思わぬことから一時帰国することになったが、本来の協力隊隊員としては、稀なケースといえる。
 いつニカラグァに戻れるかわからないという不安定さはあるが、貴重な日本での休養、療養期間である毎日を記していきたい。


 2001年12月〜
 2001年11月〜
 2001年10月〜   


<2001年12月27日(木) ニカラグァへ>
 見送りにきてくれる人たちがホテルに来てくれ、みんなでプリクラを撮った。いい記念ができた。最近のプリクラは多くの機能を搭載して、よくわかんないが、やっぱお別れの記念はプリクラでしょというところがある。

 新宿から空港までは、バスで行くことにしたが、なんと六本木まで1時間くらいかかった。ちょっとびびったけど、なんとか時間前に空港到着。空港までは、みなさんの計らいにより、りょうちゃんの隣の席に座らせてもらった。

 さて、空港。チェックインにも結構時間がかかり、ここでなりさんとお別れ。ニカラグァのボンさんにカロリーメイトを託される。その後、みんなで食事。ただ、時間がないため、今回最後の日本での食事がミートスパゲティとなってしまう。

 レストラン内では思い出ビデオ撮影。この何気ない会話のビデオが、あとから観ると自然と微笑みがでるほど、懐かしくなることだろう。ただ、関係ないけど、明日からとおるさん、なみちゃん、りょうちゃんは箱根温泉旅行らしい。とおるさんは、美女2人に囲まれての温泉ということになる。しかし、俺としては、やはり戻らなければいけない。彼等が温泉旅行に行く前日に日本を発つということでよかったかなとも思う。
 到着ゲートまで見送ってもらった。
 そして、ニカラグァに向かうべく、飛行機に乗りこみ、いつものとおり通路側の席についた。


<2001年12月26日(水) 最後の夜>
 午後すぎに駅に向かい、3月の時と同じように新幹線を待つ。また、母親が見送ってくれた。なかなかつらいものもあった。

 東京では、JICAでオフィシャルパスポート受領及び事務手続きを終わらせる。
 夜は、既に帰国している隊員(11-2 とおるさん、なりさん、りょうちゃん、なみちゃん)、さらに他国帰国隊員、前任者角田さんご夫妻、はたまた10-3村落OBの方、JICAの方と飲み会となる。もりあがったが、なんか話したい人ばかりで、一緒になってもったいないような感じだった。

 また、この日にかぎってか、多くの人から電話ももらった。いつもたいして鳴らない携帯電話が最後に活躍。ニカラグァでは圏外だが、せっかくなので持っていくことにしよう。
 今回は、不意の日本一時帰国だったが、多くの人に助けてもらった。


<2001年12月25日(火) バタバタと>
 荷物を纏めて、宅急便に持っていく。
 家に帰ってからは、なんかバタバタしてたら夜になってしまった。いよいよ明日、東京に向かう。

 今日は、実家での今回滞在中最後の日でもあり、かつ弟も新婚旅行に行ってしまっているので、離れの自分の部屋ではなく、母屋の二階で寝ることとした。


<2001年12月24日(月) 弟の結婚式>
 今日は、我が弟の結婚式。朝は、親類、ご近所が我が家に集まり、茶などを出したり、挨拶などを行う。そして、マイクロバスにて式場のホテルに向かう。

 式は、ホテルのチャペル。「結婚して50年経っても、この人と一緒でよかったと思えるようにしてください。」などの言葉がある。紋付袴を着たた弟がよくテレビドラマの台詞にあるように「誓います」と言ってた。

 それから、写真撮影。皆が服装をただし、準備して約5分後、車椅子に乗ったわが祖母あらわれる。意味なく主役のような扱いをうける。そして写真撮影。

 さて、いよいよ披露宴。いちおう新郎の兄として、親戚などへの挨拶、カメラ係などなかなか大変。ろくに料理も食べられない。ちょっと感慨にふける場面もあったが、アナログカメラとデジタルカメラ撮影に忙しく、やっと終わったかという感じもあった。身内の結婚式は非常に忙しいものだ。まあ、我が家の一大プロジェクトが完了した日だった。
 この日は、8時には床についた。


<2001年12月23日(日) 雑然として>
 今日は、床屋に行き、買い物をして、部屋の掃除をするといった感じ。あとは、ニカラグァへ帰る荷物のパッキング、いつもどおり直前のラストスパート。
 ただ、明日は弟の結婚式なので、その準備もなかなか大変。


<2001年12月22日(土) かなりのごちそう>
 ゲームセンターに行った。卓球ゲームがあったので、さっそくやってみた。そしたら、なかなか難しい。バウンドするボールが跳ねるスピードが通常の卓球のものと全然違う。まあ、また今度挑戦する。

 家に帰るとかなりのごちそうだった。俺がインターネットで購入した毛がに、弟が会社の通販か何かで買ってきた大きな海老とカレイ、さらに何故か焼きうどんという感じ。なかなか食べるのに手間取ったが、豪勢な食事だった。


<2001年12月21日(金) 京都東山周辺散策>
  京都に行く。ちょっと寒かったんだけど、南禅寺、銀閣寺、さらに哲学の道を観光する。まず、南禅寺のあたりでうろうろしてたら、人力車のお兄さんが声をかけてきたので、さっそく乗ってみた。なんか観光してるという感じがして、なかなか面白かった。一度乗ってみたかったので、満足、満足。

 それから、南禅寺の山門では、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と言ったらしいので、ちょっと真似してみる。

 銀閣寺は有名にもかかわらず行ったのは初めて。なかなか趣があった。これは、知識先行かもしれないが、庭などをみても、将軍義政が相当な思いをこめてつくったんだなあというのが伝わってきた。
 今度は、保津川下りや鞍馬などに行ってみたい。


<2001年12月20日(木) 野田浩司>
 今日、何気なく心斎橋を歩いてたら、パチンコ屋の前で阪神のことをスピーカーで語ってる人がいた。もう、うるさいなあと思って行ってみると、なんと元阪神→元オリックスの野田浩司、しかもサンタクロースの服着ながらパチンコ屋の前に立ってる。しかも、やたら見物人が少ない。

 いちおうデジカメをとりだし撮影しようとしたが、、なかなか歩行者が多くていい写真がとれない。そしたら野田さんが、「こっちから撮ったらいいよ」と場所指定までしてくれ、ポーズもとってくれた。最後にがっちり握手。いやあ、なかなかいい人だった。しかし、見物人が少ない。熱い阪神ファンがまわりを囲んでもよさそうなのに、う〜ん。

 野球選手と握手するのは、元西武の故山崎裕之さん以来、11年ぶりくらいかもしれない。あと小学生のとき、中畑さんにも握手してもらったことはあるなあ。
 まあ、ともかく野田さんの写真を撮った後、となりのコンパニオンの方の写真も撮ろうと思ってたけど、なんか野田さんと男の友情みたいなものを感じ、さわやかに立ち去ることとした。


<2001年12月19日(水) 千年の恋>
 映画「千年の恋」を観に行った。話題にもなってるし、結構、有名人もでてるし、ということで観に行ってみた。中宮彰子(藤原道長の娘)の疑問をとおして、紫式部が当時の男性の恋愛感、男性が望む理想の女性像などを答えている。また、常盤貴子演じる紫の上は、当時の女性の求める(であろう)ものを伝えていた。これらは現代の我々と重なるところもあるし、すでに現代の日本女性は開放されている部分もあった。それから、光源氏さらに藤原道長の栄枯盛衰をみせながら、「幸せとは?」というところまで訴えていたのだろう。

 確かに映像としてはすごい華やかできれいだったが、やっぱ2時間半で源氏物語は短いかなとも思った。あと、松田聖子の歌も別にいらないし。様々な外部の力もあったのかな?演出の人もいろいろつらかったのではとも、今更ながら思うところもある。
 大和和紀さんの漫画「あさきゆめみし」は非常に面白いけどね。


<2001年12月18日(火) お返し>
 今日は、長崎の親友にお礼もかねてガスコンロ他を詰めて送った。長崎でもつ鍋をごちそうになったのだが、コンロは友達から借りてきてたので、まあプレゼントをコンロにした。随分、チープな贈り物になってしまったが、クリスマスに鍋というのもお洒落だし、いいかなと思う。
 あとは、そろそろ自分の荷物を詰めなければいけないので、持っていくものの買い物をはじめた。


<2001年12月17日(月) W安>
 最近、円安、株安というW安になってきている。原則的には、円安になると株は買われる方向にあるのだけれども、それほど市場が不安視されているということか
 俺もなんか米ドルトラベラーズチェック購入したくないなあという気持ちになってきた。


<2001年12月16日(日) ムツゴロウと香坂みゆき >
 今日は、有明海の「干拓の里」に連れて行ってもらう。そこで、はじめて「ムツゴロウ」をみた。ひれでぴょんぴょんとんでいて、非常に愛らしかった。今まで、新聞記事では干拓の話なんて、なんか難しそーとか思って読み飛ばしてたけど、「ムツゴロウ」は今までどおり生きて欲しいと思ったし、非常に愛着をもてた。政治家の方とか建設業界の方にもとりあえず今度「ムツゴロウ」に会いにいってほしいな。

 昼は、焼かき屋に連れて行ってもらった。ここではバケツ一杯のかきを良心的な値段で焼いて食べることができる。ただ、有明海をせき止めたせいか、干拓のせいかわからないけど、昔は近くでとれたかきが今は採れず、佐賀県のほうまで買いに行ってるということだった。るるぶにも載ってる店で、お店のお姉さんは香坂みゆき似だった。帰る際には、おかみさんとお姉さんが並んで手を振って見送ってくれた。昨今、こんな感じで見送ってくれるお店にはなかなか出逢っていなかったので、非常にほんわかした気持ちになりうれしかった。

 親友達には空港まで送ってもらい、帰途に着いた。この旅がおわり、だんだん俺の日本での生活が終わりに向かっていっていることを実感した。


<2001年12月15日(土) 粋なはからい >
 朝、亀山社中に行った。ここは4年前にいったんだけど、親友が行きたかったらしい。また、4年前と同じように、竜馬の前で、竜馬の格好して写真をとる。

 その後、誕生日プレゼントを買ってもらった。前日、「俺、ニカラグァに戻る時のために、ユニクロでまたフリース買ってこ」って話したんだけど、それを聞いてか、彼は服を買ってくれた。こんな粋なはからいをしてくれる友がいてくれ幸せだ。

 中華街でごちそうになり、さらに、深夜まで、おいしいものをごちそうになってしまった。


<2001年12月14日(金) 長崎は今日も楽しかった >
 朝、名古屋まで念願の整体に行ってきた。5年ぶりくらいかな。まあ、骨自体には問題ないみたいで、目のつかれなどが疲れの原因ということだった。
 それから、久しぶりに「矢場とん」の味噌カツを食べに行った。うまかった。やっぱり名古屋に来たら「矢場とん」でしょ。

 夕方、長崎に飛んだ。親友に再会した。もつ鍋をごちそうになった。しかも俺の好きなビールまで準備しておいてくれて、感動した。なんか車の中で、彼とその彼女が外国ビールの話をしてたので、いやあ結構マニアックな人たちだなあと思ってたら、なんと彼女が数軒もあたって、探してくれたらしい。すっごい気遣いのある彼女だった。彼は、なかなかのナイスガイなんだけど、やはり彼女も素敵な子ということか。
 
 この夜、俺にめずらしく1件のtelがあった。その際、らしくないミスを犯してしまった。まだまだ精進がたりないということか・・・・


<2001年12月13日(木) わかりやすい本 >
 最近、細野真宏さんの「経済のニュースが面白いほどわかる本(日本経済偏)」を読んでるが、非常にわかりやすい。まあ、昔とったきねづかで、単語ぐらい知ってるのもあったけど、今更ながら「あっ、こういうことだったのか」というのも多々あった。ぜひ経済学部の授業にもつかってほしいくらいで、これを読んでからアダム・スミスやケインズの理論を読んだほうがよっぽどよくわかる。
 ただ、2、3日したら忘れそうで怖い。


<2001年12月12日(水) ムーンライトながら >
 今朝、東京から夜行「ムーンライトながら」で帰ってきた。この列車は学生時代から愛用しているが、結構つかれたなあ。ブランクのせいかな。昔は、角度90度の座席だったんで、随分よくはなったんだけど、あと、電気つけっぱなしっていうのがちょっとつらいところではある。また、久々に青春18きっぷを利用した。

 今週末は、長崎に行くので、そのときにも「ムーンライト九州」に青春18きっぷを利用して乗ろうと思ってたが、「ムーンライト九州」は21日から運行のため、残念ねがらそれはできなくなっていた。

 家に帰ってしばらく休憩していたが、夕方、弟と買い物に行き、母親にコートを買ってやる。ジャスコだったので、GUCCHIを買うことをやめ、名もないメーカーのものにした。


<2001年12月11日(火) お迎え >
 今日は、ニカラグァから先輩隊員、成さん、大沼さんが帰国するので、成田空港まで迎えにいってきた。空港に到着するとJALが遅延ということだったので、ちょっとぷらぷらして、もう1回到着ゲートにきたら、もう到着してた成さんから声をかけられてしまった。なんとANAで帰ってきたとのこと。 もう、せっかくお迎えのイベントを考えていたのにという感じだった。まあ、会えてよかったね。

 とりあえず空港内で日本産ビールで乾杯、2年ぶりの日本の彼女達には、ちょっとビールが濃かったみたい。いろいろ久しぶりの日本の感想を聞いた。

 成さんとは、新宿で回転すしに行った。ここは豊富ねネタがあり、バリうまだった。とらふぐ、ぶりとろ、ぼたんえび、大とろなど、なかなか豪華なものを食べた。結局、ごちそうするつもりが、おごってもらってしまった。
 なんか2人とも日本にいるので、またすぐ会えるような気がしたけど、よく考えたら今度は俺が日本去るんだよね。なんか不思議な感じだった。


<2001年12月10日(月) よく歩き、よく食べる >
 今日は、夕食のアポしかないにもかかわらず、泊まらせてもらった後輩の出勤時間に合わせて家を出たので、昼間、時間をつぶすのに一苦労だった。

 まず、ちょっとした事務手続きに時間を費やした後、新宿でラーメンを食べた。ただ、ごく普通のラーメンでちょっと不満。その後映画をみる。ジョン・トラボルタ主演の「ソードフィッシュ」。これはストーリーもてんぽよく、なかなか面白かった。

 それから、まんが喫茶、今回のところは個室が選べ、椅子もマッサージ椅子をチョイスできる所で、飲み物もフリードリンク。今回、東京で結構歩き疲れてたので、これは助かった。なかなか気持ちよかった。
 さらに、並んでるラーメン屋をみつけ、またラーメン。今回は満足で「完食」。その後、やっとアポの時間となり、今度、ホンデュラスに行くよっしーと会い、鳥料理を食べる。
 その後、本日の宿主人の先輩に会い、焼肉をおごってもらう。最後には、シャーベットも注文させてもらった。
 なんか今日は、よく歩き、よく食べた1日だった。


<2001年12月9日(日) 再版制 >
 異業種間交流会に参加した。今日は、洋書卸業者の方からの「洋書から見る 本を取り巻く諸状況」と知的障害者入所厚生施設勤務の方からの「知的障害者への援助」がテーマだった。

 とくに前者の発表では、「再販制」(新聞や書籍などの価格を新聞社や出版社が取り決める制度)を維持する日本と撤廃している米国、フランスなどの比較の説明があり、非常に興味深かった。日本の「発行企画の多様性の保護、国民の知る権利の重要性」などの説明をうけるとなるほどと感心したが、米国のブッククラブ、リメンダー及び各種割引販売などの様々なビジネスのやり方を知ると、やはり規制を撤廃すると様々なアイデアが生まれると感じた。

 結果的には、日本も、いずれ再版制についても規制緩和の流れとなると思う。俺としては、経済及び産業は、ある程度の成長までは、なにかかしらの保護が必要かもしれないが、大きくなれば、一定のルールの下で、それぞれに任せるのがよいのではと思う。子供を育てる上でも、成長した子供を親がなんでも守っていては、果たしてどんな子供に育つだろうか?まあ、官民の関係を親子に例えるのは少し語弊があるかもしれないが、ルールづくりと制約作りは違うので、そのバランスをとった政策というのが大切だと思う。


<2001年12月8日(土) マネーゲーム >
 野村證券の「資産管理フェア」というのがやってたので、行ってみた。なかなかの人の集まりだった。各種金融関連会社が来てたので、いろいろ面白い話がきけた。ただ、思ったのは、一般的に投資会社の社員に対して、とくに外資系だと給料が高くて、エリートというイメージがあったが、その仕事内容は、「ただ人の金をつかってのマネーゲームをしてるんだなあ。」ということ。 なんとかファンドとかいろいろあるけど、ようは、ちょっとずつ趣向を変えたゲーム内容って感じ。ドラクエでいうと、メンバーを戦士中心にするか、魔法使い中心にするか、みたいな。まあ、面白そうだけど、そんなんだったら、自分の金でやったほうが面白いじゃんと思った。


<2001年12月7日(金) 新居見学 >
 弟の新居に荷物搬入ということだったので、行ってみた。新しい電気製品及び家具などが搬入され、まあいよいよ新しい家庭ができるのだなという雰囲気を感じた。

 しかし、結婚って、人生の一つの大きな節目だよね。自分のなかには、その生活には憧れを感じる部分があるが、その節目を少しでも遅らせたい部分もある。まあ、「そんなことは可能性をgetしてたから言え」とつっこみを頂きそうな気もしますが。


<2001年12月6日(木) fragile >
 今更ながら、前の「あいのり」の主題歌「fragile」の入ったELTのアルバムを借りてきた。
 何回もリピートしながら、「fragile」を聞いたみた。「fragile」とは英語で「はかない」とか「こわれやすい」、「もろい」などという意味がある。う〜ん、恋ははかないか・・・、ただ、はかないからこそ、こわれやすいからこそ、大事にしなきゃいけないもということなんだろう。

 また、「となりで笑っていてくれるのならば これ以上 他に何も要らないよ」というフレーズがあるが、まさに、おっしゃるとおりという感があった。確かに、いろいろしてほしいことがあるかもしれないが、本音ベースでいうと、本当に好きな異性であれば、このフレーズがあてはまってしまう。


<2001年12月5日(水) 写真撮影  >
 JICAの担当の方からtelがあり、パスポート用写真をもう1回送ってくれてとのことだった。ネクタイ着用の写真が必要とのこと。しかも今日中。朝から「もう最初から言ってくれよ」という感じで、今日のスケジュールがだいなし(といってもE.T.のビデオを午前中にみる予定を夜に変更を余儀なくされたくらい)。あと、デジタルカメラではなく普通のカメラでの撮影のものという条件付。この条件は前回も満たしたんだけど、結構探すのは大変で、今、ほとんどのカメラ屋は、デジカメで撮影してる。まして、1日で現像してくれるところとなると、我が家近辺では湖岸道路沿いのI店しかない。

 さっそくスーツ着てそのI店に行ってみると、高校の同級生が働いてた。地元といえども、めったに同級生に出会うことなく、約2ヶ月間で3人目。ちょっとした、「あいつ今どうしてんの?」トークに花が咲いた。


<2001年12月4日(火) ニカラグァへの帰任日決定 >
 今日、最終的にニカラグァへ戻る日が決まった。12月27日(木)だ。新年は、ニカラグァで迎えることになる。まあ、いざる決まるとなんか日本でやっとかなきゃいけないことがいくつもあるような気がする。また、向こうでもほぼ一からの再出発のような気がする。しかし、日本滞在のエンドラインが決まったことは、生活のはりあいとなった。


<2001年12月3日(月) 通常の3倍 >
 今日は、パソコンのメモリを64Mに128Mを増設し、192Mとした。まさに、通常の3倍のスピード、ついでに本体も赤くしてほしかったけど、それはあきらめた。なんにせよ、随分早い。今は、約3000円で128M増設可能となるなんて、やっぱりパソコン市場は値下がりが早い。

 あと、話題の「ハリポタ」もみてきた。まあね、面白かったけどね。ただ、もっと心にくるような映画をみたいね。そういう意味では、この前読んだ本、三浦綾子さんの「塩狩峠」のほうが心にきた。とても信夫のような犠牲になる心はもてないが、感銘をうけた。ラストシーンは、本の説明から分かってるにもかかわらず、そうあってほしくないという祈りをもちながら読んだ。


<2001年12月2日(日) 車の運転 >
 最近、ほぼ毎日車に乗ってる。今まで、こんなに車を運転したことはない。基本的に、俺の交通手段というのはチャリだったので、「どう助手席に?」というより「後ろ乗ってく?」というほうが多かったという歴史がある。


<2001年12月1日(土) 内親王殿下ご誕生 >
 今日は、弟の婚約者の方々が「結納返し」ということで家に来られた。一応、気を遣って結構疲れた。終わったあと、久しぶりに昼寝をしてしまった。

 また、本日、内親王様がお生まれになった。まあ、ともかく無事にお生まれになったことがよかった。何子様になられるかわからないが、年末に非常にうれしい出来事となった。
 こういうことを書くのもあれだが、景気と日本経済にも大きくプラスに働くことを期待したい。


<2001年11月30日(金) 野村證券 >
 今日は野村證券に行った。人生ではじめて証券会社に入った。ちょっと裏から入ってしまったのだが、いくつもの相談窓口が用意されており、それぞれ椅子があり、また、ちょっと荷物を置けるスペースもあった。さらに、受付の女性及び社員の方々の挨拶なども非常によかった。

 それから、応対してくれた方は、若い女性だったが、パソコンを使いながらいろいろと説明してくれた。いやあ、結構、勉強したんだろうなあと感じた。
 朝、郵便局に行ったからか、やたら野村證券の対応のすばらしさに驚いた。さすが一流企業、非常に社員教育もしっかりしておられるのだろうなと思った。


<2001年11月29日(木) ちかくの図書館 >
 予約しておいた本を図書館に借りに行った。しかし、いい図書館ができたもんだ。まあ、でも今ほど図書館を利用している時期はないかもしれないけど、すっかり常連気分になってきました。また、図書館にない本でも予約すれば、1週間ほどで入手してもらった。すごいもんだ。ちなみに、今利用している図書館は何冊借りてもOK、さらにAERAなどの雑誌から漫画まで借りることができる。

 他の町の図書館など調べてみると、インターネットでその図書館の本を検索できるらしい。だから、予約も図書館に行かなくてもできるんじゃないかな。田舎もだいぶITが浸透してきてるのかな。


<2001年11月28日(水) らしくないミス >
 今日は、お寺に紅葉を観に行ってきた。もう今週がラストチャンスかもしれない。
 2つのお寺に行ったんだけど、1つはとても掃除が行き届いて気持ちよかった。池にもほとんど葉がおちていなかった。もう1つのお寺のほうが大きくて、看板とかも出てたんだけど、そういやちょっとごみが多かったなあ。

 あと、帰りにくるくる寿司に行った。5%割引券と170円皿無料券を持ってたので、「そりゃ、5%引きでしょ」と思い、そちらの割引券をつかった。そしたら、なんと127円引きにしかならず。数字のマジックにかかってしまった。こういうときは、心のエクセルで差異比較表をつくって、分析しなきゃいけない。今日は、らしくないミスを犯してしまった。


<2001年11月27日(火) 人としてやってはいけないこと >
 また衝撃的なことがあった。本屋に行ったら、「あいのり」で千ちゃんとゴールしたデヴィがなんと週刊誌でヌードになってた。もう、まじかよって感じ。
 なんか9月くらいに「フライデー」で「あいのり」やらせについて語ってたらしい。前々からそういうことを聞いてたりしてたけれども、実際、出場者から聞くとちょっとさみしいね。それから、関ちゃんの心中はいかにか聞かせて欲しいよ。でも、実は、千ちゃんも本当は「あいのり」とは全然違うキャラで、「あっ、あれね。全部つくりね。」と冷静に返されたら、またショック受けるね。

 しかし、百歩譲ってやらせだとしても、秘密にしておいてよ。俺も大人になってからは、「男にはうそをつかなきゃいけないときもある。」というのを学んだが、今回は、「いいよ、子供で」と逆切れしたい気分になってきた。事実を確認するには、俺自身が出場するしかないのだろうか?

 まあ、しかし、デヴィのでる週刊誌なり、またその次にあるものは、売れるだろうね。さすが
、完全自由競争の世界、対官ビジネスとは違うね。素晴らしいマーケティングと感服するおもいでもある。
 ただ、「人としてやってはいけないこと」というのがあるのではないか、俺としては、そこは大事にしたいと思う。


<2001年11月26日(月) ちょっと暇なあいだに >
 今日は、映画「冷静と情熱のあいだに」を観に行った。なかなかほのぼのした感じだった。10年越しの恋愛。今からでも誰かと10年後の誕生日にどっかで会おうという約束しようかな。でも、今からだと家族ぐるみでの再会とかになったら嫌だし、こういうのはもっと若いときにしておくべきだね。まあ、イタリアが舞台になってるんだけど、結構、イタリア語とスペイン語は似てるなと改めて思った。

 また、来月弟の結婚式があるのだが、この映画のラストの曲とか使われた曲を、結婚式でつかったらいいんじゃないとか思った。新婚旅行もイタリアに行くらしいし。


<2001年11月25日(日) ちょっと下り坂 >
 ちょっと天気が崩れ出してきた。今日は、家周辺の風景や琵琶湖などを撮影しようと思ったが、あいにく曇り空。いくらか琵琶湖岸を走らせて見たけど、いい感じではなかった。
 
 ただ、感じたのが、最近、琵琶湖で釣りをする人がやたら増えているということ。まあ訪問客が増えるのがいいことかもしれないが、ちょっと湖岸でぼーっとしようとしても、誰もいないポイントがなかなかみつからない。それが非常に残念だ。笛を吹くこともできないしね。

 それから、個人的希望からすれば、釣り人もせめて1本の釣竿で勝負してもらいたい。ただ、何本も釣竿を置いて、魚がえさを食うのを待つというやり方は関心しない。釣りも魚との1対1の勝負、あるいは、コミューニケーションじゃないかと思うので、そういう心の部分を大事にしてほしいと思う。


<2001年11月24日(土) 散策 >
 近郊の街に散策に行った。別に祭りでもなんでもないので、普通の田舎町を散策したと言う感じ。10年くらい前にお祭りをみにきたことがあるけど。きれいな紅葉もみられたが、デジカメを持っていくのを忘れて残念だった。


<2001年11月23日(金) 3連休開始 >
 今日から日本は3連休。ただ、僕にとっては、むしろ外は混雑するので家にいようといった感じ。最近、先輩のおすすめで「金持ち父さん 貧乏とうさん」という本を読んだので、お金のことなどについて、ちょっと勉強しはじめてる。


<2001年11月22日(木) 1122−いい夫婦 >
 今日は、両親の結婚記念日だった。ただ、父親は単身赴任中なので、家にいるのは母親のみ。弟にケーキを買ってきてもらい、ささやかにお祝いをした。いちおう、ケーキ購入は秘密裏に行った。よって、1日家にいる俺は、母親に悟られないよう苦労しました。しかも、少しは何かを期待している母親に悟られないように。とくに買い物に行ったときなどは、母親もなんか買ってほしそうな、もしくは買いたそうな顔してたので苦労した

 まあ、晩御飯後に、別室からケーキを持ってきて、いちおうスモールサプライズが成功した。ちなみに、今日はいい夫婦(1122)の日でもある。


<2001年11月21日(水) もどかしい木枯らしの吹く季節 >
 さて、3週間ぶりに病院に行ってきた。例の右手薬指の件。

 医師いわく、
「まだ5週間固定が必要だが、現地(ニカラグァ)で固定をつづければ、よくなるよ。」とのことでした。「あと5週間かい!」とつっこみたくなったが、結局、その旨を診断書に書いてもらい、JICA診療室に送付しました。
 あとは、JICA顧問医師が上記で認めてくれて、ニカラグァに戻ることを許してくれるか、はたまた、日本での完全治癒を指示するかによるよね。もう、天とJICA顧問医師のみ知るって感じ。

 しかも、彼は金曜日のみ出勤なんだけど、今週は、祝日(勤労感謝の日)のため出勤しない。よって、来週の金曜日(30日)まで彼の判断を待たなくてはいけない。仮に、日本での完全治癒の指示を受けた場合、なんと俺は年末まで日本滞在とならざるをえなくなるよー。
 もう自分のモチベーションが心配です。
 
 いずれにせよ、もどかしい木枯らしの吹く季節


<2001年11月20日(火) Mother Lake? >
 以前から琵琶湖の絵葉書を送って欲しいと友達から言われていたので、本気だして探してみた。しかし、なかなか見つからない。駅に行っても、ちょっとした観光地に行ってもない。なんかありそうなのにない。文房具店にまで行ってもない。

 いちおう、観光案内所で、「琵琶湖の絵葉書ないですか?」と聞いて探してもらったが、「探したけどありませんねえ、そういう需要がないんですよ」との回答だった。それで、「今、需要があったということで宜しくお願いします。」と言ってきた。もう、琵琶湖=Mother Lakeというキャッチフレーズまであるのに、頼むよ。


<2001年11月19日(月) 「ニカラグァNGOの現状」を聴講して >
 今日は、ニカラグァ チナンデカ市でNGO活動しているパブロ・メディナ氏の講演を聴講してきた。ニカラグァの現状、歴史及びNGO活動の話を聞いた。

 特に印象に残ったのは、まずは日本も他国同様インフラ中心の協力であり、貧困層への直接援助が少ないというコメントがあったこと。現地にいると、大使館の援助でも随分貧困層向けのものもあるように感じたが、パブロ氏からは、農業開発、資源発掘などへの協力がほしいとのことであった。

 また、彼は元サンディニスタであるため、大統領選挙についての所感を教えて欲しいと質問してみると、まさに「予想された物語」だったとの回答だった。
 彼からすれば、ダニエルは、2度も敗北した人物であるため、敗北は予想されていた。しかし、サンディニスタ党内では、ダニエル以外の候補者は党内調整で辞退(敗北)さざるをえず、結局は、ダニエルが候補者となってしまった。また、米国テロの後は、米国から随分介入があったようだ。
 ただ、今回の選挙をとおして、大きな暴動もなく、選挙が終了したことはすばらしいことであり、92%もの投票率も国民の政治への関心を示したものだったとのことだった。
  
 本講演で感じたこととしては、彼も農村開発に非常に熱心なNGOの一員であるため、ニカラグァの特に貧困層及び農民への直接的な協力をする上では、現地NGOとの協力が非常に有効であるということ。
 おそらく政府はPLC政権である限り、現在とたいして変わらないであろう。そういう観点からもNGO、さらには現地大学の人たちが現地の発展に大きく関わっていくのではないかと思う。


<2001年11月18日(月) アフガニスタン現地報告を聴講して >
 アフガニスタン、パキスタンで医療活動を続けておられる中村哲医師の現地報告を聴講してきた。会場は、200人予定のところが、なんとあふれんばかりの人、立ち見及びモニターでの聴講の方も含めると500人以上。学生から老人までこれほどの人が中村氏の活動及びアフガニスタン状況に関心を持っているとは驚いた。

 印象に残ったのは、現地民衆が望んでいるのは「平和な暮らし」のみで、平和の保障をしてくれていたタリバン政権を受け入れていたという報告。また、タリバンは、テレビ禁止、女性の教育禁止などという政策をとっていたが、実際には、暗黙の了解で許されている部分も多々あったとのこと。それから、ビンラディン氏については、オマル氏が
アフガニスタンの客人として迎えたということで、彼らの客人歓待の慣習から、けしてアメリカには引き渡さないだろうとのことであった。彼らにとって、客人とは非常に重要らしい。たしかに、俺もパキスタンを旅した際に、ずいぶん親切にしてもらった。

 また、中村氏は、日本のマスコミに対して、非常にアメリカに偏った報道であることも言及しておられた。以前、中村氏の活動内容をとりあげられた番組もあったが、中村氏からすれば、実態とは大きく違うアフガニスタンの虚像がつくられているらしい。私もアフガニスタンをみたわけではないが、同感である。
 彼のNGOペシャワールの会では、現在、約1500tの食糧支援をアフガン東部に行い、さらに同様の援助を続けていくらしい。金額にすると、あと1〜2億円あれば、この冬をアフガンの人が乗り越えられるくらいの援助ができるとのことだった。
 
 私もパキスタンに行ったときに感じたが、アフガニスタンも非常に親日な国らしい。トルコなどでもそういえる。(日露戦争の勝利及び広島、長崎が主な理由の一つ)そのなかで、今回、日本が和平調整の役割を果たせなかったことが残念だ。日本政府はアフガンへの人道的援助の指針、ましてや何かしらの行動すら起こしていないなかで、NGOである中村氏のペシャが食糧支援等の活動を行っているのである。

 俺が思うに、多くのNGOは善意のなかの善意で見返りを求めていない。ただ、資金及び物質面で乏しいところが多々あるだろう。よって、NGOの情報、人材をもとに、あるいは、NGOとの協力でODAが機能すれば、素晴らしい国際協力が行えるものと思う。


<2001年11月17日(日) 一人芝居 >
 ナイナイの番組をみてたら、各メンバーが映画監督の前で与えられたお題において、一人芝居をするというのがあった。たとえば、「遅れてデートの待ち合わせ場所に来て、プロポーズ。しかし、女の子の名前を間違えてビンタを食らう」など。

 いやあ、バラエテイの人たちもいろいろやらなきゃいけないなーと思い、さらに、もちろん放送されてしまうので、演技の実力が一度に暴露されてしまうなあと思った。これは結構難しい。結局、3題与えられたが、まあ、さすがプロの芸人だけあって、うまい人もいた。とくに、監督の人も誉めていたが、極楽とんぼの山本さん。彼には、これからドラマや映画から仕事のオファーがあるかもしれない。うまくいけば、片岡鶴太郎のような道もひらける。
(注:片岡鶴太郎は、今、役者・画家などで活躍しているが、いわば明石家さんま、所ジョージなどと同世代の芸人。ただ、彼は、芸人の道から他の道をみつけることとなった。)
 その一人芝居をみて、お芝居をしてた頃を思いだした。


<2001年11月16日(金) 株をかぶかぶ>
 今、俺が思うに(って誰でも思うかもしれないけど)日本の株は相当下がってる、いくらかの株は底値近いのではと思う。

 それで、さっそく投資関連の本、雑誌を購入して研究してみた。密かに目をつけた株もある(まだ側近の人にしか話していないが)。 しかし、なんにせよ、元金が少ないので、あんまり意味はないいけどね。いずれにせよ、これも何気に経済の勉強とか思いながら、雑誌とインターネットを駆使してみた。


<2001年11月15日(木) USJの佐々木のフォーク!?>
 今年できたばかりのUSJ(ユニバーサルスタジオ ジャパン)に行く機会をえた。ただ、一つ決めてたことがある。「ジェラシックパークライド」には乗らないでおこうということ。俺はちょっとジェットコースター系が苦手なんだよね。ちなみに、菊川怜もジェットコースター系が苦手。
 しかしながら、一緒に行った友人達はやはりUSJ一番の目玉である「ジェラシックパークライド」には乗りたいし、俺の小さなプライドもあるので、結局は乗ることになった。そしたら、結構、おもしろかった。

 ようは、何故乗らないでおこうと思ったかというと、もともとの原因は、昨夜の後輩との会話がなのである。
俺:「なんかUSJで恐い乗り物ある?」
後輩:「そっすね、ジェラシックパークライドは怖かったっすね。」
俺:「まじで!!!!、ディズニーランドのスプラッシュマンテンと比べてどうなの?」
後輩:「いやあ、相当怖いっすよ。」
俺:「うそー、どれくらい怖いの?」
後輩:「すっごい角度で落ちますよ。」
俺:「えー、どれくらいなの?」
後輩:「そっすね、
佐々木のフォークくらいっすね。」

これは、もう本音ベースで勘弁してくれと思った。


そしたら、スプラッシュマウンテンと大して変わらないもん。
もう乗るのためらって損したよ。

 ジェラシックパークライドを乗った後はすっかり気分も落ち着き、主要アトラクションには行くことが出来た。最後に行ったE.T.では、E.T.に名前を呼んでもらえてうれしかった。


<2001年11月14日(水) プロジェクトX>
  神戸に行った。今まで行ったことのない「異人館」のほうに行ってみた。異人館というと風見鶏を思い出し、まさにその風見鶏の屋根をもつ旧トーマス亭を「異人館」と思ってたが、実はあの辺り一帯が「異人館」ということを知った。いやあ、こいつはちょっと驚きました。旧トーマス亭は、レンガ造りでいい感じの邸宅だった。ちなみに大人入場料は300円。ただ、高校生以下と65歳以上の方は入場料無料。それで、ちょっと攻めてみた。友達の1人に27歳の女の子がいたので、チケットを買う際に、「大人1人、高校生1人お願いします。」と受付のお姉さんに言うと、「300円です。」と言われ、なんなくクリア。それが、友人がまだ高校生で十分通用すると認められた瞬間とだった。本来、人としてやってはいけないことかもしれないけれでも、まあ、一つのプロジェクトXを達成でき、気分よく観光をはじめることができた。
 
 それから、ゴンドラに乗って、山頂のハーブ園に行った後は、下まで歩いて戻ることにした。掃除のおじさんいわく「まあ、俺は登り12分で来るけど、君達なら下り20分くらいかな。」ということ。ちょっとしたハイキング気分で降りてみた。
 しかし、これが超マイナーな山道。遥か上にゴンドラが動いてるのが見え、すれ違う人なんて誰もいやしない。疲れてきて、「グリコ」すらする気にもならないくらい。結局、約1時間かけて新神戸駅の裏に到着した。しかし、新幹線も止まる新神戸駅からわずか数分のところにこんなハイキングコースがあるのかしらという感じだった。


<2001年11月13日(火) まんが喫茶>
 俺の町にはまだないが、隣の市にまんが喫茶があるということで行ってみた。お昼過ぎに行ったんだけど、結構な人。とくにサラリーマンが多い。もうなんでこんな時間にサラリーマンがいるんだよ、新たな仕事とりにいくなり、会社に戻るなりしろよとか思いながら、俺も「部長島耕作」を読んでた。しかし、俺が会社で働いてるときは、「まんが喫茶」に行くなんてできるわけもなかった。敢えてやるならデパートの2Fで、道行く人を眺めながら紅茶を飲むくらいだったのに。


<2001年11月12日(月) またニューヨークにて>
 さあ、寝ようと思ってたときにテレビにテロップが流れた。「ニューヨークにて旅客機墜落」。またかよと思った。非常に悲しいことだが、第三者の仕業によるものだとすれば、もっと悲しいこととなる。

 日本でも誰も乗ってないトラックがいきなりバックしてきて、幼児を引いてしまうし、危険はいつ起きるか分からない。


<2001年11月11日(日) 天城越え>
  今日は、石川さゆりの有名な歌「天城越え」の場所、天城トンネルに行き、そこまではハイキングを楽しんだ。昨日とはうってかわっての晴天、非常にいい気分だった。まだ伊豆は紅葉には早いが、若々しい木々の色をみたという感じだ。ミドル世代の方々もハイキングを楽しまれてた。いつもそのような方々にお会いすると、家で祖母のお世話をしてる母親に旅行をさせてやりたいを思ってしまう。
 それから、浄連の滝を観に行った。俺は、水の音が好きなので、こういう場所はいい。
 
 関係ないけど、ハイキングしてる際に、友達達と「千と千尋の神隠し」の話になった。そのときに、「千尋(千」)と「ハク」の真似をすることができた。また、レパートリーが増えてしまった。あと、がんばれば「坊」もできる。ただ、「顔無し」はなかなか難しい。


<2001年11月10日(土) 修善寺>
 友達達と修善寺温泉に行った。日本に戻ってる間に温泉1回くらい行こうと思って計画されたものだったが、まだ帰る日も決まる前に行くとは思ってもいなかったけど。

 まず修善寺に行く前に沼津に行った。沼津は漁港があり、海産物が豊富な街だ。お寿司も安くて美味しかった。イカがぷりぷりしてた。さらに散策したが、天丼や海鮮丼などおいしそうなものがいっぱい売ってた。あと食べたのは、「えびぽん」。これは、たこ焼きのタコのかわりにエビが入ってるもの。名前が気に入って食べたんだけど、なかなかおいしかった。

 修善寺町では、まず修善寺に行った。落ち着いたところだったけど、母親の一族によって殺された鎌倉幕府2代将軍源頼家の無念を思った。
 あと、そばを食べた。しかも打ちたてで蕎麦100%のもの。
 そして、夜は温泉には入るというなかなか贅沢な日だった。


<2001年11月9日(金) XYZ>
 ちょっと東京で知り合いからの依頼があったので、朝早く東京を出た。その依頼内容はというとなんと小学校2年生の子の塾送り迎え。
 内容は、自宅までその子を迎えに行き、一緒に渋谷の塾まで行き、授業参観し、自宅へ送り届けるというもの。なんか、シティハンターへの依頼のような感もある。

 もらったメモをみながら自宅訪問し、その子を待つ。依頼主の娘は、花香ちゃん(花の香と書いて「はるか」、井川遥の「遥」ではない。)明るくて元気のよい子だった。雨の中、彼女と渋谷に向かう。ニカラグァの家の娘、サマンタと同じ年なので、少しだぶるところがある。

 そして、なぜか授業参観。この日は、塾の授業参観の日なのだ。科目は国語。主語、熟語を学ぶ。1時間の授業だが、なかなかおもしろい。慣用句カルタなど、ゲーム的要素も入れてある。日本の子供の塾問題は、昨今、騒がれているが、子供がおもしろいと感じればいいのではと感じた。そういえば、俺も小学校の頃、週1回の英会話クラスが楽しみだった。また、だんだん彼女へも親しさというか、自分の娘のような感情も授業中も「手をあげろ、花香」とか思ってしまった。

 いずれにせよ、彼女も元気に発表してた。ただ、彼女は、他にも、学習塾、バレイ、水泳、ピアノを習ってるらしい。土曜日以外全部つまってた。楽しそうだったけどね。

 今度、俺に依頼があるときは、HPの掲示板に「XYZ」と書いて欲しいと思う。
 


<2001年11月8日(木) 駒ヶ根訪問>
 今日は、朝から協力隊訓練生時代に訓練を受けていた長野県駒ヶ根市に行った。駅で、「週刊マガジン」を買ってたら快速に乗り遅れ、名古屋まで新幹線で行くはめになってしまったけれども・・・・

 まず駒ヶ根青年海外協力隊訓練所に行き、ニカラグァ次期派遣予定隊員候補生2名に会った。僕らのときは、12名だったのでちょっとさみしい。ただ、2人ともとても明るい、よさそうな感じの青年だった。昼飯を一緒に食べ、ニカラグァの話をした。

 また、今、中庭の木々は紅葉しており、何枚か写真におさめた。その俺の姿をみてたのが、訓練所所長Sr.Akio。訓練所を後にする際、「これ、所長から君へ」ということで、A4封筒を職員から渡された。なかには、彼が撮った紅葉の写真がプリントアウトされており、更に、紅いもみじの葉がそっと1枚入れてあった。渡してくれた方いわく「今日は天気が悪いから、いい写真がとれないだろう。俺がいい天気のときに取った写真を彼にあげてくれ。そして、任地の仲間に訓練所の秋の風景をみせてあげてくれと伝えてくれ。」との所長のお言葉があったらしい。あいかわらず粋な人だ。

 午後は、担任だったスペイン語の先生Gabyのクラスに出席してきた。いちおう、訓練候補生たちともスペイン語で話すことができよかった。15分出席の予定が、1時間くらい出席することになった。

 夜は、Gabyと昔よく行ってた「いろり火 水車」に飲みに行った。彼女は、12月から夫のいるアメリカに移るので、今回、まさに怪我の功名で再会することができたといえる。いろいろとニカラグァの話や彼女の日本での思い出話などをした。彼女は、夫と一緒に住むことはうれしいが、約12年住んだ日本を離れるのは寂しいとも話してた。俺としても、今度、日本に帰ってきたときに、クラスメイトと彼女に駒ヶ根で会えないことは悲しい。


<2001年11月7日(水) ふと思ったこと>
 最近の日本の番組は、「あいのり」、あと、ホントコやロンブーの番組でも素人の恋愛を扱ってる企画が多い。また、Iモードで「未来日記」も楽しめるらしい。

 ようは、みんな出会いの場所を求めてるんだろうな。
 まあ、クラブとかで街中とかで出会う人もいるだろうし、また、この頃は、メル友から恋人関係に移行する人たちも多いらしい。そういや、コンパ仲介会社もあるらしい。 
 ふと考えてみると、「あいのり」版小旅行やBBQ、キャンプなんでもいいけど出会いを求めてる人がふっと気軽に参加できるイベントがあってもいいのではないだろうか?まあまあいいビジネスにもなるのでは?

 どうしても恋愛したい、あるいは恋愛できないという人は、まず恋に陥りやすい環境をつくる、もしくは、その環境に移ることがよい好機となるのでは!?また、今は、その環境を提供するというのもなかなか面白いと思う。


<2001年11月6日(火) Si, se pudo>
 ニカラグァのタムタムから大統領選挙の結果のメールがきた。「Si, se pudo」、与党PLC(立憲自由党)のBolanos(ボラーニョス)が当選確実らしい。

 我々協力隊員はもちろん任国の選挙権もないし、その国の政治に関わることもできないけど、一抹の寂しさがあった。詳しい政策及び現在の政局などもわからないが、なんとなしに今までの延長かという感じだ。しかもBolanosは73歳のおじいさん、5年の任期をまっとうできるんかいって感じだよ。ブルーフィールズを国際空港にっていう公約は実現するんだろうか?
 サンディニスタのダニエルのほうは、雰囲気は好きだったんだけどな。

 まあ、日本は寒いし、タムタムからもらったダニエルTシャツを着て歩くこともできないし・・・
 選挙結果を聞き、「ダニエル、ダニエル!」と小さく叫んでみた。


<2001年11月5日(月) それぞれの道>
 富山に行ってきた。俺は少年時代の6年間を富山で過ごしたのだ。富山では10数年ぶりに同級生に会う。その同級生は小学校のとき、まさに学級委員をやるような素敵というか憧れを感じる子だったが、今でもその落ち着いた面影はそのままだった。昔から、前向きで人のことをけして悪く言わない女性だった。
 
 彼女は、今、小学校教諭なんだけど、俺達の同級生が彼女の学校の生徒のお母さんとしているらしい。しかもその同級生は昔、俺と仲良しの子だった。昔の同級生が集まると、他の同級生の話でなかなか盛り上がるものだが、いやあ、みんなそれぞれ生きてるんだなと思う。

 さて、あいにくの雨だったが、五箇山の合掌造りを観に行く。ここも世界文化遺産に指定されている。民族館や民宿にもなってるが、まだ生活しておられる家もいくらかある。五箇山では、昔、養蚕業、硝酸製造などが行われていたようで、それらについても知ることが出来た。養蚕は、最後、蚕をお湯でゆでて繭をとることは知らず驚いた。ようは、蚕は死んでしまうではないか。あと、硝酸って漢字をみるだけでは何かわからなかったけど、これも火薬の素ということがわかった。しかし、江戸時代から約150年で随分発展(技術、産業など)し、生活形態も変わったものだと改めて感じた。


<2001年11月4日(日) おにいちゃん>
 弟と彼の婚約者のゆきこちゃんと3人で焼肉を食べに行った。まあ、それはどうでもいいんだが、ゆきこちゃんが俺のことを「おにいちゃん」と呼んだことに着目したい。

 「おにいちゃん」というと若乃花を思い出すところもあるが、今、そう呼ばれるということは、これからも「おにいちゃん」と呼ばれるんだろうなあ。なかなか複雑な感じではあるが、悪い感じではない。なんか「おかし買って」とか頼まれたら、おもわず買ってやる可能性大。

 彼らは12月24日に結婚式をあげるので、その頃には、さすがにニカラグァに戻るため(俺の予定)、出席できないと思うが、ゆきこちゃんには、ぜひあのわがままな弟の手綱をうまく引いて頂きたいと思う。まあ、結構強気な彼女なので、その点は大丈夫だろう。


<2001年11月3日(土) 懐かしき大学祭>
 先輩と友達と大学祭に行った。卒業してから初めての大学祭、なかなか懐かしいものがある。まずは、通学路を歩いてみると、当時の感じがこみ上げるようだった。

 それで、自分達のクラブの出店に行ってみると、あいかわらず昔と同じように焼きそば屋だった。なかなかおいしい。それから、スペイン語クラブがやってる喫茶店や他のサークルの占い屋さんにも行ってみた。大学時代、学祭の頃はいつもお芝居の練習か大道具作りをしてて、ゆっくり学祭をみたことがなかったので、今回はじめてゆっくりみることができた。

 先輩が俺よりも更に懐かしさを感じ、部室やら練習場に行き始めたので、まあ同行した。彼は、予想通り発声練習までやりはじめた。


<2001年11月2日(金) 来週駒ヶ根に行くこととする>
 訓練中のスペイン語の先生Gabyにtelしてみた。まあ、元気そうで、来週駒ヶ根にて会うことにした。ほんとは任務終了後に会う予定だったんだけど、なんと彼女のほうが結婚し、来年から米国に行くということなので、今回、クラスメイトの分も会ってこようと思う。

 ただ、今の俺のスペイン語ではちょっと怒られるかもしれないなあ。会話を密かに予習しておこうかとも思う。


<2001年11月1日(木) ちょっと早い再会>
 今日は、ブルーフィールズ隊員の友達のお父さんと飲む機会を得た。けして、将来のお父さんではないけれども・・・・、わざわざ奈良からお越しいただいた。彼とは、ニカラグァで一度お会いしたことがあり、ちょっと早い再会となった。

 軽く現地を下見した後に、お迎えし、居酒屋に行く。その居酒屋は、なかなか面白いメニューがあり、「鱧の天ぷら」、「豚のとろ」、「牡蠣のとろろかけ」などをごちそうになる。
 まあ、話題はニカラグァの事から宗教、テロ、日本企業、英語、彼の外国人の友達など多岐にわたる。英語では、「幅ないでー!」といえば「Have a nice day!」になるなどご教授頂いた。

 帰る際には、道でギター弾いてた青年に、「ニカラグァの歌うとてー」などと話し掛けていたので、それはちょっと無理だろうなと思った。結局、彼の得意歌ということで「なごり雪」を歌ってもらう。夜中、3人で熱唱。駅では、さっそく今日の事を携帯電話のメールでニカラグァの娘さんに送ってた。非常にアクティブな方だった。
 また、ニカラグァでお会いしたときのビデオをダビングしてプレゼント頂いたので、さっそく親にみせることができた。


<2001年10月31日(水) またまた衝撃が・・・>
 またまた衝撃が走った。
 動くようになったものの、曲がったままの第1間接。もう1回固定からやり直すこととなった。まあ、固定器は日本製のもので結構いいものだけど、これであと少なくとも3週間様子をみることとなり、ニカに戻れるのは早くて11月後半、下手をすると12月となる。
 悲しみと共に四条河原町を歩く。
 そんな自分に吉牛をごちそうした。


<2001年10月30日(火) 姫路城見学>
 姫路城に行ってきた。「全国高校生クイズ」の会場として行って以来だ。賛成してくれる人も多いと思うが、姫路城は、日本の城のなかでも最も美しいと思う。昔、南斗紅鶴拳の使い手ユダ(「北斗の拳」参照)は、「俺は自分が美しいものと認めたものの前で無力になる」と言っていたが、まさにそのとおりかもしれない。
 マメ知識としては、姫路城は法隆寺ととともに日本ではじめて世界文化遺産に選ばれたところらしい。

 今回、はじめて城内に入ってみたら、木造城郭建築らしく、昔ながらの状態が残っていて、趣があった。もちろん、エスカレーターなどなく、天守閣まで登るには相当な時間がかかった。しかし天守閣に登ると確かにいい景色はみえるが、実用性はあんまりないなあと思った。だって、上は狭いし、あがるのも面倒くさいし、ただ、あえて言うなら高いところから敵の情勢とか弓矢、鉄砲などの攻撃ができるのかな。しかし、まあ権威の象徴的意図が強いんだろうな。作ったというか作らされた人に「お疲れ様」と言いたい。
 
 夜は、父とビリヤードをした。キューを握るのは久しぶりだったが、なかなか面白かった。往年のようなプレイまではいかなかったけれども、いい集中力はつかった。


<2001年10月29日(月) 千と千尋の神隠し>
 こちらへ帰ってきて、はじめて映画を観に行った。「千と千尋の神隠し」である。はじめは、妖怪が結構でてきて、ちょっと恐い部分もあったが、最後には、またくどいようだが、目から汗がでてしまった。内容についても触れたいところだが、まだ見てない人もいるだろうし、自粛したい。しかし、千とハクが・・・・・、な〜んてな。


<2001年10月28日(日) 異業種間交流会>
 昔、参加してた異業種間交流会に参加した。これは、後輩の人脈から広がったもので、金融、物流、製造業、マスコミ、IT、法曹などいろんな職種の人が参加しててくれるグループなのである。

 今日は、「倉庫業界」と「PFI(Private Financial Initiative)」について発表があった。とくに、PFIについては初めて知るものであったので非常に興味深かった。公共事業に民間の資金、ノウハウを活用するというもので、開発協力にも取り入れることができる部分はあると思う。(もう取り入れられてるかもしれないが)


<2001年10月27日(土) 何かかしらをこえながら>
 今日は、知り合いの結婚式を覗きに行くため、東京に行った。新婦となる彼女とは以前同じところで働いていたのだ。行こうかどうか迷ってはいたが、熟慮の末、行くことにした。

 後輩1人と調整し、皆には秘密裏に行ったので、式が終わるまで外で寂しく待機してた。それで、式が終わり、白いウエディングドレスを着た彼女の前に姿を現した。
 そのとき、彼女の目からあふれる涙。あやうく俺も目から汗がでそうになった。

 別れる前に抱きついてきた彼女、そんな彼女は、その日、奥さんになった。


<2001年10月26日(金) 白線流し>
 ニカラグァでデジカメで撮った写真を現像した。1枚あたり29円で現像できた。確かに、普通のカメラで撮った写真を現像するよりは、高いけど、できあがりもきれいだったので満足できた。やっぱ、デジカメは、フィルム代を気にすることなく、写すことが出来るので非常に使いやすい部分がある。パソコンにデータを入れてしまえば、全てみることが出来るし、失敗した写真は消去することもできるしね。

 夜は、「白線流し」というドラマを見た。主演の長瀬智也が、ドラマの中で、協力隊参加を決意し訓練を受ける様子などもあった。訓練所の映像もあり、懐かしいものがあった。


<2001年10月25日(木) ヤクルト日本一決定>
 今日は、お母さんと軽くドライブに行く。三島池というところに行き、さらに蕎麦を食べにいった。紅葉は、まだもう少し先かなという感じだ。

 日本シリーズは、ヤクルトの4勝1負ということで幕を閉じた。もう少しもつれて欲しかったが、まあしょうがない。ただ、ブルーフィールズ隊員のむっちゃんが近鉄ファンなので、近鉄が日本一となるスポーツ新聞を買って、ニカラグァに戻ってあげようと思ってたが、それは為しえることができなくなった。
 さて、来年の日本シリーズだが、広島東洋カープの優勝がみられるのではと思う。


<2001年10月24日(水) 大人の女性になった小川範子さん>
 朝、歯医者に行く。虫歯はないとのことで、歯垢だけとってもらう。なんか1本くらい虫歯ではないのか?という疑念も生じるが、まあ、素直に従う。

 昼は、「笑っていいとも」、あと昼ドラ「ひとりじゃないの」(小川範子主演)をごろごろしながらみた。「ひとりじゃないの」は、小川範子さんが、未亡人役で食堂をきりもりするというドラマ。彼女が母親役、しかも未亡人役をやる年代になったのかという感を受けた。

 夕方、来年4月より協力隊隊員として派遣予定のよっしーがtelをくれ、今から、大阪から来てくれるという。夜、最終の時間まで、いろいろ協力隊のことなどを話す。非常に活動的な人だが、さらに、来年の訓練及び派遣に向けて、わくわくしてるようだった。


<2001年10月23日(火) パカッ>
 今日は、ニカラグァでせきが結構でてたので、呼吸器系を診てもらった。レントゲンも撮ってもらったが、問題なしとのことで、咳止めもをらって帰った。

 午後は、お母さんとちょっとお洒落な店にランチを食べに行く。そしたら、高校のとき、とってもきれいだった同級生がその店で働いてたので驚いた。すごいなあ、10年ぶりくらいかもしれない。いちおう、ハンバーグを食べる。

 とりあえず、短期間ではあるが日本に滞在するので、携帯電話を購入する。某大手総合電機メーカーのにしようと思ったが、S社のものが安くて、今はやりのパカッと開く製品だったので、そちらにした。


<2001年10月22日(月) 受診>
 今日、指の診察を受けるべく病院に行ってきた。ちょっと遠方にあるため11:00ぎりぎりに到着であぶなかった。(受付時間は11:00までのため)予備診察、レントゲン撮影を終え、診察してもらうと、「固定器はずして、普通に生活してください。10日ほど様子みてみましょ。そのあいだに指も動くようになるでしょ。」という診断だった。まあ、よかった、よかったという感じ。うまくいけば来月にはニカラグァに戻れると思う。

 そのあと、有名らしいラーメン屋に寄った。欲張って大盛りにしてしまい、ちょっと後悔した。


<2001年10月21日(日)手がかかるほどかわいい>
 今、実家に住んでいるわけだが、仮に1ヶ月滞在となると、こんなに長い間実家に住むのは、高校時代にさかのぼることになる。

 今日は、昼ごはんをばあちゃんと2人で食べたが、1時間半もトークすることになってしまった。近所の話や病気の話などだった。

 いちおう日本に帰ってくる際には、しばらく親孝行もしようと思ったが、やはり急に変化することもできず、結構わがまま放題で、家に存在してるところである。まあ、俺としては、「手がかかるほどかわいい」という典型的な例であるため、これからも親には手をかけさせなければいけないというプレッシャーもあり、それが逆に母親の生きがいの一つであることも否定できないが、ちょっと手伝いらしきこともしないといけないなと思うところもある。
 できることからはじめるべく、食器洗いをしてみた。


<2001年10月20日(土)家族との再会>
 昼、お好み焼き、もんじゃ、やきそば、サラダ、杏仁豆腐というランチを食べて、新幹線にて実家の滋賀に向かう。

 2年間帰ってこないと思ってた自宅に、半年振りに帰ってきた。家族と再会できた。
 ちょうど弟の結婚式の招待状の準備などをしてたので、思いもかけず手伝いをすることができた。


<2001年10月19日(金) また事件が起きたけれども・・・ >
 JICA顧問医師に右手薬指の状態を診てもらう。医師いわく「あー、随分よくなってますね。いやあ、安心しました。これならリハビリだけでいいでしょう。オペの必要はないと思います。まあ、1ヶ月くらいといったところでしょうか。」というようなものだったので、一応安堵した。京都府立医科大学病院を紹介された。

 夜は、後輩にお寿司をごちそうになった。ひさしぶりのお寿司で、とくにホタテとボタンエビが美味しかった。

 ただ、その後、事件がおきた。新宿駅で鞄をみたら財布がないのである。もう、最悪。東京駅でtelをかけた際に、公衆電話の上に置き忘れたらしい。もう、ニカラグァで財布なんて使ってなかったからか、いずれにせよ、おろしたお金も入ってたので、大ショック。小さな希望を胸に駅員に問い合わせてみる。
 祈りながら回答を待つと、なんと、東京駅にて預かっててくれてるとのこと。問い合わせてる間、後輩たつみ君が東京駅に向かっててくれてたので、getしてもらう。いやあ、よかった、よかった。日本に帰ってきても、悲しい出来事に出会わないといけないのかと思ったけど、だいぶ運があがってきてるらしい。


<2001年10月18日(木) 日本到着 >
 夕方16:30に日本に到着する。何故か一睡もできず、ニカラグァ時間では深夜のため、徹夜状態ではあるが、なんとか入国する。とりあえず空港ビルでラーメンを食べ、雑誌を購入し、リムジンバスに乗り込む。ただ、ラーメン屋とリムジンバス切符売り場のお姉さんの愛想がよくなく、いささか悲しみを覚える。

 新宿までの道のりでは、ビル群の夜景には、やはり知ってるとはいえ驚いた。そばに座ってた台湾人とみられる旅行者と同じように、窓空の風景を眺めてた。
 とりあえず今日だけなのか寒い。13度らしく、朝方は雨が降ってたらしい。

 新宿到着後は、旧友と出会う。なんか、話しているとニカラグァでの約半年が夢だったような感じになる。まあ、俺はいつも海外から帰ってくるとそんな気分になるだから、これはいつもどおり。ちょっとこの前会ったかのように会話もはずむ。
 道沿いのパチンコ屋から宇多田ヒカルの「Automatic」が聞こえてきたのには驚いた。日本は時間が止まってたのかと思った。さらに、天気予報をみたら、「さいたま市」が出現してた。 そんな感じ。もうすっかり日本モードである。