再び戻ることができたニカラグァ。これからは、よりポジティブにこの国で生きていきたいと思う。ほんの少しの好奇心を大切にしながら、貪欲にこの国で時間を過ごしていきたい。

 2002年3月〜
 2002年2月〜
 2002年1月〜   
 2001年12月〜


2002年3月31日(日) ガジョピント(赤飯もどき)が美味しい?
 今日は、疲れを癒すべくよく寝た。まだホスペダヘ(安ホテル)生活のため、外にご飯を食べにいくのも面倒だった。それに、店が開いてるかわからないし、結局、夕方までお菓子一つで過ごす。
 夕方、はじめての食堂に入ってみる。ガジョピント(ニカラグァ版赤飯)がなかなか美味しかった。最近、あまり白いご飯を食べてないせいか、ガジョピントも美味しいと感じるようになってきた。


2002年3月30日(土) 久しぶりのディスコ
 マナグアからブルーフィールズに戻る。今日は、ニカラグァの楽園コーン島に行く旅行客も多く、いつもより国内線は込み気味。
 
 夜、久しぶりにディスコに行く。何人かで行ったのだが、踊るパートナーは現地で見つけようとのむっちゃんの提案。はっきり言って女性にはすぐに男性からのお誘いが来るのだが、男性は無論自ら誘わないといけない。いくらか撃沈をくらいながら、ニカラグァ女性を誘ってみる。そしたら、その最中にむっちゃんが現れる。「なんだ、君は、通訳でもしに来たのか!?」と思い、かつ、ニカ女性からも「何、この子は?連れ?姉?」などと聞かれる。むっちゃんとしては、帰る時間を確認しにきたらしい。「もう、タイミングを考えてくれよ」とか思ったが、一応、しばらくその女性と踊り、体面を保つ。


2002年3月29日(金) 広場
 今日は、先輩隊員のあーち(青少年活動)とマナグアの広場に行く。ここには、何千人、何万人と集まることができ、政治集会なども行われる。舞台中央に立って、皆にわからない程度に、元大統領ダニエル・オルテガの真似をしてみた。また、観光客の姿もみえた。 


2002年3月28日(木) 閑散とした街
 今日は、予想通り筋肉痛。とくに足が痛い。先輩隊員たけさん(合気道)にマッサージをしてもらう。いろんな技能を持った人が協力隊にはいるので、こういうときは非常に素晴らしい。「ずいぶん身体固いね。」と言われてしまった。
 
 昼から、街に出掛けるが、閑散としてる。車が以上に少ない。また、大抵の店やレストランも閉まっている。これがセマナサンタ(聖週間)ということらしい。ちなみに銀行も閉まってる。ニカラグァ人にとっては、セマナサンタはPlaya(浜辺)で過ごすというのが通例なのだ。この季節、旅行者にとっては、あまり面白くないだろう。そういえば、アメリカのクリスマスも同じような感じだな。


2002年3月27日(水) タクシーの窓閉められた
 友人達と別れ、俺一人オメテペ島でもう少し滞在しようと思ってた。しかし、セマナサンタ(聖週間)のため、木金は、バスも船も欠航という宿の人の話。さすがにあと3泊は長いかなということで、今日、マナグアに戻ることにした。
 
 まずまず問題なく帰れた。ちょっとした出来事といえば、タクシーに乗ってたとき、運転手がいきなり後ろの窓を閉めたこと。「暑いやん。」と言うと、「今、警察がいたから」との答え。我々6人の乗客だったんだけど、一応、ニカラグァでもタクシーの乗客は4人までになってるらしい。こんなのはよくある話だけど、今は、セマナサンタのため、たくさんの警察が見回りしており、運ちゃんも警戒したのかな。でも、前に2人で座ってるから、それでばればれのような気がしたけどね。


2002年3月26日(火) マデェラ山登山
 朝8時より登山開始。しばらくは、まずまずのペースで登るが、その後、登山道が土と石から泥と石に変わる。そういえば、昨日、宿で山登りから帰ってきたニュージーランド人スティーブンが泥んこだったのを思い出した。そのとき、「なんでそんなに泥んこなの?こけたん?道まちがえた?」って質問したら、「いや、君らもこれは避けられないだろう」と言ってた。なるほど、やっと意味がわかったよ。
 
 途中、おやつのバナナなどを食べながら休憩し、せっせと登っていった。もう、すでに靴の中はぐしゃぐしゃ、服とズボンはどろどろ。だいぶ、この山登りをなめていたようだ。靴は、登山靴ではなく、いつものニューバランスのジョギングシューズ。やたらとすべる。
 
 登り始めて約5時間後ゴールのラグーナ(湖)がみえる。ただ最後に90度かと思うほどの崖をロープで下りなければいけない。我々の前にドイツ人の女の子が降りていたんだが、そうとう怖いようで、ドイツ語で叫んでたのを推量すると「もう嫌、私降りない、戻る」などと言ってた。彼女は泣きながら戻ってきた、ゴール目前にして。俺も結構な怖がり屋さんだが、待つのは嫌だったので、我々6人中2番目を志願し、執念で下りた。
 
 やっと湖到着。けしてきれいではないが、泳いだりしてはしゃいでみた。しかし、30分もしないうちに、無情にも下山に向けて出発。結局、真っ暗になる19時ちかくまでかかり下山する。下山時はしんがりをつとめたため(というか、つとめざるをえなかった。)、ガイドのチコと2人で満月を見ながら、必死に歩いた。
 だいぶハードだったが、まあ、充実感もある登山だった。


2002年3月25日(月) オメテペ島へ
 今日は、ニカラグァ湖に浮かぶ島、オメテペ島に行く。
 オメテペ島へは、首都マナグアからバスで2時間、フェリーで1時間かかる。さらに、オメテペ島内で1時間トラックに乗り、ようやく宿に到着したのは夕方だった。
 ニカラグァ湖岸のビーチにはセマナサンタ(聖週間)前で、多くの観光客でにぎわっていた。ニカラグァ湖は、海のようで、場所によっては向こう岸も見えない。琵琶湖の1.3倍くらいあるらしい。島内は、トラックの荷台に乗って、移動したんだけど、道行く人々が手を振ってくれ、ずいぶん気さくでうれしかった。それから、多くの牛、馬をみかけた。相当飼われてるんだろう。しばらく進み、明日、登山する「マデェラ山」がみえてくる。ずいぶん緑が多い山だ。ただ、そばからみると「ほんとに登れるんやろか」と思った。
 明日は、早起きして、山登り。


2002年3月24日(日) 遊園地へ行く
 今日は、「Hertylandia」という遊園地に行った。(一応、隊員の福利厚生旅行という名目)
 はじめて行ったけど、敷地は広く(面積50mz.)、ウォータースライディング付きプール(水深1.5mt)、ゴーカート、水上カート、観覧トレイン、魚のいるレストラン、インディアンショーなどがある。ゴーカードはなかなかスピードが出たし、水上カートも面白かった。しかも、この遊園地がある街は非常に涼しく、過ごしやすかった。「なんだ、こんないいところがあるんだ。」というのが印象。


2002年3月23日(土) またマナグア
 今日は、また首都マナグアに行く。先輩隊員(11年度3次隊)の送別会があった。
 場がはじまり、まだサラダしか出てきていないのに、もう歌の出し物。「贈る言葉」を歌う。はじまって10分で既に悲しみモード。まあ、一応、場は持ち直した。ただ、同じ街の隊員のスピーチの際には、やはり涙が出そうになったので、コーラを飲んでごまかした。
 
 昼は、映画をみてきた。フランス映画「Amelie」、フランス語で流れ、スペイン語字幕。これは思ったよりもきつかった。映画としては、一人の女の子の日常と恋をしてから成就するまでという流れ。ほのぼのしてて、また、背景、画像もかわいかった。


2002年3月22日(金) セマナサンタ前の金曜日
 今日、銀行に行ったら、結構込み合ってた。来週から、セマナサンタ(聖週間)のため、みんなお金が必要なんだろうね。聖週間に向けての金曜日のため、結構、街がざわめいてるって感じ、きっと各家、ディスコなどでパーティーなどが行われてることだろう。
 俺も、同じ街隊員むっちゃんの送別会のため、ビール一箱買って、彼女の家に行った。所属先の皆々、他日本人なども集まってのパーティーを行った。こちらのパーティーは挨拶などが行われず、何気なく始まる。用意しておいた食事もなかなか手がつけられないので、俺自ら手をつけることによって、強引に食事タイムにもっていった。だって、お腹減ってたし。


2002年3月21日(木) 寝過ごし
 目が覚めたら、2時半だった。まだ深夜かと思い、もう1回寝ようと思ったら、実は昼寝中。慌ててシャワーを浴びる。まあ、ホテルに住んでると、シャワーがすぐに浴びれるのが利点といえば、利点。しかも、まあまあきれいな水だし。


2002年3月20日(水) 炭火焼へのおもい
 今日は、海老の炭火焼を食べに行く。店主は、「ここでは海老やら鳥やらを炭火焼にする習慣はあまりないが、ぜひはやらしたい。」と熱く語っていた「Proyecto」という言葉まで使ってた。俺としては、とりあえず昼飯の値段(今、450円くらい)を安くしてくれよと思った。


2002年3月19日(火) スペインからメール
 今日は、スペイン人の友達Marからメールが来た。彼女とは、昔、アメリカの英語学校でクラスメイトだったんだけど、今は、スペイン語でもメールのやりとりができるというのが不思議な感じでもある。彼女と会ったら、スペイン語の会話ができるとしたら楽しみ。でも、英語でも相当早口だったので、母語であるスペイン語だったら更にスピードが加速することも考慮しないといけない。
 偶然にも彼女は、つい最近まで隣国ホンデュラスでcooperanteとしてNGOで働いてたらしい。それを知ってたらお互い会えてたかもしれなかったんだけどね。


2002年3月18日(月) 鳥炭火焼
 昨日のサッカーの疲れがだいぶ身体に残ってる。結構きついものがある。
 夜は、順ちゃんと鳥の炭火焼を食べに行く。この店は、昼は45コルトバ(約450円)なのに、夜は30コルトバ(約300円)という値段設定。待たされること約1時間だったけど、焼きたてのおいしいのがでてきた。明日は、海老があるらしいから、また、その店に行くかもしれない。


2002年3月17日(日) 散策とロンドン
 
朝、友人カルロスと卓球をする予定だったのが、何がどうなったか、カルロスの大学の友人達と一緒に散策をすることになった。合計20人ほどの団体になった。ニカラグァの大学は、だいたい3月から始まるので、ちょっとした合同遠足っぽい雰囲気もあり。「どこから来たの?」「専攻は何?」「どこに住んでるの?」など日本のサークル合宿を思い出すものがある。
 最初、サッカーをした。随分、久しぶりだったので、相当きつかった。まあ、サッカーというよりフットサルかな。まあ、最後に強烈なswaveシュートを決めることができたので、少し満足できた。
 あとは、皆で日向ぼっこをしたり、談笑したり、昼飯を食べたりした。
 
 夜は、グリセルダが家に招待してくれ、ニカラグァ料理「ロンドン」をごちそうしてくれた。「ロンドン」は芋、とうもろこし、牛肉などを煮た料理。俺は、あんまりニカラグァ料理を食べないんだけど、お腹減ってたのと、招待されたために、全部平らげた。「箸はないけど大丈夫?」とか言われた。「当たり前じゃん」という感じだが、まあ適当に答え、今度は「タジャリン(ニカラグァ版ラーメン)」を皆で箸で食べることになった。
 それから、グリセルダから「私達、彼氏がいるんだけど、こうやってHiroと会ってても、私達の彼氏は怒らないよね?」と聞かれた。「知るか」って感じだが、「怒らないんじゃない。」と答えると「そうよねー。」とか言ってた。俺は、日本でも外国でも彼氏がいる女の人と友達になるケースが多いのかもしれない。グリセルダのお母さんからは、グリセルダの妹(8歳くらい)を紹介された。  


2002年3月16日(土) 教会で紹介 
 
むっちゃんの配属先の家族省及び保育園がバザーをしたので、ちょっと覗きに行き、昼飯にスープを食べた。彼女が日本から送ってもらったも服、その他日本の文房具なども大半は、もう売り切れていた。場所も街の中心とよかっただけに、大盛況だった。

 夕方は、また教会に行った。友人のグリセルダが進行係をしていた。途中で2回も俺の紹介をされてしまい、驚いた。なんか三浦綾子「氷点」で院長がはじめて教会を訪れたシーンを思い出した。終わってからは、場所を友人のアラセリ宅に移し、談笑した。いろいろと日本に興味がある人が居たので、まあ質問に答えたりもした。中国では「蛙を食べる」と言ったら、「信じられない」というような反応をしてた。俺は食べたことあるしね、一応「鳥肉のような味」と言っておいたけど。あと、思ったより、「ワールドカップ」が日本と韓国で行われるということを認知してるのには、ちょっと驚いた。


2002年3月15日(金) ORD 
 今日は、NGO「ORD」を訪問した。このNGOには、何か力になれないかと、ときたま訪問する。身体に障害がある人が運営しており、対象も主に障害者の方々としている。また、学費が払えない子供達の学校も運営している。午前中に訪れて、授業風景をみたかったのだが、あいにく教師の研修のために休校だったのが残念だった。
 
 夕方は、久しぶりにエアロビに行った。もう、随分、生徒の面子が変わっており、俺も古株のようになってきた。今週、マナグアで体重を計ったら、3kg減という成果があったので、このまま続けていきたいと思う。


2002年3月14日(木) ブルーフィールズに戻る
 今日は、昼すぎの飛行機でブルーフィールズに帰る。16日にむっちゃんがバザーをするというので、文房具やらノートやらを山ほど持って帰った。
 (*バザーで、いろんなものを売ることによって、その売却金で所属先の必要なもの購入資金にあてることができる。)
 
 晩は、久しぶりにカジェメシ(一般食堂での食事)を食べた。今は、ブルーフィールズでもホスペダヘ(安ホテル)生活なので、何よりも食事を外でしなければいけないのがつらい。


2002年3月13日(水) マナグアでの一日
 午前中は、スーパーに行った。マナグアのスーパーでは多くの種類のものが売ってるのでうらやましい。野菜にしても、ブルーフィールズでは売ってない、大根、もやし、レタスなども店頭に並べてある。また、肉も日本のようにサランラップのようなものにかけて売ってある。
 
 午後は、血液検査の結果をもらい診断を受ける。見事クリア。約10日間の禁酒生活が実を結んだというものだ。その後、映画をみて帰る。今回のマナグア滞在では、ちょっと都会的なことをしたかったので、1本映画がみれてよかった。


2002年3月12日(火) 活動見学
 今日は、同期のぼんさん(公衆衛生)の活動をみに、マサヤ市に行った。彼は、「あんまり活動らしい
ことしてねえよ。」と言ってたのに、今日は、忙しい一日だった。

 まず、午前中、彼は、同僚と「ごみ収集関連の環境プロジェクト」の打合せを行っていた。午後は、6月5日の「環境の日」に合わせ、海外ボランティアで学生達を対象に何かかしらのキャンペーンをやろうという打合せに参加した。日本、米国、イギリス、ドイツのボランティアという多彩の顔ぶれ。環境に対するエッセイやシンボルマークのコンテスト及び各テーマ(空気、水、食料、エネルギー、ごみなど)毎の発表などを行ってみてはどうかなどの意見がでた。今後、教育省などと調整をすすめていくらしい。さらに、その会議の後も市役所で環境プロジェクトについての打合せがあった。

 彼からしてみれば、なかなかプロジェクトは進まないらしいが、俺としてはいやいやすごいよと思ったよ。


2002年3月11日(月) 美味しかった韓国料理
 朝一の飛行機でマナグアに飛んだ。キャンセル待ちだったので、朝から空港に行って待った。結果として、乗れてよかった。飛行中は、相変わらず読書。
 マナグアでは、JICA事務所に各種書類を提出し、午後からは、血液再検査のため、クリニックに行った。検査結果は後日にでるため、10分程度で終わり、その後は、お気に入りの喫茶店で休憩する。ついでに、人間ウォッチング。
 夜は、同期のでっちゃん(自動車整備)が隊員連絡所に来てたので、一緒にメシに行く。俺は、今日は、だいぶ外食モードに入ってたので、新しくできた韓国レストランに行く。ちょっと高いけど、結構頼み、随分食べた。ブルコギも美味しかったけど、とうふ、そして最後の野菜の天ぷらも美味しかった。また、給仕してくれたアンナがニカラグァ人とは思えない気の聞いたサービスをしてくれた。なかなか気持ちよく食事ができてよかった。


2002年3月10日(日) 新たな感じで
 今日は、朝からいろいろ動いたのと、今までの心労からか、ちょっと疲れがでた。まあ、しばらく横になって、夜は、同じ街の隊員全員で食事に行った。
 なんか、また新たな生活が始まるって気がする。


2002年3月9日(土) ぼーっと
 来週、月曜日から首都マナグアに上がるので、あんまり仕事に集中できず、マナグアモードだった。
 なんとなくぼーっと風景を眺めてた。あいからず子供達がけんかしたり、走り回ったりしてた。


2002年3月8日(金) とってもうれしいこと
 今日は、日本から国際電話があり、とってもうれしいことがあった。


2002年3月7日(木) De me lo攻撃
 何気なくケーブルテレビをみてたら、ジャッキーチェンの映画がやってて魅入ってしまった。相変わらずすごいアクションだった。ほんとにやってんのかと思う場面もあったけど、やってるみたいだ。「酔拳」などの頃が懐かしいが、いやはやすごいなと思う。
 
 最近、子供達によく俺の持ち物の説明をしてやる(というか、させられてる)のだが、今日は、「ごきぶりホイホイ」「ウエットティッシュ」「ふりかけ」などに興味を持ってきた。彼らの興味は尽きることないが、「De me lo」(これちょうだい)攻撃は止めて欲しい。


2002年3月6日(水) 心地よい疲れ
 エアロビに行ったんだけど、新しいバージョンで、なかなか疲れた。最近は、他の隊員もあまり来なくなり、唯一の日本人、更に唯一の男性参加者となってきてる。
 だいぶ疲れたのか爆睡してしまった。


2002年3月5日(火) ちょっといいこと
 今日は、ちょっといいことがあった。いつもの道を歩いてると、学校帰りの女子中学生から「チーノ」という言葉が聞こえてきた。「またかよー。」とか思いながら歩いていると、「Este chino es guapo.(意訳:この中国系の人かっこいいね。)」と俺に向かって女の子同士で話してるのが聞こえてきた。
 さらに、電気代を払いにいったら、そこでも女子中学生が、「ブルーフィールズの人ですか?どこで私達のようなスペイン語を勉強したんですか?」などと話し掛けてきた。
 なんか、今日は、珍しく女の子から好評の日だった。


2002年3月4日(月) カレーご馳走
 今日は、友達にカレーをごちそうした。ニカラグァ人にもカレーは好評ということを聞いていたので、何にするか迷ったけどカレーにした。
 一応、残さず食べてくれ、なおかつ「美味しい」と言ってた。まあ、「美味しい」はともかくとして、食べられないことはなかったのだろう。
 しかし、当初、俺自ら誰かに料理をご馳走するなんて、考えてもいなかったが、実現できて、少し自己満足気分である。本来の俺であれば、「ご馳走になる」が基本ベースなのだから。
 また、彼女達は、宗教上、豚、海老、亀などは食べないそうなので、チキンカレーにしておいて良かった。豚肉を使ってたら、一人で全部食わなきゃいけないところだった。


2002年3月3日(日) Escapo de muchos chavalitos
 日曜日ということで、のんびりと昼飯を作った。けっこう美味しくできて満足してたら、また子供が遊びに来た。この子は、このところ毎日家に来る。さらに、今日は、たくさんの子供が来てしまった。まあ、いろんなモノの説明をしてあげたり、パソコンを触らしてあげたりした。ただ徐々に、疲れてきたし、子供達がハチャメチャなこともし始めたので、予定より早く出掛けることとした。俺は、めっぽう子供には甘いので、ほんと誰か叱ってくれる人が必要。
 
 今日は、自治政府の選挙の日だったんだけど、比較的穏やかだった。さして混乱もないのかな。ちなみにサンディニスタのスローガンが、「Autonomia verdadera!(真の自治!)」さあ、結果はどうなることやら。自治政府は、あんまり権力がないらしい。
 
 また、アイスクリームを食べに行き、それから、ホスペダヘ(安ホテル)に行った。ホスペダヘでは、米国で成功したブルーフィールズ人が長期滞在してるようで、その人とうだうだ話してた。


2002年3月2日(土) 教会 
 今日は
、近所のグリセルダ、アラセリと教会に行った。てっきり近くの教会かと思ったら、えらく遠いところだった。彼女達は、毎週来てるらしいからよほど思い入れがあるのだろう。話の内容は、「男女の付き合い方」で内容理解はし易かった。ただ、彼女達からあとから質問されるだろうと思うと適当に聞くわけにもいかず、ちゃんと聞いた。


2002年3月1日(金) 週末 
 今日は、週末なので飲みに行った。といっても俺の職場は土曜も午前出勤なんだけど。
 
 またレイムンド、それから、最近知り合いになったルーディンと出掛けたのだが、また4軒はしごした。ニカラグァ人ははしご好きなのかも。1軒目から結構飲んだので随分疲れた。

 ルーディンは、普段、米国客船で働いており、今は、数ヶ月の航海を終えて一時休暇中とのこと。また、5月から船に乗るらしい。この前は、マイアミからアラスカ・ハワイなどに行ったらしい。ただ、「外で遊べたのか」と聞くと、「短時間しか上陸できないし、それより睡眠をとりたかった。」と言ってた。結構、時間的にも仕事的にもハードらしい。ただ、いい金になるらしく、ブルーフィールズからも出稼ぎで船で働く人は多い。


2002年2月28日(木) 図書室のある事務所 
 もう2月も終わり。天候的には一番大好きだった月なのに、異様に波乱だった。
 
 午後は、新カウンターパートMarkの事務所CIDCAに行き、打ち合わせをした。彼の事務所には図書室があるのには驚いた。大学教師や生徒が随分利用しているようで、結構、訪問者が居た。

 夕方は、久しぶりにアイスクリームを食べに行った。


2002年2月27日(水) お腹一杯 
 夕飯に親子丼をつくった。家の近くにいい鶏肉を売ってる店があるので、鶏肉料理を作ることが多い。相変わらず美味しく、腹いっぱいになるまで食べて、寝た。


2002年2月26日(火) 5軒はしご 
 夕方、最近知り合いになったレイムンドが職場に飲みに誘いに来たので、出かけた。彼は、米国留学の経験もあるので、英語も堪能で、今は、コンピューターのメンテなどの仕事をしてる。
 彼もまあ話し好きで、ずーっと飲んでたのだが、結局5軒もはしごすることになった。なぜ火曜日に5軒も行かなきゃいけないのかよくわからないけど、彼は俺にいろいろ紹介したかったということにしよう。また、金曜日も遊びに行くことにした。
 いろいろと困った状態なので、よい気分転換になればいい。


2002年2月25日(月) ダニエル・オルテガ 
 3月3日にニカラグァ南大西洋自治政府の選挙があるのだが、今日は、サンディニスタの党首、元大統領ダニエル・オルテガが応援にブルーフィールズへやってきた。

 エアロビ終了後に、集合場所である公園に行ってみた。だいたい予定時間より遅くやってくるものなので、まだ来てないだろうなと思ったのだが、舞台の真ん中に一人椅子に座っていた。まさしく、あのダニエル・オルテガだった。一緒に行った芝っちに誘われるまま、舞台前に行き、とうとう彼と3mほどの距離に近づくことができた。まさしく、テレビで見ている彼であり、こちらの先入観からかもしれないが、威厳を感じた。

 立候補者の演説の合間を縫って子供達とダニエルとの写真撮影も行われていた。親、家族、またその子供にとって一生の思い出になるのだろう。また、聴衆の服装は、大人だけでなく子供達も頭にサンディニスタ(FSLN)のはちまきを巻き、さらにTシャツを着てる子も多かった。女の子の赤と黒のバンナダはかわいかった。

 いよいよダニエルの応援演説。まわりは、もちろんダニエルコールの大合唱。大観衆のなか、彼はゆっくりと語り始めた。少々長く感じたが、おそらく聴衆は満足したのだろう。最後に、高々と二本の指を掲げた。あの「2(ドス)」のサインである。
  
 舞台にあがって、彼と一緒に写真を撮ってもらうことは立場がら自粛したものの、有意義な時間だった。


2002年2月24日(日) 牛が走ってく 
 今日は、洗濯して掃除したというような1日だった。
 夜、牛が4匹ほど家の前を走っていったのには驚いた。こんな夜に牛はどこに行ったのだろう?


2002年2月23日(土) なかなか充実の土曜日 
 今日は、土曜日にもかかわらず1時すぎまで会議が続き、それから帰宅。

 帰ってからは、また子供達が遊びにきたので、ダンス(もどき)をしたり、日本語を教えてあげたりする。ついでに水運びも手伝ってくれる。ただ、自分でやったほうが早いんだけどね。いつも水をもらってる家で、またおしゃべり。彼女達は、明るくてかわいいのだけど、今度教会に行こうよというお誘いがあり。実現するかどうかは別として、まあいいことだ。

 夕方は、国立工業技術学校(INATEC)の卒業式があったので、出席した。非常におごそかで、ステージまで生徒は家族の一人とまるでバージンロードのように歩くのだが、涙ぐむお母さんの姿などもあり、苦労して学校を卒業させたという雰囲気が伝わってきた。


2002年2月22日(金) いつも心に太陽を 
 今日は、隊員のむっちゃんが職場に励ましに来てくれた。足に湿疹がでてる状態なのに、どうもありがとう。
 
 エアロビを終え、家に帰ると子供達が遊びにきた。1人の子が縄跳びをもっていたので、俺のあやとび、更に二重とびという往年の大技を披露すると、相当魅了されたようだ。それから、子供達がどんどん増え、10人ほどとなり、ダンスもどきをしたり、クレオール語を真似したりなどして、遊んでた。子供達が次々と「これやってみて、これ言ってみて」と言ってきて、さらにダンスでは、我も我もと俺の股の下を通過したがり、大変だった。
 
 そういえば、大切なことを忘れていた。いつも心に太陽を描いて歩かなければいけないということを。


2002年2月21日(木) 溢れないテンション 
 昨夜から食欲が無く、力が湧かずという感じ。よって、睡眠を結構とった。


2002年2月20日(水) 壊れていくガラスの城 
 今日、悪夢のような出来事があった。積み上げてきたガラスの上の安穏とした生活が壊れてしまった。


2002年2月19日(火)  スリランカ>
 日本の友達から協力隊に合格したとのメールをもらった。希望の任国ではなかったものの、派遣されることとなれば素晴らしいことだと思う。ちなみに、派遣予定国はスリランカとのこと。
 今日は、パソコンのメンテをした。少しは動きが速くなったかな。ただ、以前よりフォントが3種類しか使えなくなっており、いまだに原因不明。あと、メールのバックアップをとった。


2002年2月18日(月)  思いがけないお誘い>
 今日は思いがけないお誘いがあった。黒人団体NGOのケンシーが「今日、ロベットの誕生な
の。」と言ってきたので、ケンシー、ロベットと3人で飲みに行くことにした。こちらの誕生日というと大勢で祝うイメージがあるんだけど、いまいちよくわからないお誘い。
 まあ、今まで彼女達と飲んだことがなかったので、いろいろ話せてよかった。太平洋側との違いや、こちらの教育事情などの真面目な話もした。また、男1人、女2人で歩くときは、男は真ん中に居てねとご指摘を頂いてしまった。


2002年2月17日(日)  豚さん>
 近所にでかい豚を飼ってる家があるので、おばさんと話してみたら、その豚は商用らしい。8日後に2000コルトバ(約2万円)で売る予定とのこと。今、2歳で小さい頃から育ててきたらしい。隊員でも生きてる豚をみて、「美味しそう」と言う子もいるが、俺はちょっとそういう目ではみれない。


2002年2月16日(土)  プンタマサヤ>
 友達とブルーフィールズ湾岸のプンタマサヤに軽い遠足に行った。空港の更に向こうにあるエリアなので、以前から気になってたところだ。行ってみたら、のんびりして非常に気持ちよかった。天気もよかったので、弁当でも持ってくればというところ。ごちゃごちゃしてなく、人々も素朴な感じだった。ここは、また来て見たい場所だね。


2002年2月15日(金)  近所付き合い>
 今日は、ちょっと飲みたい気分になり、雑貨屋でビールを買って飲んでた。椅子もないので立ち飲み。ただ、その雑貨屋のおばさんと世間話をしてた。いわゆる近所付き合い。きっかけはどうでもいいからいい近所付き合いをしないとね。それから、家の前で子供としゃべってた。


2002年2月14日(木)  うるさい音楽>
 最近、近所がものすごいでかい音で夜遅くまで音楽を流し続けてる。今は、夜10時半だが3件ほどから聞こえてくる。高さ1mほどのスピーカーで聞いてる家もある。一体、いつになったら終わるのだろうか?近所の子供は7時から8時には寝てるって言ってたけど、ちゃんと寝てるのかな?


2002年2月13日(水)  医務官来ブル>
 今日は、大使館勤務の井上医務官がブルーフィールズを訪問されたので、そのアテンドをした。ニカラグァ在住二年半とのことだが、カリブ海側へは初めてとのこと。
 案内先は
、いつもながらの場所なんだけど、太平洋側との違いなどの感想を伺い、新鮮な感じを受けた。さらに、ラッキーにも天気がよかったので、随分、気に入ってもらえたようだ。
 また、大使館の話や他滞在国(イエメン、マリ)などの興味深い話を聞かせていただいた。


2002年2月12日(火)  床屋>
 今日は、久しぶりに床屋に行った。床屋は、ニカラグァでは、結構いくつかの店が並んで建っている傾向にあるので、ひとつが込んでても隣に行くことが出来る。短めにしてもらった。値段は、普通にある庶民的な店だと20コルトバ(約200円)。ただ、髪の毛がTシャツのなかに入るので、終わったら、家に帰って水浴びしないと少々気持ち悪い。


2002年2月11日(月)  ふと先のことを>
 今日は、いろいろと仕事をしようと思ったが、集中力がなく、ちょっとインターネットをみてみた。最近、無性に東南アジアに行きたくなってきたので、その関連のサイトをのぞいた。この任期を終了したら、久しぶりにタイに行ってみようかなと思ってる。なつかしくなり、タイの友達に手紙を出した。


2002年2月10日(日)  コールバック電話>
 今日は、再赴任後初めて日本の実家に電話した。コールバック電話というのをつかってみた。通常の回線を使用するとニカラグァから日本は1分あたり400円以上はするが、このコールバック電話だとアメリカの回線を使用するので1分あたり60円程度(0.5米ドル)。申し込み時に5ドル分の無料通話サービスがあたるので、今回は、実際はただだった。
 ちょうど実家に皆が勢ぞろいしてたので、タイミングがよかった。父親が電話料金を気にしてたので、通話料金の説明をした。彼は、昔、フランスから日本へ電話して、4万円請求されたらしい。まあ、みんな元気でよかった。


2002年2月9日(土)  たくさんの子供>
 今日は、土曜日ということで、のんびりしてた。
 洗濯をし、料理をし、外にゆり椅子を出して座り本を読んでた。家の前は、風通しがよく本を読むにはなかなか気持ちがいい。読んだ本は、三浦綾子さんの「あのポプラの上が空」。周りには結構子供たちが住んでるので、いろいろと声もかけてくる。子供といえば、ニカラグァは、子供をやたらよくみかける。家族省の統計によると0歳〜25歳の人口の割合が半数以上を占めるらしい。ちなみに、近所のおばさんも孫が50人いるとか。


2002年2月8日(金)  魚と海老がありません>
 今日は、エアロビ中に汗かごみが目に入り、ハードコンタクト愛好家の俺にとっては、相当きつかった。
 夜は、久しぶりに飲みに行った。湾岸のレストランに行ったんだけど、「今日は、魚と海老がありません。」とのこと。「市場で買ってこいよ!!!」って感じ。まあ、ニカラグァではよくあることだけど。


2002年2月7日(木)  ちょっといらいら気味>
 今日は、職場で新部門「計画部」を設立すべく打ち合わせをした。最終的には、まあまあコンセンサスがとれた。当面のアクションアイテムを決定したので、うまく調整をとりながらこなしていきたい。
 最近は、ちょっといらいらしている状態でもあり、かつ、就寝時間も早くなってきている。さらに、長時間睡眠をとっているので夢をみることも多い。俺の場合、夢のほうが現実よりいい場合がほとんどなので、起きたときのショックがでかい。


2002年2月6日(水) パロ デ マヨ
 今日は、市役所に行って、ブルーフィールズのお祭りのときのビデオをみせてもらった。「パロ デ マヨ」というお祭りで、町中を各エリア毎に別れたグループが踊りまわるイベントもある。日本の阿波踊りなどと意義的には似てるかもしれない。踊りはかなり激しい。もともとは豊作などを祈ったとのことだけど、そうとう腰をくねくねして踊る。
 毎年、5月の第2週末か第2週末にある。昨年は、みることができなかったので、今年は、ぜひ観たい。参加できたら面白いんだけどね。


2002年2月5日(火) 小荷物到着したものの・・・ >
 母親から送ってもらった小荷物が届いた。しかし、受け取り手数料がなんと128コルトバ(約1280円)、郵便局のお姉さんに高いと粘ってみたものの、彼女にはなんの権限もない。もう、書類に記載されているのだから、ネゴもできない。だって払わないと受け取れないし。さらに、身分証明書を忘れたので、もう1回取りに帰された。

 しかも、引渡書の項目をみてみると、70コルトバは、”報酬”ということ。「なんの報酬やねん」って感じ。ちなみに、昨日、同じくらいの重さ(約2kg)の小荷物を受け取った芝っちの手数料は10コルトバ(約100円)。どうやって計算してるのか一回教えてもらいたい。今度は、宛先に、「ニカラグァ大使館勤務者」などと記載してもららおうかとも思う。

 一応今回の送付物のメインは、年賀状。楽しみにしてみたら、約7割が結婚したやら子供が生まれたというお知らせ、しかも、予想外の子まで結婚していた。ちょっときれかけた。でも、まあ、折をみてお返事することにしよう。俺もニカラグァ人の赤ちゃんの写真を載せた葉書にし、「長女が誕生しました。」などと書いて送ってみようかな、な〜んてな。


2002年2月4日(月) 1日の終わりになって >
 今日は、しこしこ書類作りをやってた。昨夜、遅くまで本を読んでたせいか、ちょっとだるかった。
 夕方は、エアロビ。今日は、ちょっとハードだった。結構つかれた。さらに、家の近くまで帰ってくると街灯が消えていて、やたらと暗い。ちょっと重い気持ちになった。
 ただ、家の側で遊んでる子供たちに「Adios!」と声を掛けると、十数人皆が「Hola」「Adios」などと手を握りながら声を掛けてきてくれた。1日の終わりに、ふと心が和らいだひとこまだった。


2002年2月3日(日) のんびり >
 
今日は、家の掃除をした。掃き掃除、拭き掃除、あと冷蔵庫内も含めて3時間ほどかかった。らしくないかもしれないけど、結構きれいに掃除した。
 午後は、外にゆり椅子をだして、読書。いい天気で、さらにいい風があった。
 夕食は、親子丼をつくってみた。調味料で日本酒がないので、ラムを使ってみたけど、なかなかおいしくできた。今日は、お腹ぽんぽんだ。
 こんな日曜日もなかなかいい。


2002年2月2日(土) トカレフ >
 
今日は、朝から友人達とブルーフィールズのはずれにある「ワルパターラ」という場所に行った。そこは滝壷らしく、水浴びができるらしい。細い泥道を登り下りしながら、到着。確かに水浴びする場所がある。やっぱ、日本人的発想で、なんかピクニックができるような広場のようなものがあるかと思ったけど、そんなものはなかった。

 近くに住んでる少年達も遊びに来てて、高いところから様々な方法で飛び込んでた。俺もちょっと低いところからだけど、飛び込んでみて、なかなか気持ちよかった。
 滝壷から上がり、石の上に座り休憩してたら、一緒に行ってた順ちゃんが俺のほうをみて「ムフッ」と笑い出した。そう、俺も気付いてたんだけど、お気に入りの海パンの股のところがやぶけてたのである。

 実は、飛び込むときに、東洋の飛び込み方をみせてやろうと、足を大きく広げ、飛び降りたのだ。あえて説明するならば、体操のトカレフのような感じ。
 大技には代償がつきものとはいうが、大きな代償だ。


2002年2月1日(金) 整髪にこだわるニカラグァ人 >
 
今日、職場に行ったら、同僚のジェシカに「昼、家帰ったら、髪の毛整えてきたほうがいいわよ。」と言われた。この国では髪のセットと靴の手入れに相当こだわる。まあ、わかってるんならやってこいよという話なんだけど、ちょっと友達の家に整髪ムースを預けっぱなしだった経緯がある。まあ、用もあったので、昼、そのお気に入りのムースを取りに行って、昼食後に久しぶりにセットしてみる。それで、職場に行ったみたら、皆ノーリアクション。


2002年1月31日(木) 鍵抜けず >
 
今日は、ブルーフィールズに戻る。飛行機は相変わらず揺れるが、今読んでる山崎豊子の「沈まぬ太陽」がなかなか面白いので、あんまり気にならなかった。しかし、五巻まであるらしいが二巻までしか持ってきてない。
 職場に行き、それから家に戻ったが、鍵がドアから抜けなくなった。30分くらい頑張ったんだけど、相当あきらめモードになる。しかし、このままでは寝ることもできないし、落ち着けない。よって、たまたま家の前をとおった近所のレイに助けてもらい、なんとか解決。助けてもらう場合、人を選ぶことが結構大切。ただ、いろんなきっかけで知り合いができるのはいいことだ。


2002年1月30日(水) 刺激
 今日は、休憩の日として、JICA事務所で先輩隊員の報告書を午後いっぱいかけて読む。様々な活動をした人、自分のやりたいことが出来なかった人、様々な人がいるが、報告書を読むと参考になると同時に刺激になる。このとき感じた気持ちを忘れないように、活動を行っていきたい。


2002年1月29日(火) 慢心
 
朝、7:00に起きて、検尿、検便の用意をし、病院へ行く。そして、採血、レントゲン撮影を実施する。採血は、1本を日本用、1本をニカラグァ用と2本分行ったので、結構疲れが出て、昼寝をする。
 昼は、佐藤調整員のお宅にお邪魔し、まあ任地の話などしながら昼食をとる。
 午後は、診察。案の上、血液検査の結果が芳しくなく、肝臓がよくないとのこと。昨日、飲んだのが痛かった。やはり慢心はいけない。


2002年1月28日(月) 1杯のビール
 
朝から隊員総会に出席する。個々の活動というより、連絡所の使用方法などが中心の話題だった。
 夜は、昔の同僚、コロンビア人Aruturoと会い、順ちゃんと3人でご飯を食べに行く。チェーン店なんだろうけど、チキンの美味しい店だった。順ちゃんがいたせいか、彼がおごってくれた。ラッキー。ただ、明日、健康診断にもかかわらずビールを飲んでしまった。


2002年1月27日(日) 新年会
 
連絡所の大掃除を行う。一応微力ながらも働く。ここは結構モノが置かれてて雑然としてるんだかけど、だいぶすっきりした。
 夕方は、日本大使館での日本人新年会に出席する。バーベキューがあるということで、焼肉大会を期待したのだが、串刺しの豚と肉を焼くというものだった。残念。だが、もちつき大会があったので、もちを頂くことは出来た。よく知ってる大使館の方、及び専門家の方が欠席されてたのが残念だった。


2002年1月26日(土) 新隊員歓迎会
 
首都マナグア隊員連絡所に到着する。
 新隊員の歓迎会に出席した。今回は2名と寂しいが、感じのよさそうな好青年2人である。1人は野球隊員で、もう1人は農業学校にて指導する村落開発普及員。
 料理もおしいく、よい会だった。


2002年1月25日(金) 報告書完成
 
今日は、JICAへの報告書を書き終えた。協力隊隊員は、任期2年間で、5回報告書を提出することになっている。また、一部職場に対してもスペイン語版を提出する。Directorは、夕方遅くに職場に戻ってきたので、それからその報告書について話し合う。
 結構、その話し合いが長引いてエアロビは欠席する。
 明日からは、協力隊の会議、新隊員歓迎会、健康診断等のためマナグアに行く。


2002年1月24日(木) ラ・カンパレラ 
 
久しぶりに「ラ・カンパネラ」を聴いてる。たまにはこういう時間もいい。
 俺の人生で敢えて後悔があるとすれば、保育園児のときに、習ってたピアノを止めたこと。そういえば、ニカラグァではピアノを一度もみたことないなあ。


2002年1月23日(水) こそっとリゾット 
 
リゾットに初挑戦した。材料は、鶏肉、にんじん、お米、そして塩、胡椒、しょうゆといった単純なもの。しかし、俺にとっては初挑戦。気合いを入れてつくる。
 まずは、冷凍しておいた鶏肉を水につけた後、鍋に入れて、お米と共に少々炒める。それから、鍋に水を入れて、調味料を加え、煮込む。心持ち強火から中火に調整しながらしばらく待つ。最後にさっとしょうゆをかけて、しばらくしたら出来上がり。
 感想としては、結構いける味になった。最後にしょうゆを入れたので、なんか昔食べたことのあるような味になった。まあ、しょうゆを入れないバージョン、味噌バージョン、それからトマトベースバージョンなどと幅を広げることが可能なのではと思った。
 
 しかし、リゾットには1つよくない思い出がある。大学時代、TOEFL受験途中のこと。「これは出来がよくないな。」と思い、一緒に受験してた後輩と飯でも食おうということに頭をきりかえた。そして、試験後に彼を飯に誘うと「すいませーん。彼女がリゾットつくって待ってるんですよー。」と断られてしまった。この時は、結構きれかけた。別に料理名まで言わなくてもいいのに。ついでに、当時、俺はリゾットが何かすら知らなかった。


2002年1月22日(火) 特に進展もなく 
 
今日は、公私共にたいした進展がない日だった。なかなかもどかしいものがある。
 まあ、あえて言うなら飲み水がgetできたこと。職場に近い雑貨屋では売り切れで、数軒まわった後に、やっと港で手に入れることができた。基本的に水は空タンクと交換で購入するので、欲しいときは、空タンクを持ち歩かないといけない。さらに、18.9リットルの容量なので結構重い。


2002年1月21日(月) プロジェクト打ち合わせ 
 
今日は、Directorと打ち合わせに行った。ちょっと意訳していうと「遠隔地の妊娠女性支援プロジェクト」の打ち合わせ。この町、ブルーフィールズはRAASという地域に属するが、RAASではブルーフィールズ市内にしか大きな病院はない。よって、RAAS内の遠隔地に住む女性は妊娠した場合、ブルーフィールズまで来る必要がある。ただ、基本的にはボートでの移動となってしまう。

 よって、ブルーフィールズの病院の側に、彼女達のために保養所のようなものをつくろうというプロジェクトである。子供が生まれそうになってから、産後、自分の町に帰れるようになるまで、そこに滞在してもらう保養所をつくりたいということ。

 数年前から約15の組織が集まり、調整したようだが、明日、代表者が日本大使館に援助の申請をしに行く。俺としては、非常によいプロジェクトと思うが、仮に日本大使館の申請がとおって、保養所の建設が為されたとするならば、きっちり運営してほしい。その辺りの質問及び意見を打ち合わせで行ってきた。いずれにせよ協力はしていきたいと思う。


2002年1月20日(日) だらだらと日曜日
 
日曜日だったけど、ほとんど雨が降ってたので、だらだらした1日となった。大家さんが訪れるというので、昼過ぎまで待ってた。洗濯をしたんだけど、さっぱり乾かず。
 夜、一人スパゲティを食べてると、友達から国際電話があった。これはうれしかった。何気ないことを話しただけだけどね。でも、電話って切れた後に何故か一抹の寂しさがのこってしまう。


2002年1月19日(土) 焼肉もどき
 
今日は、同じ任地隊員で集まり、料理をつくり、食事会をした。いちおう、焼肉もどきパーティー。ホットプレートがないので、フライパンにて行う。肉が硬いのしか手に入らなかったんだけど、用意した肉、野菜全部食べきれた。とくに、もちを焼いたのはおいしかった。やっぱ、料理はみんなでつくって、みんなで食べるとおいしいものだ。


2002年1月18日(金) Tatiana
 
今日は、職場の同僚TatianaがADEPHCAを去る日だった。彼女は、研修のような感じで、働いてたんだけど、なんと最後の言葉とか挨拶とかもなく去ってしまった。しかし、俺のなかでは大きな出来事だったんだけど・・・


2002年1月17日(木) 複雑な感じ
 
今日は、夕方、もう勤務が終わる頃に、カウンターパートから呼び出された。なんかざっくばらんに話そうということらしい。
 なんか複雑な感じだった。俺が「市役所の仕事で手伝えることがあれば手伝うよ。」ということを市役所で話したのが耳に入ったからかもしれないけど、お互い気を遣いながらの話し合いだった。でも、なんか外で活動するのを控えろみたいな感じだった。
 あと、今月末から、俺と一緒に仕事をする人が職場に来るらしい。まあ、状況をつかみながらできることをやっていきたい。


2002年1月16日(水) 発音が似てる日本語とスペイン語
 
最近、なぜかうちの職員が、日本語にちょっこと興味を持ち始め、簡単な単語を教えてた。(仕事もせずに) なんか、話が干支のことになり、全員の干支を教えてあげた。結構飽きっぽい彼等だが、これには興味をもったようだった。

 また、日本語とスペイン語はローマ字をそのまま発音し、意味は違うけれど、たまたま似てる発音の単語がある。ちょっと汚い話だが、「かがみ」は、スペイン語で「cagame」と聞こえ、意味は、「大便する」となってしまう。まあ、あんまり無いと思うが、ニカラグァ人に「鏡って日本語でなんて言うの?」なんて聞こえたら要注意。笑うネタにされてしまう。
 あと、「ajo」(発音:アホ 意味:にんにく)、「vaca」(発音:バカ 意味:牛)などがある。


2002年1月15日(火) 新職員採用面接 >
 
今日は、職場NGOで新職員採用のための一時面接があった。俺は、受付採用の応募者が来客に対し、どのような対応ができるか、顧客に扮する役割だった。20歳代の大学生からおばちゃんまで受けに来てた。本音をいうと受付なのだから、若い子にきてほしいけど、年配の方のほうが上手に対応ができてた。最終面接は今週末。
 
 今日は、ちがう家に水をもらいに行ってきた。結構、やさしそうなおばちゃんでよかった。いい関係を築いていかないと。あと、生まれてはじめてゆでたまごをつくった。ようは、卵を茹でたらいいだけなんだよね。結構、上手にできた。たかが、ゆでたまごかもしれないけど、貴重なレパートリーとなった。


2002年1月14日(月) エアロビ通い始め >
 
今日から、エアロビに通い始めた。結構本格的で1時間弱みっちりやった。特に腹筋系の運動はきつかった。今日は、生徒17名。それで、男は俺だけ。なんか、昔、駒ヶ根訓練時代に参加した料理隊員おそめさんの料理教室の時のような感じ。

 まあ、でもやっぱこういうのは、誰かと一緒じゃなきゃできないので、他隊員及びニカラグァ人にまざりながらやってきた。もう、目に汗がたまり、前がぼやけるくらい。みるみるお腹がしまっていくのがわかった。(ちょっと言いすぎかな)

 がつんと月謝100コルトバ(約1000円)を芝っちに借りて支払ってきたので、これから出来うる限り行かないといけない。週5日。月換算だと約20回/月。
 さあ、続くでしょうか?いや、続けるべし。


2002年1月13日(日) 洗濯 >
 
今日は、日曜日で天気もよかったので洗濯をした。井戸水がちょっと臭いので、近所の雑貨家さんからバケツ2個分の水をもらってきた。庭の洗濯場が壊れているので、台所の食器洗い場に水を溜めてやってみる。溜めた水に洗剤をいれて洗い、1時間程度そのままにしておく。そして、衣服を絞り、もう1度、水をためて20分くらい置いておいて、また衣服を絞る。結局、貰った水だけでは足りず、井戸水も使用する。
 昼前に外に干して、夕方まで待つ。どれくらい井戸水の匂いがつくか一抹の不安。
 結果、乾いたTシャツの匂いをかいでみると、まあそれほど匂いはしない。成功と言っていいのかな。


2002年1月12日(土) 3大麺料理 >
 
今日は、夜、外で食事をする。3人で行って、いわゆる3大ブルーフィールズ麺料理を食べる。チョプスイ(焼きそばみたい)、チョウメン(皿うどんみたい)、タジャリン(ラーメンみたい)を頼む。なかなか名前と料理が一致しなかったので、これを機に整理してみた。俺としては、チョプスイはちょっとくどめなので、1人で食べきるのは結構きついなと思う。チョウメンは、皿うどんのような感覚がなかなか面白い。タジャリンは、結構無難な味かもしれない。あっ、あとチョプスイは店によって結構ピーマンを入れてくるので、ピーマン嫌いな人は、ピーマン除去作業に結構時間をとられてしまう。
 4時間くらい飲んで食べてたので、踊りに行かず素直に帰る。


2002年1月11日(金) 日常 >
 最近のブルーフィールズは結構涼しい。朝は冷え込むといってもいいくらい。ふとんなど掛けてないので厚着して寝たほうがいい。あと、ちょっと寒いので水浴びはきついときもある。井戸水をバケツでくみ上げ、ぶっかけるといった感じなんだけど、その水が何かしら匂いがし茶色気味。最初は、「この水で水浴びするのか」とか思ったけど、まあ慣れれば川で泳いでるような感じだし、眼鏡外せば、色もわかんないしね。汚くても水があるだけいいのかなとか思って、無理やり納得する。

 あと、午後は、家のフェンスというか金網が破れていたので、治してもらった。実は、井戸の件で大家さんに来てもらってたんだけど、金網が破れてるのには気付いてなかった。まあ、よかった、よかった。

 それから、近所の子供達が庭の木のココナッツを貰いに来た。ちっちゃい声ながら「gracias」と言っていった子もいたので、よしとした。それにしても彼らは上手に木に登る。


2002年1月10日(木) 県庁職員アテンド
 今日は、滋賀県庁、島根県庁の方とJICA職員が視察のため、ブルーフィールズに訪れた。職場、メルカド(市場)を案内した。
 いろんな質問を頂いたが、まだまだ自分もあいまいにしてたことが多かったと感じさせられた。また、県庁の方々も想像以上に熱心だったので、良かった。日本に帰ってからもニカラグァ及びその他訪問国のことを県民に知らせて頂きたいものだ。


2002年1月9日(水) 一人住まい
 昨日から家の人が外出してるため、一人住まい状態。晩飯のごはんを炊飯器がないので鍋で炊いた。昨日、はじめての挑戦だったが、成功をおさめたが、今日は油断してこげてしまった。なかなか火の加減が難しい。
 また、一人だと鍵やら火の元やら、はたまた、INTRUSA(侵入者)に、相当気を使わなければいけない。もう、一人セコム状態。
 ちなみに、2チャンネルで7時からやってるテレノベラ「INTRUSA」では、なんと主役の女性が盲目になっていた。今は、さっぱり人間関係がわからないので、おいおい整理していきたいと思う。


2002年1月8日(火) 新プロジェクト申請してるものの
 職場で新プロジェクトの申請状況について話す。俺が日本にいる間に、対外経済協力庁に正式に申請していたようだ。
 対外経済協力庁の専門家有本氏に状況確認すると、対外経済協力庁は人事異動があったり、多数案件に囲まれていたりして、あまり動いてない模様。我々を含むマイクロファイナンスのプロジェクトについては、各小規模融資機関にお金を無償供与ではなく、貸与することで方針は決まっているが、その返済を対外協力庁がどのように管理し、いつまでに返済してもうらうかということが決まってないとのことだった。
 ただ、このコメントは、昨年9月に聞いてたんだけど・・・・ 約4ヶ月間もこのことはペンディング状態だったらしい。せっかくDirectorもやる気をみせてるのに、我々としては、待つしかないような状況だ。


2002年1月7日(月) 新年会?
 今日までニカラグァに来てた好江ちゃんを空港で見送り、その足でブルーフィールズに戻った。なんとか約束してた12:00頃には到着する。職場に直行したのは、regaro intercambio(誰からもらうかは当日までわからないプレゼント交換)を行うため。

 職場全員で集まり、Directorから順にプレゼントを渡していく。ちなみにカメラマンも呼んである。なんか想像以上に重要な出来事だったらしい。150コルトバ(約1500円)までという限度額だったため、皆、結構なものを用意していた。最初は、日本から持ってきたうちわかなんかにしようと思ったが、ちゃんとマナグアの高級店で買ってきてよかった。ちなみに俺は男性にプレゼントをあげるため、プレゼントはネクタイとした。もらったのは、香水。

 それが終わると、街でも一番いい部類のレストランで昼食。ようは日本でいう新年会なのかな。まあ、俺がこんな流れになるとは知らなかったのはしょうがないとして、ずーっといたピースコーのMaxもこんな流れになるとは知らなかったらしい。

 結局、今日は仕事なしで、さらに丘の上のレストランに行き、飲んで踊った。まあ、前向きに考えれば、新年会に参加できてよかったかな。みんな、酔うと面白いしね。


2002年1月6日(木) モンバッチョ ハイキング
 今日はハイキング。マナグアより南に1時間。モンバッチョという山に行く。入山口からは、camion(トラックの後ろに座席と屋根をつけたような車)に乗って登る。ただ、下はいい天気だったが、山の上は、霧が多かった。
 下界を一面に望めるところは、霧が多いといえども絶景だったかな。
 さて、帰りはどうしようかと思ってると、寺ぴょんがヒッチハイクに成功。皆で小型トラックの後ろに乗ってマサヤまで行く。ひとりで「あいのり」のテーマ曲を口ずさむ。ただ、今、思うとドロンズのアメリカ大陸縦断の時のテーマ曲(チューブ作)のほうが良かったかもしれない。


2002年1月5日(水) 同期で歓迎
 今度は、好江ちゃんをマナグア案内すべくマナグアへ。
 昼飯は、国連ボランティアの千葉さんともお会いしたので、皆でニカラグァ料理レストランに行く。互いの活動のことや、ニカラグァ、コスタリカのことなど話す。千葉さんもマイクロファイナンスに携わっているので、また、活動先に伺わさせてもらいたいものだ。
 夜は、多くの同期が集まる。なんてったって、好江ちゃんは他国からのはじめての来ニカした同期なので、皆、随分歓迎ムードだった。


2002年1月4日(水) 雨、雨、雨
 今日は朝から案内。ただ、あいにくの雨。まず、べっこう屋さんに行き、それから俺の職場。実に久しぶり、みんな元気そうだった。Directorも機嫌よく皆と話してくれた。
 ただ、ブルーフィールズらしく、雨が降り続け、景色のよい丘の上のレストランも少々寒くて、視界もわるかった。
 夜は、皆でディスコに行ってみるが、やたら人数が少ない。どうやら年末踊りつかれたらしい。ちょっと雰囲気を楽しんで帰る。


2002年1月3日(火) 戻ってきたブルーフィールズ
 協力隊の訓練中、語学クラスが一緒だった好江ちゃんがコスタリカより任国外研修のためニカラグアを訪れるため、空港に迎えに行った。
 そして、その足でブルーフィールズに行く。実は案内する俺にとっても2ヶ月半ぶりのブルーフィールズ。まあ、着いた時間も遅かったので、市場、港などをみて、夕食に行く。
 夕食のBARは、俺も初めて行ったんだけど、ブルーフィールズ湾沿いにあり、星がものすごくきれいにみえる。月がでたら最高なんだけど・・・って感じだった。


2002年1月2日(月) 彼氏はアラン・プロスト
 今日は、ボート、飛行機、タクシーと乗り継いでマナグアに戻る。飛行場で行きの飛行機でも一緒だったドイツ人カップルと再会したので、しゃべった。女性のほうは、ずいぶん大柄。ニカラグァ国内線では体重を量るか、申告しなければいけないのだが、もちろん男性よりも重かった。彼女は、以前ニカラグァでcooperanteとして働いてたらしい。また、男性は、ちょっとアラン・プロストに似てたが、shyな感じをうけた。日本を2度ほど旅してたらしく、日本語の名刺をくれた。大阪がずいぶん気にいってたらしい。


2002年1月1日(月) 今年の目標
 2002年となった。昨年は、ニカラグァに慣れてきたものの、日本一時帰国などもあったし、はや任期が9ヶ月も過ぎてしまったという感じだった。さらに、ちょっと受身的だったかもしれない。
 だから、今年の目標は「Be Positive」としたい。(英語だけど)


2001年12月31日(日) ソレンチナメ諸島へ
 ボートにてソレンチナメ諸島に行く。ボートといえばコーン島での跳ねるボートを思い出したが、湖上では随分静か、ついつい鼻歌ももれる。
 ソレンチナメ諸島は、きれいな絵を書く人達が住んでることで有名で、いくつかの画商(ただの家なんだけど)を訪れてみた。鳥、アルマジロ、蝶などの置物もある。ただ、絵はすっごい。いろんな色がつかわれ、自然なソレンチナメの風景などが描かれている。日本に帰国する前にはぜひ買おうかなと思う。
 さて、年越しを迎えることとなった。ただ、暑いし、紅白があるわけでもないので、さっぱり正月気分はしない。おせち料理などの特別な料理があるわけでもない。いちおう、俺が日本から持ってきたおしるこをみんなで食べたけどね。
 爆竹などが鳴り、年の明ける瞬間を迎えた。


2001年12月30日(日) サンカルロスへ
 ずっと前から約束してた隊員達との旅に合流すべくサンカルロスへ向かう。サンカルロスはニカラグァ湖の南東、超小型飛行機で45分。この飛行機は、前に一つしかプロペラがない、いわゆるセスナ。少なからずおびえがあったが、好天に恵まれ、無事到着。ただ、サンカルロス空港の滑走路は、滑走路というより、じゃり道。セスナだから運転席の窓から着陸の風景がみえ、結構な迫力だった。
 合流する隊員とは夕方集合なので、サンカルロスを歩く。ほとんど舗装がされておらず、随分な街だなと思った。公園もさびれてた。ただ、ぼーっつとニカラグァ湖で水浴び、洗濯してる家族をみて、おだやかーと思った。
 夕方、寺ぴょん、お染さん、あーち、たぐっちゃん、みほちゃんと再会を果たす。俺の昼寝中に現れ、散々、「日本で太ったな」などと言われた。


2001年12月29日(土) 暑いマナグア
 久しぶりにマナグアを歩く。まず、銀行に行って、預金を引きおろし、次に旅行会社に行く。先輩隊員りょうちゃんのチケット変更の返金調整をしに行ったんだけど、現金では帰ってこないとのこと。ただし、その金額を別のチケット購入に使えるということで納得。
 昼は、時差ボケのせいと疲れで爆睡。
 しかし、ニカラグァは、やっぱり暑かった。俺の日本からの服装ではとても暑すぎで、現在約30度。蚊もいっぱいいる。昼寝中も蚊取り線香に、おんぼろクーラーを使用した。
 夜は、佐藤調整員の家での忘年会のようなものにおじゃまさせてもらった。非常に素敵なおうち。隊員達とのトークを楽しんだ。


2001年12月28日(金) ニカラグァ再赴任
 朝、滞在先のメキシコシティでアテンドしてもらった妹尾さん(メキシコ隊員 経済)と朝食をとる。昼のフライトだったので、ちょっと部屋でゆっくりしたあと、チェックインする。今日は、エアポート内ホテル滞在だけにこういうのは楽だ。また、チェックインの際、当初TACA航空は30kgまでしか機内預かり不可となっていたが、スーツケースとバックパック(計50kgほど)を預けることができ、一安心だった。
 妹尾さんとの別れを惜しみ、メキシコを発つ。まずは、グァテマラシティまで2時間程。ここでは、飛行機から降りることは出来ず、その後、サンサルバドルに向かう。サンサルバドルで乗り換え。サンサルバドルでも、ちょっとした調整は必要だったが、同期隊員に会うことが出来た。
 さあ、いよいよニカラグァまで、あと約50分。いろいろと戻ったときのことなど考えながら、懐かしのマナグア空港到着。あいかわらず、どの国際空港よりもしょぼい。入国を終えると、到着ゲートで待っている多くの群衆の中に、日本人っぽい姿も見受けられた。確認のため、1礼してみると、ちょこっと1礼を返してくれ、大きく手が振られた。横田調整員と同期の愛ちゃん、みっちーが迎えに来ててくれたのだ。
 夜のマナグアをライトバンに乗った。そう、約9ヶ月前に、この地に来たときのように。
 新たな出発だ。


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