじさんだったらしい。よく俺が興味深く観に行ってたのを覚えてたらしい。7月から亀猟は解禁になるので、彼はそれまでは休憩なようだ。
 
 そのおじさんと話した後、歩いてたら、また「Hiro」と声を掛けられた。でも、どこからかよくわからん。しばらくきょろきょろと探してみると、近所の家からで、友達のマリアだった。彼女は、ずーっと豪華客船クルーズの従業員として海にでていて、3月にブルーフィールズに帰ってきたらしい。半年以上ぶりで昔に比べ75%ほどまでやせていた。随分ハードな仕事だったのだろうが、細身になってきれいになってた。共通の友人も多いので世間話をして、あと彼女のクルーズ先での写真などもみせてもらった。何気にアラスカなどに行けてうらやましい。今は、旦那が海にでている。
 
 なじみのとこやのおじさんには、今更ながら「中国人か?韓国人か?」と聞かれ、「犬肉を食べるときは招待してくれ」と言われた。料理するのはいいけど、まず犬肉が手に入らないじゃないかという感じ。


2002年6月20日(木) イカ野菜炒めー
 はじめてイカを購入した。1リブラ(約450g)15コルトバ(約150円)。だいたいホタルイカと同じぐらいか少し大きいくらいのサイズ。
 さっそく料理してみる。最初、ちょっとグロテスクで気持ち悪さを感じた。やはりパーツパーツで買う肉とは違う。まあ、徐々に機械的にあつかうようにしたけど、やっぱ目があるとやりずらいね。
 さて、結果としては、一番よかったのは、まずイカを久しぶりに食べることがでたということ。ブルーフィールズでは、魚屋ではイカを売ってるのに、レストランではイカ料理がないのだ。うちのホストマザーもつくったことがないって言ってた。
 味のほうは、野菜と一緒に炒めたんだけど、まあまあ。なぜかというとちょっとイカに砂がはいってたため。いちおう、イカは洗ったんだけど、みそがいいだしになるかなと思い、中身を適当にしか洗わなかった。ただ、きれいに洗ってしまうと味がでないと思うし、どうすればいいのか。
 しかし、イカは結構料理に使えるのではという手ごたえは得たことは収穫である。今度は魚に挑戦。


2002年6月19日(水) ZARDの壁紙にした
 今日は、気分一新のためにパソコンの壁紙を変えてみました。今までは、パソコンが重くならないよう、悪影響を与えないようにメーカー(Panasonic)作成のものをつかってました。
 それで、今回何にしたかというとやっぱりZARD。昨日、今日とじっくりCDウォークマン(マイルームにはラジカセがない)で彼女の歌を聴いて、だいぶ自分の原点を思い出しました。ビジネスマンの頃もつかってたZARDの壁紙、今度は違うデザインのものだけどインターネットをとおしてgetしました。
 ZARDファンが創ってるHPって結構あるんだけど、今回、気付いたことは管理人(作成者)が俺より若い子が随分多いなということ。びっくりしたよ。彼等は若いのでファンになったのも俺より遅い。俺も1993年頃、ようは4thアルバム「揺れる想い」が出た頃にファンになったのだから、1991年の彼女のデビューから既に2年の年を経ているんだけど、彼らは更にその後に熱烈なファンになったんだろう。実家を訪れたエピソードが載ってたHPもあった。
 ちなみに、僕は友達に福山雅治の実家に連れて行ってもらったことがあります。


2002年6月18日(火) 最も暑い梅雨の終わり
 さあ、決勝リーグ初戦のトルコ戦、いつものインスタントコーヒーではなく挽いた豆でつくったコーヒーを飲みながら時間を待つ。そして、また隊員3人で集まりキックオフ。
 ただ、結果として負けちゃった。
 途中で敗戦ムードが高まってきたときに、こうやってビールとするめを食しながら、だらだら観てるのがいけないのかと自問自答する。今まで勝ってきた試合はドリンクを片手に電気を消して、ただ画面を真剣に観ていたじゃないか。
 しかし、日本代表のおかげで6月中旬まで楽しませてもらった。2002年6月、最も暑い梅雨だったかもしれない。(ニカラグァは雨季だけど・・・)
 そういや、杜の都には雨が降っていた。試合前は、「おー、日本有利だ。」と思い、翌日の「恵みの雨」などという新聞の題字を想像したんだけど・・・
 まあ、たとえ今日が終わっても明日を信じてゆこう。
 
 気分転換に牡蠣ごはんをつくったら美味しかったです。


2002年6月17日(月) Soy 100% Costeno
 今日、家に戻ったら、友達が以前頼んでおいたTシャツを持ってきてくれてた。Tシャツには、前に「Soy 100% Costeno」(俺は100%コスタ(海岸線)人だ)、後ろには「Hiro」と書かれてある。ちなみに黒地に白字。なかなかのできばえだが、ちょっとブルーフィールズで着るのは恥ずかしいものがあるかも。百歩譲って、その友達達と遊ぶときかな。まあ、首都マナグア及び任国外(パナマ、コスタリカ、ドミニカ共和国)に行くときに着ることとしよう。


2002年6月16日(日) インターネット電話 
 日本に安く電話が出来る方法はないかと思い、インターネット電話に挑戦してみた。方法は、MSN MessengerをつかったeAccessサービス。職場からヘッドホンを拝借してきて、早速挑戦。とりあえず日本時間では月曜日の午前中だったため、実家にかける。いい感じで日本の電話受け待ち音が鳴る。「プルル、プルル」。
 母親が出た。音質も悪くない、クリアに聞こえる。
 ただ、やはり甘くは無かった。こちらからの音声送信が極めて遅い。まさに、宇宙と交信してるような感じ(母親にとって)。「もしもし」と話してから、数秒後に自分の声で「もしもし」と聞こえる。さらに、母親いわく結構ぷちぷちきれるらしい。「ああ、せっかく安く電話できる方法がみつかったと思ったのにー」。
 このサービスからだと3分あたりわずか20円程度で電話できてしまうのだが・・・・。また、折をみて試してみたいと思う。他の家の電話だとうまくいくかもしれないしね、小さな望みをかけて。
 うちの電話回線は最高31kps。日本だと通常56kps。さらにブロードバンドだとその数倍の通信速度。やはり31kpsでは限界があるか・・・・。実はニカラグァもケーブルを使ったインターネットサービスがあるが、まだ個人には敷居が高い。
 今までは、日本に電話をする際は、コールバック電話を使ってた。アメリカの電話会社の回線をつかうものだが、これだと1分50円程度かかる。ただ、今回の挑戦がほぼ失敗に終わったため、しばらくはコールバックに頼るしかないかもしれない。


2002年6月15日(土) 古くなった電話線 
 最近、家でインターネットができなかったのだが、システムエンジニアの順ちゃんに手伝ってもらったところ、どうも電話線が古くなってただけみたい。新しいのにしたら問題なかった。よかった、よかった。


2002年6月14日(金) 楽しみにしてた日本戦だったのにー 
 今日は0:30から日本−チュニジア戦をみるべく、眠気を降り覚ました。
 ブルーフィールズの隊員全員(といっても3人だけど)で観ようということになり、ビールも用意して集合した。そして、サッカーが始まったんだけど、なんとロシア−ベルギー戦。こちらでは日本戦は生放送しないのか映らないらしい。おいおい勘弁してくれよ。この日のためにどれだけ集中力を高めてきたことか。ニカラグァ人に「ドセ イ メディア(12時半)」を連呼してきたのにー。まあ、しょうがないからベルギー戦を観戦をする。
 結局、日本のゴールシーン2回だけは流してくれたので、少しは感動するが、ちょっとひとごとのようだった。もー。まあ、いちおう勝ったということで3人で握手を交わし帰途につく。午前3:00、道ですれ違ったのは豚一頭のみだった。


2002年6月13日(木) ニューヨーク 
 今日は友達からメールがあり、9月から大学院に進学するとのこと。しかもお洒落にニューヨークらしい。まさに「Autumn in New York」。羨ましいものだ。ニューヨークといえば、ブロードウエイだな。久しぶりにお芝居でもみたいものだ。


2002年6月12日(水) 憂さ晴らしカジノ 
 今日は、ちょっと精神的に疲れたので、憂さ晴らしにカジノに行く。無造作に100コルトバ(約1000円)をコインに替え、さっそくマシーンに向かう。
 今日は儲けるよりカジノをするのが目的。女の子にさりげなくコーラ-を頼んでから、コインを入れていく。そんなにリキいれずやってたのだが、まずは100枚当たり、いい出だしだった。もう、これで元は取ったんだかからね。ほんとは、ここで終われば、1日分の食費ぐらいにはなるのだけど、今日は続けて、結局、コインを全部使い切ってカジノを後にした。
 ここのカジノは随分繁盛してる。また、カジノの前にロッテリヤ(宝くじ屋)があるのだが、そこも夕方にはいつもひとだかり。ニカラグァ人も夢をみてやってるようだ。今度の宝くじは最高2,000,000コルトバ(約2000万円)。これが当たれば相当人生が変わるだろう。


2002年6月11日(火) 障害者への大工トレーニングプロジェクト 今日は、近くのNGO「ORD」のパブロが訪れてきてくれたので、彼らのプロジェクトについて話した。現在、彼らは「障害者への大工トレーニングプロジェクト」を行おうとしていて、日本大使館に「草の根無償資金」という形態の援助を申請している。
 プロジェクトの目的としては、日本からの援助を受けられると思われるので、さらに大使館の人たちが必要とするであろう資料、情報などを示してあげた。


2002年6月10日(月) 瀋陽事件 
 今日は、久しぶりに郵便箱に「郵便物あり」の用紙が入ってる。家にIDを取りにいき、荷物を受け取ると日本の後輩からだった。
 「週刊新潮」を入れておいてくれたので、さっそく読んでみると「瀋陽事件」についても書かれてあった。いまいち、事の大きさを理解していなかったのだが、だいぶクリアになった。「たとえどこの国内であっても日本の大使館、領事館内は管轄下であるということ。」今、この問題がどれだけ解明されてるのか知らないけど、この「週刊新潮」の記事の時点では、領事館の人もその基本を認識してなかったと言わざるをえない。また、俺がその場にいても毅然とした態度をとれたとはいえないだろう、今更、大使館、領事館が日本の管轄下であるということを確認したぐらいなんだから。
 ちょっと時期遅れかもしれないが、首都に行った折にでも、大使館の人たちの意見も伺ってみたいと思う。


2002年6月9日(日) 日本サッカー初勝利 
 今日は、執念で5:30に起きて、日本−ロシア戦を観戦する。また、稲本がやってくれた。家の長男と一緒に叫んで喜ぶ。さらに、楢崎のナイスセーブがひかり、終盤、中山もでてきた。朝っぱらからいい試合をみせてもらい、気分よく部屋に戻る。
 この日の午前中は何度か停電があったので、だらだらと寝る。
 夕方、友人が来るはずであったが、彼は結局来ずのため、今日は、まさにサッカーを観て、寝るといった一日だった。


2002年6月8日(土) ジェルモ家訪問 
 今日は、先週ドタキャンしてしまった同僚ジェルモの家におじゃました。日本のお土産のお箸、そして近くの商店で買った1.5リットルのコカコーラを持って万全の体制で臨む。
 家に行ったら、この前あげた日本の内輪が部屋に飾ってあり、なかなかうれしく思う。プレゼントをあげた側としてはこういう姿勢がうれしい。まあ、一緒に飲みながらマイクタイソンの試合をみる。はじめてマイクタイソンの試合をきちんと観たが、やっぱ強いなあと思った。結局負けてしまったけど、全盛期は鬼のようだったのだろう。ヘビー級のなかでは小さな身体だが、懐にとびこみ攻めるインファイター、よっぽどルイスのスタイルよりも好きだった。
 奥さん手作りの牡蠣のカクテルをごちそうになる。ふんだんに牡蠣が入っており、なかなかおいしい。生なのでちょっとおなかのことが気になったが、遠慮なく頂く。また、ジェルモからはダニエル・オルテガ(何度もこの日記には書いているが、ニカラグァ元大統領。サンディニスタ党党首)のTシャツをもらう。それから秘蔵のサンディニスタの旗の上に飾られた数々のバッチなどもみせてもらう。
 だいぶ遅くなり、さて、帰ろうかなと思ったら、職場の同僚ルシアーノも現れる。彼は大学教授もしており、その教授仲間と現れるが、すっかり気分はハイ状態。職場では落ち着いたいいおじさんだが、だいぶ酔っ払って現れた。そうこうしてるうちにすっかり帰るのが遅くなってしまった。明日、朝5:30から日本−ロシア戦なのにー。


2002年6月7日(金) Adios ねずみ 
 先日、設置した「ごきぶりホイホイ」だが、見事ねずみを2匹捕獲した。がさがさと生け捕りにした音は聞こえていたが、しばらく放置しておいたら、やはり捕獲となったようだ。本当は、どこか遠くにでも行って欲しかったのだが、これも悲しき運命。「ごきぶりホイホイ」ごと袋にいれ、外のごみ袋に捨てた。
 また新手が現れないことを祈る。


2002年6月6日(木) Nuestra Nicaragua Bonita 
 今日は、スポーツ文化教育省を訪れた。
 青年海外協力隊有志とニカラグァの同省との企画で、子供達のポスターコンクールを行うというものがあり、そのブルーフィールズ地区での進捗状況等を確認しに行った。ちなみに、コンクールのテーマは
「Nuestra Nicaragua Bonita(私達のすてきなニカラグァ)」ということらしい。
 ブルーフィールズのスポーツ文化教育省だが、昨年、EUの援助で建てられたため、けっこうきれいな建物。しかしながら、職員が鬼のように暇そうだった。Directoraと話すため待ってると、職員がいろいろ話し掛けてきた。「飲みに行ったりするの?」「ワールドカップみてる?」「彼女いる?」「子供いる?」相変わらずの会話で、1時間ほど待たされる。
 結局は、ちょっと日程遅れだが、各学校で子供達がポスターを書くよう指示はしているらしい。18日にブルーフィールズ地区審査会をするということでなかなか楽しみだ。
 いちおう、最終的には、ニカラグァ全土から作品(ポスター)がマナグアに集まり、メトロセントロという大きなショッピングセンターで展示会をするらしい。


2002年6月5日(水) 先住民のネズミ対策 
 部屋のねずみ対策として、とうとう以前むっちゃんからもらった「ごきぶりホイホイ」を設置した。ニカラグァでは、ねずみが居て当たり前なんだけど、対策としては白い毒薬みたいなものを設置するらしい。まあ、ネズミは食べたら死ぬ。日本でも使ってるよね。
 ねずみが部屋に現れるのはだいたい深夜だが、また足に触られたらいやなので、いつも椅子かベッドの上であぐらをかいて、しばらく観察する。
 うちによく来るのは、非常に小型。あえていえばハムスターぐらい。しかし、色は濃いねずみ色。しばらく眺めていると親近感も沸いてくるが、やはりここは心を鬼にしなければいけない。
 以前、友達に家にねずみ、ヤモリ、蚊などいろいろ出ることについてメールしたら、
「お家の中には、小動物が我が物顔に住み着いているようですが、もともと彼らの方が先住民ですものね。仲間に入れてもらいましょう!」って返事をもらった。
 これにはさすがに甲を脱がされた。そんな発想があるのかと。俺は未だにそんな境地に至ることは出来ません。また、更にご批判を受けることを承知で書くが、その友達はとってもかわいく清楚な感じの女性。さすが言うことが違うなと感嘆してしまった。


2002年6月4日(火) 朝3:30からガチンコ観戦 
 今日は、ワールドカップ日本−ベルギー戦、執念で3:30まで起きて、テレビに魅入る。前半が終わり、後半、ちょっといやな予感がしたら、やはりベルギー先制。しかも、お洒落にオーバーヘッドキックでゴール。これは、昔、「キャプテン翼」で翼くんがよくやってたシュート。俺も小学生時代、普通に胸でとればいい球でもあえてオーバーヘッドをしてたよき思い出がある。
 点がとれずまた負けモードかと思ってしまったが、鈴木、そして稲本とシュートを決めてくれた。朝4:45(現地時間)、俺の歓声が鳴り響く(心のなかで)。まさに、異国にいると母国愛100倍モード。「日本」コールを大合唱し(しつこいが心のなかで)、手には誰も奪うべき人が居ないにもかかわらずしっかりとチャンネルを握り締める。最終的には、2-2。最後、ちょっと演出でもいいから中山を出して欲しかったけど、いい試合だった。欲を言えば買ってほしかったけど。

 まあ、その後、インターネットでニュースをみたらまた大事件発生。中山美穂結婚。またひとつの時代の区切りだなとも思った。昔、先輩で「女は中山美穂くらい太ってたらいいなあ」と語ってくれてた人がいた。その彼も今年結婚する。


2002年6月3日(月) 申し訳ない失態 
 今日は、申し訳ないことしてしまった事件が起こる。
 実は、昨日は同僚ジエルモの家に行く約束をしてたのだ。でも、だらだらしたかったし、まあそんなに待ってないだろうと思ってたのだ。そしたら、実は、食事も用意して待っていてくれたらしい。いやあ、申し訳ない。だらだらしたいという欲望のために大きな信用を失ってしまったといえる。
 今週末訪問させてもらうこととしたが、自分自身反省せねばならない。


2002年6月2日(日) だらだらした週末 
 今日は、もう鬼のようなだらだらした生活を送る。
 久しぶりにこういう週末を送りたかった。パソコンのゲームをして、ボンカレーを食べ、寝るというこんな週末を。


2002年6月1日(土) 飲み   
 今日は、週末なので飲みに行く。
 また、ニカラグァ人大学生から仏教系の質問をされる。こっちに来て1年、かなりの割合で話題になる宗教話である。最近、少しは知ろうと思い、仏教系の本を借りてきたのだが、さっぱりすすまない。とりあえず、シャカは80歳まで生き、かつ結婚していたこと、種族のリーダーの息子だったとことぐらいは知りえた。
 さらに、話題はクローン人間、ロボット、国際関係にまで広がっていく。その傍らでは、カップルがごく自然に抱擁を続けてる。飲みは相変わらずビールオンリー、つまみ類他一切なしのガチンコ。


2002年5月31日(金) ワールドカップ開始   
 日韓でワールドカップが開催した。果たしてこちらで生で観られるのだろうか?今、調査しているところ。ただ、時差があるので、日本18時キックオフだとすると、こちらでは同日朝3時に起きて観なければいけない。
 とりあえず、コスタリカでは生放送するらしいし、アメリカのESPNも放送するだろう。あとは、チャンネルを把握するのと、その日に起きること。
 しかし、俺、前回のワールドカップよく覚えてないんだよね。なんか、記憶が前回オリンピックと重なってしまう。オリンピックのとき、残業を抜け出して、先輩の部屋にテレビ観戦しにいったことが懐かしい。


2002年5月30日(木) Donde esta invierno?   
 ニカラグァでは今日が母の日。よって、ラッキーにも職場も午前中で終わりだった。
 最近、カリブ海側は暑い日が続いている。「もう、どこにいったんだよ、雨季は!」という感じだよ。僕は、職場ではうちわを愛用しているが、家にまだ余剰があれば、職場の同僚にもわけてあげようと思う。
 しかし、この雨季と乾季、あえてポジティブに考えるとすれば、「雨季はウキウキ、乾季は歓喜極まる」といったところだろうか。


2002年5月29日(水) ミス・ユニバースについての考察   
 今日は、「ミス・ユニバース」をテレビでみる。最初は、家の主人、長男、俺という理想の形で、観ることができた。さすがに各国の代表が勢ぞろいするだけあり、画面をとおしてすら、感嘆せざるをえないところが多々あり。
 最初に、全参加者から10人が選抜されるのだが、これがちょっとどのように選ばれるかがよくわからない。まあ、様々な事情があるであろうことを考えずに、素直に観る。
 10人のなかでは、ロシアとインドの女性がreina(queen)になればいいなと個人的に思ったが、結果的にはロシアの子がreinaに選ばれた。やっぱ応援してる子が選ばれるとなかなかうれしく、自分の眼力に拍手。
 ロシアの子だけが、インタビューを英語ではなく、母国の言葉で答えてた。時間制限があるので、通訳の時間を考えると非常に短い。にもかかわらず彼女が選ばれたことに、ちょっとインタビューの意味がないのでは?との疑問もある。
 あと、インドの女性も水着でコンテストを受けていた。てっきり、もう少し皮膚を覆った他とは違う衣装かとも思ったんだけど、みんなが水着だと逆にすこし覆ってくれるほうが逆によい感じをうけるのは不思議な心理なり。
 しかし、根本的に考えると、世界各国の代表から一人を選ぶなんて土台無理があるよねー。だって、みんなきれいなんだもん。俺もぜひあの会場に行ってみたいけど、ジャッジになってくれとお願いされたら、固辞さざるをない。選ぶことも難しいし、選ぶとすれば、自分と視線を合わせてくれたり、事前に握手とかしてくれた子になってしまう。あえて言おう、僕はえこひいきをします。
 
 「ミスなんとか」というのは日本でも女性差別とかいろいろ騒がれた経緯もあるが、ニカラグァではその手の企画が非常に人気がある。この前、大学の「ミスなんとか大学コンテスト」があったかと思えば、今度は「ミスなんとか学部コンテスト」がある。各種お祭りの際には相当な割合で行われる。ちなみにうちの職場にも「元ミスBICU(大学名)」がいます。


2002年5月28日(火) なかなか大変なホームステイ   
 今日は、久しぶりにテレビが空いてたので、ニュースをみた。今、中南米太平洋側にはハリケーンがきており、首都マナグアもものすごい大雨。緊急避難をしている人もいるほどだ。ただ、こういうニュースをみてても、隣の部屋で家の娘がでかい音で音楽を聞き始める。もう、勘弁して頂きたい。ただ、ニカラグァ人でも相手への気遣いを出来る人もいるので、これが一般的とまではいえないんだけどね。
 さらに、うちの家には、お手伝いさんもいるんだけど、彼女は住み込みで暇なせいか、いつもテレビをみている。なかなかホームステイも大変なのである。


2002年5月27日(月) 青菜 
 今日は、同期の愛ちゃんがブルーフィールズに来てたので案内した。ココナッツ入りパンを買いたいということで探してみたら、大きいものや小さいもの、ハンバーガーに使うようなものなどいろんなココナッツ入りパンが売っていることがわかった。

 夜は、以前、中国人の友達にもらった青菜(のようなもの)をつかい、ベーコンと交ぜてスパゲティをつくった。やはり予想通りうまくできておいしかった。うちの大家もつまみ食いしにきて、「おいしい」と言ってたので、まあニカラグァ人にとってもおいしいのであろう。ここには、緑の野菜が少ないので青菜は貴重だった。なくなったらまたもらいにいこうかな。


2002年5月26日(日)2匹のネズミ 
 今日は、皆をブルーフィールズが一望できるテレビ塔に案内しようと芝っちとタクシー(4輪駆動車)を探してが、1時間探してもgetできず、結局、高台にある大学に案内する。この日も相変わらず暑かった。太平洋側の隊員にいわせると湿気がすごく、更に蒸し暑いらしいので、「(こんなところに住んでて)すごいですね」と言われてしまった。

 夜、家でパソコンに向ってたら、なんかがさがさするなと思ったらネズミが2匹走り回ってる。もう、勘弁してくれよと思ったら、1匹が足の上に乗ってくる。百歩譲って、存在するのは許すとしても、夜は静かにしててくれよという感じだった。


2002年5月25日(土)Palo de Mayo 
 今日は、「Palo de Mayo」というブルーフィールズ最大のお祭り。まちのいくつかのエリアからカーニバルがはじまる。主に黒人の人たちがそれぞれの衣装を身にまとい、街を踊り歩く。しかも、今日は勘弁してほしいほど暑いので、踊る人たちも大変だったと思う。
 最終的には、公園の前にすべてのグループが集合する。ただ、すごい観衆で、なかなか踊りをみることができない。更に雨は降ってくるはで、結局、ちょっとみてから離れる。

 太平洋側から他隊員も来てたので、夜は一緒に食事をして、カジノに行く。俺は手元に30コルトバ(約300円)ぐらいしかなかったので、ちょこっとやって20コルトバほどもうける。ただ、同期のおそめさんはスロットのひとつ(ボーナスなどがあり、結構おもしろい)を気に入り、なんと500コルトバも費やしてた。彼は、儲けるかどうかはともかくとして、人を魅せるギャンブラーだった。


2002年5月24日(金)ユニフォーム 
 今日は、パン屋と洋裁屋を訪問する。パン屋は、まだブルーフィールズに赴任したばかりのときに訪問した店。すんごいでかい男性が主人だった。ただ、訪れてみるとなんと彼は数ヶ月前に殺されてしまったということ。親しく話した人だっただけに、ショックだった。まあ、息子達も彼同様優しく、いろいろ話を聞き、少額融資を利用して購入したパン製造機械などをみせてもらう。
 午後は、洋裁屋に行く。今、そこではうちの職場ADEPHCAの女性用ユニフォームを作ってる。以前、会議でユニフォームの話がでて、「金の無駄じゃないか」と思ったが、やはり具体化していた。しかも3種類も作成中。まあ、こちらではユニフォームがステイタスになるので、つくるんだろう。ブラザーミシンが活躍していた。


2002年5月23日(木)Laguna de Pelas 
 「Laguna de Perlas(英語名:Perl Lagun」)」というコミュニティーに行く。ここは、ブルーフィールズからはボートで約1時間のところ。同僚のジェルモ、そして石橋さんと港に7時に集まる。ちなみに、ジェルモは日本人女性との出張を先週から楽しみにしていた。
 さて、しかしながら、ボート出発を待つこと約2時間半。俺はあんまりボートに乗るのが得意ではないので、そのちょっとした恐怖を心に秘めながら待っていた。一般的にニカラグァのボートは定員が揃わないと出発しないのだ。
 ただ、いざ出発してみると結構快適だった。まだ外洋ではなくブルーフィールズ湾内での移動のため、そんなに波はない。ディズニーランドのジャングルクルーズもどきを味わえる。カーブのときなど結構楽しい。
 Laguna de Perlasに到着すると、のんびりしていい感じだ。緑が非常に多い。ただ、頭をおとされた馬を背負いながら歩く馬をみたときはショックだったが・・・。ここには、顧客2件、新規予定顧客15件いるが、1件薬屋を訪れて、インタビューする。
 帰りは、また行きと同じように2時間半ボートが出発するのを待つ。明日も、ボートで違うコミュニティーに行く予定だったが、それはさすがに止めとした。


2002年5月22日(水)38人兄弟 
 今日は、クレジット担当及び経理担当の女の子から話を聞く。今回も思ったより親切に教えてくれて驚く。また、ブルーフィールズには、海外の客船で働く人々も多いが、顧客のなかにはそういう人たちもいて、準備金のため特別に月利5%で貸しているという事実を知る。(本来は小規模企業家のみが対象)
 午後は、主に商業関連の顧客を訪問する。木材販売のおじいさんを訪れたところ、なんと33人もの子供がいるらしい。(母親は4人)念のため、「バイアグラ使ってるんじゃないか?」と質問したが、そうではないらしい。まあ、そんなこんなで職場に戻ってきて、Directorに話すと、なんと彼は38人兄弟だった。


2002年5月21日(火)職場職員とインタビュー 
 今日は、石橋さんが職場ADEPHCAに来られ、Director、Gerente、トレーニング部責任者などと面談を行った。おかげで俺も今更ながらの疑問なども聞くことが出来、よい機会となった。また、職員も想像以上により反応、説明等をしてくれたのにはうれしく思った。


2002年5月20日(月)JICAジュニア専門員来ブル 
 今日は、JICAジュニア専門員の石橋さんがブルーフィールズに見えられた。
 ただ、彼女は専門がアジアにも関わらず、今回中米のプロジェクトに携わっておられるということで、スペイン語も現在習得中とのこと。今回は調査が目的ということなのだが、俺だったらちょっと大変だなと思った。

 いちおういつもどおりブルーフィールズを案内し、夕食をとる。ブルーフィールズのある程度のレベルのレストランになると、店員が過度にテーブルを拭きにくるので、それに驚かれていた。俺もこれは勘弁して頂きたいと思い、あんまりテーブルをぬらさないとか、ティッシュをひくなど様々な対策を試みてるんだけど、やはり変わらない。まあ、店員が暇なのも原因だろうし、それがサービスと考えてるところがさらにいけない。


2002年5月19日(日)降り続く雨 
 今日は、朝から昼過ぎまでずっと雨。もう家のなかでだらだら過ごす。しかし、日曜日は、夫婦、子供達、家政婦全てが家にいるので、結構狭苦しく、部屋で休憩。Libreな生活が懐かしい。ただ、雨が降ってるので、外にも行けないし。

 夜は、順ちゃんとメシを食べに行く。任国外研修で行ったパナマ、コスタリカの話などを聞く。ただ、レストラン内に我々だけが客だったんだけど、途中で従業員は爆睡しだすし。最後、
お勘定をしたときは、「最近、いつも5時起きなの」とか愚痴ってきて、そんなの聞いてないよという感じだった。


2002年5月18日(土)昼食招待 
 こちら在住40年の中国人夫婦が昼食に招待してくれたので、芝っちに誘われて言った。とうふ料理それから、鳥料理などの中華料理をごちそうになった。彼は、一方的に話すので、結構リスニングは疲れるんだけど、まあ、おいしいものを食べられたしよかったかな。内線時代、政府が中国系の人の財産等を没収したという歴史があるので、その際、多くの中国人はブルーフィールズを去ってしまってはいる。ただ、少しはまだこちらに残って生活をしているなどの話を聞いた。

 夜は夜で友達の誕生日飲み会などに出掛けた。ただ、合計男7人、女3人で、そのうち、カップルが3組というとりあわせ。もう、途中で勘弁してくれ状態になる。飲み会とかに誘ってくれるのはいいが、それなりの準備をして頂きたいものという感じでもあった。


2002年5月17日(金)雨季突入 
 最近は、ほんと雨続き。雨季突入かなという感じ。毎日、折りたたみ傘持参で出勤している。ただ、風が強くなってくると傘も機能しなくなるんだけど、今のところはまだ対応可能かな。


2002年5月16日(木)日本への留学 
 来週一週間、JICAジュニア専門員の方が、本NGOに研修に来られるので、うちの職員にそのスケジュールを説明し、お手伝いをお願いした。今月は、何気に来訪者が多い。まあ、彼女の研修のおかげで、俺もまだ行ってない顧客のところとか行けそうだし、いいかなとも思う。

 あと、日本に留学したい友達がいるので、昨日、大使館の方から届けていただいた申し込み用紙などを渡してあげ、説明してあげた。日本も奨学金制度により各国から留学生を受け入れている。昨年、ニカラグァからは1名受給したらしい。(地方自治体ベースの奨学金制度もあるので、それとは別)
 ただ、書類作成には、かなりの労力を要するのでなかなか大変でもある。運良く、友達が受かってくれれば、これほど良いことはないんだけどね。


2002年5月15日(水)大使館関係者視察 
 今日、日本大使館の関係者3名がプロジェクト視察に訪れた。
 まずは、従来顧客3件、及び新規クレジット希望顧客3件を訪れて、市場調査が行われた。各自が小規模企業家に質問等をされ、現場のニーズというか声を聞いてくれた。
 
 JICA専門家の方からは、本NGOより小規模企業家に対して、衛生面、職場環境面での指導などを行っていくべきだとの指導を頂いた。

 結論的には、さらに詳細資料作成ということになったが、日本からの援助(「見返り資金」)を供与してもらえる可能性はある。本来、日本大使館側も本プロジェクトに関心を持ってくれているのだから、本NGOが更に積極的に資料等を揃えれば、動きが速くなるんだけど、おしりをたたいていきたい。

 また、当初、資金貸与という方向で動いていたが、結果的には資金供与ということで、俺としては、貸与のほうが本NGOの成長にとってもよいと思ってたので、少々残念でもあったが、それは援助の形態上難しいとの回答であった。


2002年5月14日(火)資料準備 
 明日、大使館の人たちがプロジェクト視察に来るので、夜遅くまで資料作りを手伝った。もう、もっと早くからやればいいのにという感じなのだが、そこはニカラグァ人気質。まあ、資料ができただけよかったとしよう。まあ、こういう視察とかがないと、物事が早く進まないし。


2002年5月13日(月)トランクスかブリーフか 
 今日は、家族と下着の話で激論してしまった。旦那がブリーフ派らしいんだけど、俺はねっからのトランクス派なのでトランクスの優位性を説いた。
 ただ、いろいろ調査を行ってみると、ニカラグアのほとんどの男性はブリーフ派らしい。
 そういや、トランクスを買おうと思ってもなかなか売ってないなあ。


2002年5月12日(日)また中国系の知り合い 
 今日は、大学の学祭のようなものがあったが、随分小規模だった。田舎の役場のお祭りぐらいかも。ちょっとしたお店が並び、それから、エイズ防止のレクチャーなどが行われていた。
 知り合いの家に行く。その家は、おばあさんが中国人の家庭。でも、その姉妹たちはやはり中国語はさっぱり話せないらしい。ただ、家のなかにいろいろ中国系の調度品があるのがいい感じだった。


2002年5月11日(土)ドナーのもどかしさ 
 今日は、他NGOパブロに会ったので、ちょっと話し、プロジェクトを一緒にみた。彼は、身体障害のある両親をもつ子供達に労働する機会を与えるプロジェクト等を行っている。今は、ブロック(建築材)をつくっており、それを販売してるらしい。将来は大工仕事もさせたいらしい。

 彼のNGOはドナーも少なく、組織としても未成熟である。俺に協力できることがあれば喜んでさせてもらうんだけど、いまいちピントが外れたことを言ってくる。かといって、こちらから「これあげよっか?」と言うわけにもいかず、もどかしいところがある。


2002年5月10日(金)来週の視察受入にむけて 
 来週、日本大使館及びJICAの方々がプロジェクトの視察に来るので、職場ではその準備をしてる。もう、こういうことないと動かないんだからというところもあるが、同僚達は資料作成をしてる。
 我々のプロジェクトの顧客訪問、新規顧客及び我々とのミーティングを予定している。
 今は、訪問する顧客情報を纏めてるところ。


2002年5月9日(木)カプセルホテルの話 
 今日は、Gringos(欧米人)達と飲んだ。同僚のMax、更に、国境なき医師団のギリシャ人、大学講師のスペイン人、リトールコーン島に住むカップル(アメリカ人、スペイン人)、大工のスイス人など結構多彩な取り合わせになった。

 いろいろ話題はあったが、日本のカプセルホテルの話になった。「ほんとにそんな天井が低いところで寝るのか?」とか「ほとんどそういうホテルなのか?」みたいな興味で聞かれた。まあ、一応、設備内容とどういう状況で使用するかを説明しておいた。もし、彼らが日本に来たら、ぜひ連れて行ってやろうと思う。


2002年5月8日(水)ニカラグァ人の海外経験 
 最近、職場からの帰り道で野菜屋の親父とよく話す。彼の父親は中国人らしく、親近感がわく。ただ、彼自身は中国語をさっぱり話せず、中華料理も作れないらしい。ただ、昔、ロシアに留学したことがあり、そこで北朝鮮の人やベトナムの人のつくった料理は美味しかったと言ってた。
 
 ニカラグァは、サ
ンディニスタ革命後、様々なアメリカの介入を受けたため、冷戦のもう一方の極である東側体制との関係が深まらざるをえなかった。よって、周囲の人でもロシア、キューバなどへの留学、滞在経験のある人は多い。それから、時々、ドイツに行ったことがある人がいる。最初は「へー、珍しいな」と思うが、よくよく聞いてみると「旧東ドイツ」ということがわかり納得する。


2002年5月7日(火)いつもの宗教の話  
 職場からの帰り、グリセルダに会ったので、彼女の知り合いの家に行く。なんか彼女の宗教(Advensita)のリーダーの家のようだ。しばらく談笑を楽しんだが、最後にやはり彼らのDiosの話に。彼等の真摯な態度は非常に素晴らしいものがあるが、「Diosはあなたのために十字架に掛けられたのよ」などなど話していくともう勘弁して頂きたくなる。いつもこの宗教話をどうやって答えようかと思うが、あとまわしにしてしまう。


2002年5月6日(月) 無線連絡 
 今日、うちの家に無線が入ったのでJICA事務所から連絡が入る予定だった。夜7時くらいから待つもののさっぱり入らない。結局、電話がかかってくる。無線をもう一度試したところ、俺の声は職員に届くものの、職員の声はさっぱり聞こえない。

 現在、他の国では、隊員に携帯電話支給も珍しくないが、この国ではいまだに無線使用。昔、その方針を決め、大量に保有しているため、今更、携帯電話に変更できないのだ。しかし、さっぱり使えないんだけどね。相変わらずのお役所仕事です。


2002年5月5日(日) 久しぶりに勉強 
 レストランに昔使ってたノートを持ち込み、久しぶりにスペイン語文法の復習をした。昼間は外のほうが開放感もあり気持ちいので、レストランに行った。ただ、そのときの音楽のボリュームにもよるんだけどね。こっちの人は、結構大きめの音で音楽を聞くのを好むので、静かに飲みたいときとか、会話を楽しみたいときは結構困ります。


2002年5月4日(土) 島、海 
 島西部及び南部に行った。西部はロングビーチといい、結構きれいと聞いていた。だが、思ったより波が高く、泳いでいる人など皆無だった。結局、ごろごろしながら場違いかもしれないが高杉良のビジネス小説を読み終える。高杉良は好きな作家で、本を読んでると日本のビジネスマンのやりがいというか素晴らしさも感じる。南部は、ピクニックセンターという地域があり、非常におだやかできれいだった。波もほとんどなく、泳ぐには最高のところだった。
 
 ホテル主人達にお別れを言いに行ったら、日本語で「島、海」と紙に書いてくれと頼まれたので、書いてあげた。居間の壁に貼ってくれた。よい人たちだった。


2002年5月3日(金) ちょっと怖かったダイビング 
 今日は、朝からダイビングをした。潜りはじめたのだが、どうも調子が悪く、ときにはまわりの風景がまわりだした。なんとか1ダイブ終えたのものの危険を感じたダイブだった。なんか海の中が、異次元の世界で海上に上がるとなんか夢をみてたようだった。
 
 ホテルに戻ってからは、ずーっと寝てた。それから、そこにいる猫と遊んでた。だいぶ人に慣れてるようで、膝に乗ってきた。先輩で猫のような女の子が好みの人が居たが、最近、俺も動物のなかでは猫が好きになってきた。


2002年5月2日(木) コーン島2日目 
 午前中は、ホテル前のビーチでシュノーケルをする。沈没船があるため、そのまわりに行くときれいな魚達に出逢える。また、今日はとってもいい天気なので、ほんとに海がエメラルドグリーンだ。
 昼から、昨日知り合った人のホスペダヘに替える。1人1泊10ドルとまあまあ安い上にコシーナ(台所)がついてる。イメージするなれば、1軒やの3部屋を貸してるというような感じ。今回は、スペイン人夫婦とアメリカ人エコツーリスト家が泊まってた。まあ、1軒やなので自然と知り合う。
 アメリカ人のアンディからはチェスの勝負を挑まれる。最初は、やり方を思い出しているところにに秒殺されてしまったが、2回目は、接戦の末に見事な勝利を収めることが出来た。だいたいマイチェスを持って旅行している奴に勝つということは、なかなかのものではと思う。3回目を挑まれたが、丁寧に固辞し、気持ちよく眠りについた。


2002年5月1日(水) 1年ぶりのコーン島へ
  今日は、なんとメーデーということで休み。うちのNGOはめったなことでは休まないんだけど、今日は休み。よって、ボンさんとカリブ海に浮かぶコーン島に行く。
 到着後、空港にてボンさんが子供をあやしてたので、そのお母さんと話してみた。そしたら、彼女はホスペダヘ(安ホテル)を経営してて、ダイビングサービスもしてるとのことだった。今夜は、違うホテルに泊まったが、送ってもらった。
 今日のホテルは、各コテージになっており、なかなかお洒落。また、スイス人、アメリカ人の旅人と知り合い、うじゃうじゃしゃべりながら過ごした。スイス人は、ヨーロッパのなかでも欧米言語には精通しており、彼らもグァテマラで数週間スペイン語を勉強しただけで、随分きちんと話してる。5カ国語くらい話せるらしい。
 寝る前に空をみたら、星がとてもきれいにみえた。


2002年4月30日(火) おなじみ街案内
  同期隊員ボンさん(公衆衛生)がブルーフィールズに来てるので、街案内をする。丘の上の景色やレストランが気に入ったようだ。
 大学にも行ったのだが、オーストリア人の留学生がいたのには驚いた。


2002年4月29日(月) 脚色150%
  今日、県庁の人がブルーフィールズを視察された際のレポートが届いていたので読んでみた。ただ、内容には少々驚いた。以下のような感じ。
 「彼の任地は、都市部であっても、私には全体がスラム街と思われる地域であった。慣れない者には食事はのどに通らない。なぜ、あれほどまで明るく活動できるのか信じられないほどであった。隊員たちに心から敬意を表する。」
 これは「ちょっとやりすぎだろ」とも感じた。それとも日本の一般人がブルーフィールズに来ると本当にそう感じるのか?俺も脚色は好きなほうだが、これは脚色150%は行ってると思う。ちょっと歩かせて街をみせてあげたからか、他の街では車ばかり乗ってたのか、よくわからないが・・・・、少々遺憾に感じる。


2002年4月28日(日) 暑いニカラグァ
  5月5日がホストマザーの誕生日らしいので、プレゼントを買いに行く。ちょっと迷ったが、ニカラグァ人は香水好きなので、香水とする。

 今回、マナグアでドミニカ及びコスタリカから研修に来ている隊員に会ったが、ニカラグァは彼らの国に比べても暑いみたい。まあ、コスタリカの首都サンホセは涼しいだろうけど、ドミニカの隊員から「暑いですね」と言われるとは思ってなかった。俺もまあまあ暑いとは思うんだけど。


2002年4月27日(土) 魚パーティー
 今日は、他の隊員たちが港で魚を買ってきてくれたので、「魚パーティー」を開いてくれたので、参加した。鯛の刺身、鯛めし、サメのフライ及びムニエル、海老の味噌汁、刺身などにありつくことができた。おいしかった。


2002年4月26日(金) 帰郷
 懐かしの語学訓練を受けた街サンマルコスに来た。約1年ぶりだ。ちょうど昨日がお祭りだったので、それを観にきたんだけど泊まるホテルがなく、なんと市役所の一室に泊まった。夜の学校のようで、少々怖い雰囲気もあったが、机のうえにそそくさとクッションをひき、ひとつのクッションを抱えて寝た。
 
 この日は、昔住んでた家、友達の住んでた家、学校などを訪れた。懐かしい人たちだったが、うれしかったのが、ある程度の会話ができたこと。当時、何人かのスペイン語は相当早く感じたが、ある程度理解できた。少しは、会話能力がupしたのだとうれしく思った。

 よく通っていた喫茶店も相変わらずで店主としゃべったり、公園でたたずんだりと、ちょっとした故郷気分を味わえていい帰郷だった。


2002年4月25日(木) プロジェクト説明
 午後よりニカラグァ対外経済局に行き、プロジェクトの説明を行う。もう半年前に申請したんだけど、人事交代やらJICA専門家担当者変更などで進展したなかった模様。ただ、今日は、日本大使館からも担当者の方が来ていたので、進展していくのではと思う。

 最近思うのは、ニカラグァの各種機関(市役所、NGO)などは、プロジェクトの資料をつくって、援助先を探すというのがスタンスのよう。自己資金で何かを行うなどは、ほとんど考えていない。ようは、資金先とのコネクション及び資料作成能力のある機関がプロジェクトを実現できるということ。
 
 たしかに、援助を行うドナーからしてみれば、有効な援助先を探しているわけで、優秀な援助要請機関とはよい組み合わせだ。外からみれば、効果的な援助に思える。ただ内側にいるとちょっと「これでいいのかな」とも感じる。おそらく開発コンサルタントなどは、更にビジネスライクにドナー探しをしてるのだろう、総額に対してコミッションがとれるのだから。

 未だに俺には発展途上国の未来はみえない。だって、今でも人々はいくつもの不便はあるにせよ、生きていけるんだから。


2002年4月24日(水) 遠回りのマナグア行き
 今日は、首都マナグアに行く。ただ、飛行機に乗ったところ、なんと逆方向のカリブ海に向かって進む。コーン島に寄ってからマナグアに行くらしい。通常1時間のところ、1時間半以上かかった。日本でいうと、名古屋から東京に行くのに、大阪に寄ってから東京に向かうようなもの。
 マナグアでは、同期のでっちゃんと中華料理を食べに行く。ちょっと高めだったが、とくに春巻きがおいしかった。


2002年4月23日(火) Palo de Mayo練習
 最近、街では来月のお祭り「Palo de Mayo」に向かって踊りの練習を見かける。ただ、知ってる人に言わせると今からはじめてるところは、いつも成績が悪いところらしい。上手なところは、まだ余裕とのこと。いちおう、地区ごとにチームで出場するらしいが、黒人比率が高い地区ほど踊りのレベルが高いらしい。
 うーん、来月が楽しみだ。


2002年4月22日(月) Entre el Amor y Odio
 エアロビに行こうと思ったら、職場の同僚の誕生日のため、また職場でケーキとアイスクリームを食べる。これが定番。そして、俺が日本語で「Happy Birthday to you」を歌う。最近、これが主な仕事かも(笑)。

 あと、最近みてるテレノベラ「Entore el Amor y Odio」(訳:愛と憎しみのあいだで)が結構おもしろい。メキシコドラマらしく入り組んだ人間関係。今のところ、@ヒロインが妊娠した。しかし、父親が2人の男性のどちらかわからない。A男性の1人は、さらに他の女性をも身ごもませる。Bヒロインは自分の父親も誰かわからず、今、探してる。実は、父親は富豪(多分)Cヒロインの親友は、実は姉。などなど。
 しかも、ヒロインのクリスティーナはきれい。あと、舞台は、俺が昔ちょっとだけ住んでたメキシコ グァナファト市。おすすめのテレノベラである。


2002年4月21日(日) バザーお手伝い
 朝から病院にいく。看護婦隊員の芝っちがバザーをするためお手伝いに行った。彼女は、病院に子供の遊戯室をつくるプロジェクトを推進していて、さらに、このバザーでの収益を遊戯室におくおもちゃ等の購入にあてるとのこと。
 行ってみたら、芝っちが汗だくになって準備してた。ニカラグァ人は、相変わらず、たいしててきぱきしてない。そして、出店の前には、既に狙いを定めたニカラグァ人客が来てる。もう手には、気に入った人形を確保してる。ニカラグァ人には、人形が特に人気があり、大人でも、日本のUFOキャッチャーでgetするような人形には目がない。
 結局、開始後わずか1時間少々でほぼ完売した。とくに、人形と服が人気だった。服なんか最低1コルトバ(10円)で売ってるんだから、そりゃ買うわな。ただ、芝っちのベネトンの服が最後の辺まで残ってたけど・・・  
 彼女がいろんな人、組織から集めたものが、約2万円の収益を生み出した、いい遊戯室になればと思う。


2002年4月20日(土) 散歩
 やっと土曜日。夕方から昔住んでた家周辺に散歩に行った。なつかしの我が家だった。思い入れと共に、しばらく佇む。相変わらず、子供達が遊んでる。昔、よく遊びにきた子供の家に行ってみた。ただ、おばあちゃんやいとこがいたせいか、いまいち、のりが悪い。しかし、うちに来てたとき、一番大人しかった弟が元気がいい。彼は、男の子なんだけど、髪の毛をのばしてて、まるで女の子のようにかわいい。
 まあ、ほいじゃ、帰ろかなと思ったところ、子供達が追いかけてきた。やっぱ、家では恥ずかしかったのかな。しばらく、近所周辺をぷらぷら散歩した。


2002年4月19日(金) 飲みに行ったものの>
 今日は、久しぶりに友人レイムンドと飲みに行く。ほんとは、ディスコに行く予定だったんだけど、彼が女の子達にブッチされたようなので、延々と飲むこととなる。
 しかも、途中からおっさん2人が混ざってきた。一人は経済学者、もう一人は元電力会社の管理者とのこと。しかし、今は、失業中っぽい。だいぶよっぱらってるみたいで、なんか海老のビジネスをしたいから、支援してくれ、でも俺達はお金を持ってないみたいなことをしゃべてった。とりあえず、ある程度の金は用意してくれよって感じ。
 そして次の店に行こうと誘ってきた。レイムンドいわく、「どっちにしろ、店は閉まってるから、とりあえず行くだけ行ってみよう。」ということで、その店まで行き閉店を確認して別れた。
 もう少し明るい飲み会がいいんだけど。


2002年4月18日(木) TAXI経営>
 うちのホストファミリーはTAXIを所有してるのだが、燃費が悪いらしく、同期自動車整備隊員のえつやに電話で問い合わせることになった。
 俺は、日本語の説明でもよくわからなかったんだけど、彼いわくキャリブレ-ターに異状があるのでは?とのことだった。ホストマザーのエステルは理解したようだ。彼女は、最近、運転を覚え始めたばかりなのに、車の内部のことについてよく知ってる。やっぱ、こっちの人は基本的に自分で治すというスタイルなのか、そういうのが詳しいのかもしれない?俺だったら、自動車修理工場に持っていっておしまいだけどね。

 ちなみに、TAXI経営は、こちらではなかなかいいビジネスらしい。聞くところによると、オーナーは運転手から1日あたり約300コルトバ(約3,000円)ほど徴集してるらしい。ということは、月あたり約9万円の収入となる。まあ、ガソリン代など必要経費を除いても結構な利益になるのではないか。車は中古で30万円ほどで手に入る。ブルーフィールズの実力者は、だいたいTAXIを所有してるらしい。ただ、組合があって、なかなか新規参入はできないようだ。


2002年4月17日(水) ワールドカップのテレビ放送は?
 テレビのチャンネルを変えてたら、日本で行われたサッカー試合「日本-コスタリカ」がやってた。結果はもう知ってるんだけど、結構リキ入れて応援してしまった。ワールドカップは生放送されるのかな?しかし、仮に日本で18:00キックオフだとしても、こちらは深夜の3:00だ。どうなることやら。


2002年4月16日(火) 誕生会
 誕生日会に出るべくグリセルダの家に行った。グリセルダんちには、弟やらいとこやら子供がいるが、訪れると玄関まで出迎えて手をつないできた。なんとも素朴でいい。また、グリセルダのいとこのビアンカはだいぶ愛らしい。
 まだ準備に時間
がかかるようなので、子供達にせがまれ、ポケモンキャラの絵などを書いてあげた。残念ながら、こっちの子供はキン肉マンやらドラえもんを知らないので、それらの絵を披露することができず、時折もどかしさを感じる。
 皆でビゴロン(キャベツ、トマトのサラダの上に蒸したユッカ(芋)、豚肉などをのせた料理)をつくった。ただ、今回は宗教上鶏肉を使用。それから、作っている途中、グリセルダが誕生日を迎えた男性にいきなり生卵をぶつけたのには驚いた。よくわからんけど、こっちでは時々そういうのがあるらしい。(お決まりではない)うわあ、グリセルダには誕生日は教えないでおこうと思ったけど、ちょうど昨日誕生日の話をしたばかりだった。
 ケーキもろうそくもなくビゴロンのみの誕生会だが、食べる前にお祈りをささげるシンプルででいい誕生会だった。


2002年4月15日(月) スペイン語要勉強
 テレビみてたら、家族が「誰か尋ねてきたよ」と呼んでくれた。友達のグリセルダとアラセリだった。引っ越してから、まだきちんと家教えてなかったんだけど、よくみつけてくれたもんだ。
 明日、友達の誕生日でサプライズパーティーをやるから来てとのこと。
 この2人は、結構、2人でべらべらしゃべってるのだが、大半よくわかんない。そのことをこぼすと、グリセルダいわく「これだけスペイン語話せるようになったんだから、日本に帰ったらすごいじゃん。」う〜ん、いまいちよくわからん。 


 夜はケーブルテレビで「Autumn in New York」がやってた。しかし、恋人のどちらかが死んじゃうっていう設定は反則な気がする。よくこういう設定が使われる映画が多いけど、だいたい泣きかけになってしまう。


2002年4月14日(日) 野茂
  トイレに入ってたら、家族が「Hiro!」と呼んで来るのでテレビの部屋に行ってみた。メジャーリーグがやってて野茂が投げてた。野茂は、ニカラグァですら結構知られている。もちろんイチローも。ときたま彼等は新聞のスポーツ欄に写真が載ってる。やっぱアメリカで活躍すると、その他の国でも有名になってしまうところがすごい。アメリカ発の電波、ニュースは世界をかけめぐってることを実感する。

 歌だってそうだよね。英語の歌は世界中に知れ渡るもんね。エンリケ・イグレシアスもこちらではスペイン語の歌を聞きなじんでるが、日本では「HEROE」が「HERO」と英語で歌われてるらしいし。


2002年4月13日(土) 牛肉
 肉じゃがをつくったのだが、こちらにはバラ肉みたなものが売ってないので、ちょっとしっくりこない。牛肉のいろんな部位を買ってるんだけど、「あっ、おいしい」というところにありついていないこの頃。


2002年4月12日(金) 任国外研修
 青年海外協力隊隊員は、任期2年間中は、国外移動は禁止されている。ただ、例外として3週間の任国外研修というのが認められている。(ニカラグァ隊員は、中米数カ国移動可能)今はその申請をすべく、訓練所時代のクラスメイトと日程調整中。一応、パナマ・コスタリカ・ドミニカ共和国と訪れる予定。
 おそらく、どの国もニカラグァよりは栄えているといわれるが、だんだん訪れるのが楽しみになってきた。といっても実際に訪問するのは3ヵ月後だけどね。なぜ、今から気をもんでるかというと、JICAには訪問2ヶ月前に申請しないといけないから。なかなかめんどくさいのだ。


2002年4月11日(木) 3連発
 ステイ先の次女フランチェスカ(9歳)とテレビをみてたら、いきなり彼女がおならをかました。彼女は、けっこう色白でかわいらしい部類の子供なのだが、ちょっとびっくりした。さらに、それにとどまるどころか、結局、3連発。
 我が人生のなかで、20代の女性のおならに2度ほど境遇したことがあるが、3連発ははじめての経験である。
 彼女は、ときたまおならをこくことといい、玉ねぎが嫌いなことといい、俺と結構共通点があるのかもしれない。


2002年4月10日(水) 活動状況
 最近の仕事だが、先般、実施した顧客のアンケート結果を集計、分析などをしている。この街には、メスチーソ、それに続いて黒人も多いのだが、顧客(小規模企業家)はメスチーソが80%以上を占める。また、女性が65%と男性を上回る。さらに、業種別では、商業、サービス業が合わせて90%以上を占め、第一次産業が極めて少ない。
 
 ただ、現在は、融資を拡大すべく、援助金を各国機関に申請中だが、進捗しておらず、ほぼ現状顧客対応ぐらいしかできていない。また、NGOのキャッシュフローの点検などをしようとしているのだが、経理部からデータがなかなかでてこない。


2002年4月9日(水) 肉について
 今日、何気に街を歩いてたら、肉屋さんで豚足を売ってた。「へー、めずらしいなあ。」などとみてたら、隣には、豚のしっぽの部分まで焼かれて売られてた。約500gで30コルトバ(300円)ほどらしい。ちょっと味見させてもらったら、なかなか美味しい。ハムのような感じだ。こんど、買ってみよー。ただ、しっぽが、なんともいいがたい物悲しさというか、オブジェというか、そういうものを感じる。
 
 ちなみに、ブルーフィールズ市では、牛と豚は商用のために、ある程度の規模(多いところで200頭前後)で飼われているが、鶏は個人でしか飼っていないらしい。よって、牛、豚は、よく肉屋の前でつりさげられたり、解体されているところをみかけるのに対して、解体されているところはみかけない。ほとんどTip-Topという鶏肉チェーンの鶏肉が流通してるとのこと。鶏肉は、肉屋というより、小売屋、雑貨家で売られている。


2002年4月8日(月) 「キン肉マン」の絵
 タイ人の友達から手紙をもらった。彼女は、MBAをとった後、働きながら法律を勉強してるらしく、忙しい毎日を送ってるよう。しかし、何よりうれしかったのは、手紙の最後に「キン肉マン」の絵が書かれてたこと。これは別に俺が強要したわけではない。彼女自らの意思で書いたのである。

 俺も、結構、「キン肉マン」に出てくる超人の絵は書くことができ、小学校では、授業中もよくデッサンしてた。マッスルドッキング(キン肉マンとキン肉マングレート(注)との合体技。キン肉バスターとキン肉ドライバーを合わせたもの。バッファローマンいわく「それぞれの技の2倍、いや10倍のダメージがかかる」とのこと。  注:正体は、当初、カメハメ。カメハメ死後は、テリーマン)を書き上げたときは結構感動だった。


2002年4月7日(日) ひっこし
 今日、ホスペダヘ(安ホテル)から引っ越した。帰国したむっちゃんが住んでた家にである。いわゆるホームステイ。また、新たな生活で、少しづつ慣れていきたいと思う。


2002年4月6日(土) よい週末を
 今日は、職場から帰ってきたら爆睡してしまった。まあ、なんとか友達との約束の時間には起きて、教会に行った。俺はキリスト教信者ではないが、集会の後に、皆で「よい週末を」と言いながら握手するのは、非常にほほえましい。


2002年4月5日(金) あしたも出勤なのに
 今日は、エアロビの友達のカロリーナ達と飲みにいき、さらにディスコに行く。彼女の友達は、以前、LAに居たらしく、ずいぶんリトル東京は整然としていたと言ってた。結局、2時近くまで一緒にいた。土曜出勤がつらい今日この頃。


2002年4月4日(木) むっちゃん去る
 むっちゃんがブルーフィールズを去る日が来た。
 俺が一足先に空港に着いた後、彼女も、家族と一緒に現れた。また同僚、日本人友達も見送りに来る。彼女は、ほんとに家族と親しい関係だったので、見送りにきたおばあちゃん、夫婦の目にも涙が浮かぶ。もちろん彼女の目にも・・・。
 写真撮影などをしたり、歓談したり、別れを惜しんだが、とうとう搭乗手続きを済ませ、飛行機に乗り込む。ブルーフィールズから飛び立つときは、街を見渡しながら飛ぶルートと1直線にジャングルというか森の上を飛ぶルートがあるが、運良く前者のルートだったようだ。彼女は、最後に街を空から見納めることができる。皆で飛行機が見えなくなるまで、手を振り続けた。

 いつも人と別れるときは、あんまり実感が沸かないのだが、徐々にその現実を知るようになるだろう。


2002年4月3日(水) タイムカプセル
 今日、隊員みんなでタイムカプセルを埋めた。タイムカプセルには、各自思い出のものを詰めるということで、俺は、将来、ブルーフィールズに来るかも知れない自分宛てに書いた手紙を2通(2001年7月、2002年3月)入れた。タイムカプセルを埋めた場所は、むっちゃん家の裏、いつか誰かが掘り起こしにくるまで、無事であるとよいのだが・・・。結構、大作業のように思えたが、むっちゃんちのパパに手伝ってもらったので、思ったより短時間で終了。今、思うと、もっといろいろ入れてもよかったかなとも思う。


2002年4月2日(火) 新規隊員調査
 今日は、日本から隊員OBの流さんが、青年海外協力隊協会職員として、新規隊員調査のため、日本から出張してこられた。彼女は、市役所と家族省とブリーフィングをしたようだ。
 協力隊隊員は、現地の組織の要請に基づいて行われるが、現在、市役所2名、家族省1名を要請中とのこと。俺がこちらにいる間に、その要請隊員が来るかな?多分、無理だろうな。日本に正式に要請されてからも、半年から1年以上かかるんだから。


2002年4月1日(月) 亀知識増加
 ひさしぶりにエアロビに行く。今日は、休み明けのため生徒も6名と少ない、ちょっと広々としたなかで汗を流す。
 
 夜は、コスタリカの青年海外協力隊員が来てたので、一緒に食事をとる。彼は、環境教育、特に亀の生態について指導しているらしい。よって、だいぶ亀の話が話題となる。彼がブルーフィールズに来た目的は、亀肉販売、屠殺場の見学及び亀肉食事だったらしい。ただ、3月〜6月くらいは禁猟期らしく、相当残念がっていた。
 ちなみに、鼈甲製品などにつかわれる亀は「カレイ」という種類で、食用は「ベルデ」というものらしい。ちょっと亀について詳しくなった日だった。